第十八章
朝野くんはその後、勉強する俺の隣で読書して過ごしていた。
退屈じゃないか何度か尋ねたけど、一緒に居られるだけで幸せだから、と返されてしまった。
確かに先輩といた時の自分もそうだったけど・・・
逆の立場になることなんて想定していなかったし、妙な感覚になってしまう。
そして彼は貸した小説を半分程まで読んで、帰る頃続きも気になるからまた借りに来る、と言った。
玄関で靴を履く彼の広い背中を見上げると、振り返ってまたニコリと笑みを返された。
「その小説・・・大学の図書室にもあるよ?」
「あっそう・・・。俺は薫のうちに来る口実として借りてんだよ?」
ニヤリとそう言われて、何とも返す言葉に困った。
「・・・俺が空きコマの時、わざわざ毎回薫いないかなって図書室に行ってたのも、会いたいからだってわかんなかった?」
朝野くんは下駄箱に手をついて、俺の顔を覗き込むように屈んだ。
「・・・わかんなかったね・・・。」
「ちょっと鈍くねぇか薫・・・」
意地悪に言う彼を少しばかり睨みつけた。
「わかるわけないじゃん。そんな意識一ミリもしてなかったよ。朝野くんは自然に俺と友達付き合いをしてたじゃんか。むしろ悟られまいとすらしてたでしょ?」
「ん~・・・まぁちょっとはな。でもちょっと・・・バレてもいいかなぁって思いながら発言してたこともあったんだけどなぁ・・・。まぁいいや・・・そんな怒んなって。」
彼はまるで弟を慰めるように俺の頭を撫でる。
「ま・・・怒ってても可愛いけど・・・。」
「か・・・可愛くないから!」
朝野くんの手首を掴んでどけると、彼は少しつまらなさそうな顔をして、空いた手で俺の頬に触れた。
「後さ・・・朝野くん、に戻ってんじゃん・・・。」
「・・・ああ・・・ごめん・・・。えっと・・・駅まで送ろうか?夕陽・・・」
そう言うと堪えきれない嬉しそうな笑みを隠すように、彼は口元に手を当てた。
「ん・・・や・・・いい、まだ明るいし・・・。ありがとな、お邪魔しました。」
静かに閉まるドアに、苦笑いを返して手を振った。
何なんだろうこのやり取り・・・
俺はリビングに戻ってソファにドサッと体を預けた。
いまいち朝野くんが俺のどこを気に入ったのか謎だなぁ・・・。
正直あんなにハッキリ告白されても、いまいち実感は湧かなかった。
どこか他人事のようにとらえてる。
「はぁ・・・。感情表に出し過ぎてなんか疲れたなぁ。」
そんなことがあった翌週末、俺は佐伯さんと約束していた図書館へ赴いた。
待ち合わせにやってきて最初にビックリしたことは、ひと月ぶりくらいに会った佐伯さんは、以前まで金髪だったのに、暗めな茶髪に変更していたことだ。
図書館に入る道中、隣を歩きながら何となく訳を聞くと・・・
「え~・・・薫くんと図書館デートかぁって思ったらさ・・・私派手髪だったら目立っちゃうじゃん?それに・・・薫くんもしかして、こういう大人なしめな色の方が、好きだったりするかなぁって思って。」
佐伯さんははにかみながらそう言って、また何となく俺の手を取って繋ぐのだった。
「似合ってない・・・?」
「え、いえ・・・それはそれで素敵ですよ。お顔立ちがいいので、色は関係なく似合いますよ。」
「ええ~?ホント?・・・まぁ・・・薫くんがいいなって思ってくれたならいいんだけど。」
図書館に入って小声になりながら彼女はそう言った。
いつも俺と話すとき、恥ずかし気にニコニコ喋る佐伯さんは、料理本を手に取って勉強道具を広げる俺の隣に戻ってきた。
何となく広い机の向かい側に座ると思っていたので、チラリと彼女に視線を合わせると、またにっこり微笑む。
