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第十三章

翌日、早くも梅雨が明けたのか、からっとした初夏の日差しがさしていた。

今日は朝から夕方までみっちり講義が詰まっている日なので、何だか一日を長く感じる。

お昼休みに中庭へ向かうと、白いベンチに腰かけた金髪の女性が目に入った。


「佐伯さん、お待たせしました。」


佐伯さんはパッと振り返って嬉しそうに立ち上がった。


「薫くん!ごめんね、わざわざ来てもらって~。」


「いえ、こちらこそありがとうございます。」


隣に腰かけると、佐伯さんは紙袋に入れたお弁当箱を取り出した。


「えへ~頑張っちゃった!薫くんどれくらい食べるのかわかんないから、ちょっと多めくらいにしたんだけど・・・。」


佐伯さんは男性用のお弁当箱を取り出して、タンブラーのようなものを見せた。


「それは・・・?」


「あ、こっちはスープ系を入れられるお弁当箱だよ。シチューとかカレーとかも入れられるの。今日は野菜スープ!」


「そうなんですね、最近は色々お弁当箱ありますもんねぇ。テレビで見ましたけど、逆に曲げわっぱがおしゃれだって流行ってるとか・・・。」


「あ~!わっぱはねぇ木製だから水分吸い取るし、洗った後も乾きやすいし、暑い時期も食品が傷みにくいんだって~。私はこの時期だと保冷バッグに保冷剤入れてるけど、でも気持ちは温かいお弁当食べたいよね。ちょっとご飯は冷えちゃってるんだけど、その分温かいスープ作ってきたから、良かったら食べて~♪」


佐伯さんは手際よくお弁当を広げて割り箸を手渡した。


「ありがとうございます。いただきます・・・。」


佐伯さんは同じく自分の弁当を広げながらも、チラチラとおかずを口に運ぶ俺を観察していた。


「うん・・・美味しいです。これって・・・卵焼きじゃなくてだし巻きですか?」


「あ、うん、そうだよ。そんなに手間かかってるわけじゃなくて白だし入れただけだけどね!」


「そうなんですか・・・作るの難しいんですよねぇだし巻きって・・・。こんなに綺麗に作れるのは本当に料理上手な人じゃないですか。」


「えへぇ・・・そうかな。薫くんのお口に合ったならよかったぁ。」


佐伯さんはそう言って表情を崩しながら、自分もパクリとおかずを頬張った。


「薫くんも料理するって言ってたよね。元々作るの好きなの?」


「ん~・・・好きというか必要に駆られてというか・・・。一人暮らし長いので・・・。」


「ふぅん・・・。もしかして高校生の時から寮に入ってたからとか?」


その時心の中でふと思った。

そうか・・・一人暮らしが長いというと、普通の人はそういう風に考えるものなのか・・・。


「いえ・・・高校は地元でしたね。その・・・両親が忙しい人たちだったので、中学生頃から家事はしてました。」


そう言ってご飯を口に運ぶと、チラリと横目で伺った佐伯さんは真顔でじっと見た。


「そうなんだ、偉いねぇ。だから薫くん他の子と比べて随分しっかりした子に見えるんだ。私はねぇ・・・大学入ってから一人暮らし始めたんだけど、当時付き合ってた彼氏がよくご飯食べに来てたから、私も必要に駆られてって感じでだんだん作れるようになってきたんだよねぇ。」


「そうだったんですか。・・・誰かのために何か作れるってすごいですね。色とりどりで可愛くて美味しいおかず作れるのってセンスも必要ですし。」


何気なくそう言うと、佐伯さんは少し箸を止めて俯いた。


「なんかそんな風に褒められたら照れちゃうけど・・・。でもね、普通なんだよ。結局いいように扱われて彼氏には浮気されて捨てられたし、特別得意なことがないから勉強頑張るしかなくて、親に仕送りしてもらいながら一人暮らししてるし、バイトしても時々へましちゃって怒られるし・・・。特別美人でも可愛くもないから化粧で誤魔化して、量産型女子なの、私って。」