「なあに~?」
「いえ・・・その、向かい側に座ると思ってたので・・・。」
「あ・・・ごめんね、邪魔?」
「ああ、いえ、そんなことないですけど。俺が横でパソコン触ってたら気が散りませんか?」
「大丈夫だよ。その・・・隣の方が私は好きなんだけど・・・。薫くんの方こそ、気が散ったらそう言ってね。」
「はい・・・わかりました。」
そう言いつつパソコンを立ち上げて課題に取り組む。そこまでやることは多くないので、それが済んだら司法試験の勉強に移るつもりだ。
佐伯さんは少し前に流行したレシピ本を読んでいるようで、おかずの写真を見つめながら真剣にレシピを確認している様子だった。
こういう図書館デートは・・・果たして本当にデートなんだろうか・・・。
思わず手を止めて、持ってきたペットボトルの紅茶を飲みながらそう考えてしまった。
会話をするでもなく、一緒に本を選ぶでもなく・・・こないだうちに来ていた朝野くんと同じ状況だ。
最初佐伯さんがデートとして提案してくれていたものとは、あまりにもかけ離れているし、明らかに俺に気を遣って図書館を選んでくれている。
半ば申し訳なく感じながら課題をさっと終えて、参考書を開く前に彼女にそっと声をかけた。
「佐伯さん・・・」
「ふぇ!?」
集中して読み込んでいた彼女は少しびっくりした様子で俺をパッと見た。
「あ・・すみません、驚かせて・・・」
「ううん!大丈夫。なに?」
「いえその・・・・・・あの・・・すみません、せっかくデートに誘っていただいたのに、図書館なんて・・・。」
俺がそう口にすると佐伯さんは小首を傾げて、長い髪の毛を耳にかけた。
「え、別に私こういうとこも好きだし、楽しいよ?読みだすと止まんなくなっちゃうよねぇ。薫くん和食と洋食だったらどっちが好き?」
「え・・・ああ・・・えっと・・・まぁ・・・・どっちも好きですけど・・・。最近は和食よりかもしれないです。」
「そうなんだねぇ。こないだね作り置きおかずの動画とかもたくさん見てたの、一週間くらい日持ちするからさ、いっぺんに作っちゃえばらくちんだし・・・ちょっと待っててね。」
佐伯さんはそう言って立ち上がって、また本棚から新しい本を持ってきた。
「見てぇこれ・・・」
「あ~・・・お弁当用もあるかもしれませんけど、こういうのって確かにたくさん作れるし保存も簡単だからいいですよねぇ。」
「でしょ~?私もちょっと一気にたくさん作ってみよっかなぁって思ってさ、スーパーの特売日とか逃さないように気を付けてるの。」
佐伯さんはそう言いながらスーパーの広告アプリを開いて見せた。
「俺もそういうの使ってますよ。大学の近くのスーパーのセールを逃さないように・・・」
「え、大学の近くにいいスーパーあるの?」
尚も小声で二人してコソコソ話しながら、佐伯さんは耳寄り情報とばかりに顔を寄せた。
「ありますよ。日用品や卵のセールは週一でありますし、お肉も魚も美味しい上に良い値段なんです。」
「ええ~・・・知らなかったどこ~?アプリでチェックいれとかなきゃ・・・」
主婦のような会話を繰り広げながら、俺は地図アプリを開いてスーパーの場所を教えた。
「ホントだぁ結構セール・・・・え!!見て薫くん、これって今日のセールだよね・・・?」
「あ・・・ホントですね・・・。帰りに寄りますか?」
俺が提案すると、佐伯さんは広告をじっと見つめて、改めてにっこり微笑みながら言った。
「せっかく作り置きの本も借りようと思ってるしさ、いっぱい買って作ってみたいし、薫くんが良かったら台所借りていい?」
「・・・ああ・・・いいですけど・・・たくさん持って帰れますか?」
「え?違うよ、薫くんが食べれるようにたくさん作りたいの。」
「・・・いやでも・・・」
以前お弁当をいただいたこともあって、それはかなり申し訳ないなぁと思わざるを得ない提案だった。
佐伯さんは尚もレシピ本をあれこれ眺めながら、作る気満々な様子だ。
「これとか薫くん好きそう・・・。ね、いっぱい作ったらさ、向こう一週間はおかず作らなくても困らないよ?」
楽しそうに目を輝かせる佐伯さんに、断りを入れるのは申し訳なかった。
「・・・・わかりました。その代わり、当たり前ですけど食費は俺が全額払いますね。」
「うん、わかった。」
佐伯さんは嬉しそうに頷いて、さっそく借りる本を厳選するために本棚に向かった。
その後夕方のセールの時間まで勉強をした。
佐伯さんは相変わらず大人しくレシピ本のページをめくるばかりで、特に俺に話しかけたりはしなかった。
一区切りついて息をつき、隣をふと振り返ると佐伯さんの姿がない。
「あれ・・・?」
俺が辺りをキョロキョロすると、後ろから冷たい缶がほっぺに当たる。
ビク!っと体を強張らせると、佐伯さんは俺の顔を覗き込んでクスクス笑った。
「ふふ!驚いた?勉強お疲れ様。薫くんコーヒー好き?」
「・・・はい、ありがとうございます。」
同じく笑みを返して受け取ると、佐伯さんはまた隣に静かに座って頬杖を突く。
「すっごい集中力だなぁと思って・・・邪魔したくないし、そ~っと離れたの。気付かなかった?」
「はい・・・すみません、ほったらかしにしちゃって・・・。」
俺がそう言うと、佐伯さんはふと真面目な顔になって、左手で俺の頬に触れながらまたニッコリ笑みを浮かべた。
「ふふ・・・気にしなくていいって言ったのに・・・。」
細い彼女の指がスリスリ俺の頬を撫でる。
安心したような甘えたような佐伯さんの表情が、何故だか甘え返したくなるような衝動を覚える。
視線を逸らしながらまた一口コーヒーを飲んで、やがて二人でスーパーへ向かった。
セール開始時間ピッタリに来店出来た俺たちは、お目当ての商品を手早く手に入れることが出来た。
値段の変動が激しい野菜も、美味しそうなお肉も、満足いくまで厳選して購入した。
二人で戦利品を抱えながら、これから作るあれこれを考えて、作る前から充実感を覚えつつ帰路に就く。
玄関のドアを開けて入ると、朝野くんの時と違って、佐伯さんは至って落ち着いた様子だった。
「お邪魔しま~す。・・・わ、薫くんの部屋きれ~・・・予想通りっていうか、急に来たのに片付いてるねぇ。」
「そうですか?まぁ・・・本以外はそんなに物ないですしね。」
「ホントだ!本棚に綺麗に収まってるねぇ。・・・ね、文芸部だって言ってたよね、やっぱり小説大好きなの?」
スーパーの袋をテーブルに置いて出しながら彼女は楽しそうに尋ねる。
「そうですね。自分でも執筆してましたし・・・。結構多種多様にジャンル問わず読んでる方だと思います。」
「え!やば!執筆してたの!?すご~い・・・」
苦笑いを返しながら食材をキッチンに広げて、佐伯さんが持ってくるレシピ本を一緒に眺めた。
エプロンの予備を彼女に貸すと、当たり前だけど少し大きくて、佐伯さんの体が包まれるように隠される。
「ふふ・・・」
思わず笑みが声になって漏れると、佐伯さんは同じようにニッコリ笑った。
「なあに~?薫くんの可愛い笑顔ちょ~癒されるんだけど~~♡」
「ええ・・?別にその・・・・俺のエプロン着てる佐伯さん可愛らしいなぁって思ってしまって・・・」
俺が少し照れながら伝えると、彼女もまた少し照れたのか、俺の腕をペシっとはたきながら可愛い文句を言って料理を始めた。