佐伯さんはそこまで言うと、慌てて顔を上げて無理やり笑顔を作って見せた。


「な~んて!薫くんに愚痴っても仕方ないよね!ごめんね!気にしないで食べて食べて。」


言われた通りご飯を食べ進めながら考えていた。

物事の捉え方で、こうも人間幸と不幸が別れてしまうものなのか。

佐伯さんが明るく振舞っているのは、自分がそう在りたいからなんだろうか。


「俺・・・ネグレクトにあって、明日食べる物にも困ってた時がありました。」


美味しいポテトサラダを箸でつまみながら言った。


「え・・・」


「幼少期は小児白血病にかかっていて、院内学級で勉強しながら数年入院生活を送っていましたけど、両親は俺の病気をきっかけに不仲になってしまって、退院してからも、お互いなかなか家に帰らなくなったんです。ある時はインフルエンザにかかって高熱で死にかけて、何とか自力で救急車を呼んだこともありました。家事や料理を自分ですることは、そこまで嫌なことじゃなかったですけど、学校でも疎外されて、友達と呼べる人もいなくて、誰かと楽しくご飯を食べたり、出かけたり買い物したり・・・皆が普通だと思うことが出来ませんでした。だからと言って佐伯さんが言うことに、贅沢なこと言ってるなぁって思ってるわけじゃないんです。人の絶望も地獄もそれぞれですから、他人と幸福も不幸も秤にかけられません。俺は佐伯さんが普通だと思う、料理や勉強を頑張って出来るようになる、一人暮らしを支えてもらいながらバイトをこなすことが、とてもすごいことだと思います。それが普通だというなら、生活のために耐え忍んで続けられることはえらいことじゃないですかね。もちろん自分自身に対してもそう思ってます。後・・・佐伯さんは自分のことを可愛くないって言いますけど、嬉しそうに見せてくれる笑顔は素敵だと思いますよ。少なくとも俺は可愛いと思います。」


じっと見つめて聞いていた佐伯さんは、赤面してこらえるような表情から、じわりと瞳に涙をためた。


「・・・ありがとう・・・。ヤバイ・・・私・・・褒められたのに泣きそう・・・。薫くん・・・大変だったんだね・・・。」


箸を持つ手で涙を拭いながら、佐伯さんはまたもぐもぐとおかずを食べては頬を一杯にした。

俺も同じく一つ一つ大事に食べながら、噛みしめるように味わった。


「美味しいですね。・・・こないだ友達に言われたんですけど・・・、きっと佐伯さんの方が、いいお嫁さんになりますね。」


微笑んで言うと、彼女はまた顔を真っ赤にしてゴクリとおかずを飲み込んだ。

そして照れくさそうにしながら野菜スープを淹れて、手渡してくれた。


「お弁当一つで褒め過ぎだよ?そんなにおだてられたら・・・週一くらいで作ってきちゃうよ?」


「ふふ、ホントですか?」


「え・・・うん・・・薫くんが嬉しそうに食べてくれるなら・・・。でもほら・・・そういうのってなんか彼女がすることじゃん?私が勝手にそんなことするのって、変かなって・・・。」


佐伯さんから手渡されたスープを見ると、美味しそうな匂いと、バランスを考えられた野菜に、彩りと栄養も加わった卵スープだった。

彼女はとても一生懸命で、でも周りから少し誤解される人で、時にその一生懸命さが裏目に出て、他人から心無いことを言われてきたんだろう。


「確かに恋人がお弁当を作ってくれるんだったら自然なのかもしれませんけど・・・。佐伯さんが一生懸命作ってくれた手料理を、誰かに食べてほしいとか、作りすぎたからお弁当のおかずとして使うとか、佐伯さんの努力をお裾分けしてもらえるのは、俺にとってラッキーというか・・・嬉しいんですけど・・・。Winwinならいいんじゃないですかね。」


「そ・・・そうだよね。だったら・・・たまに作ってきても大丈夫?」


「はい、もちろん。その時はありがたくいただきます。」


佐伯さんはまた屈託ない可愛い笑みを見せてくれた。

その後お弁当を二人して楽しく完食し、中庭を後にした。

心地のいい満腹感で満たされて、朝野くんと買い物をしたとき同様、また一つ普通の幸せを噛みしめていた。

学生の中で当たり前のように講義を受けながら、何でもない日々のようで、特別心のこもった美味しい物をいただいて、今日をいい日だと思える。


あの頃は想像もしなかった。

淡々と送る日々で、他人との関わりを自ら避け、叶うかもしれないことに手を伸ばすことすらせず、認められたい欲求を文章の中にだけ詰め込んで、自分を慰めるように先輩のことを考え続けていた。

寂しさも、憧憬も、嫉みも、その沸き起こる自分の感情の全てを、ただ先輩に向けていた。

そこまでの「好き」を初めて抱いて、きっと今までと違う自分に変わろうとしていたんだ。

先輩は愚かで浅はかで子供でしかない俺に、寄り添ってちゃんと話を聞いてくれた。

無理やりで歪な感情を受け止めてくれた。俺を傷つけないようにと気遣ってくれていた。


今はそんな恋が破れて、死にたくなるでもなく、先輩が生かしてくれた自分をただ生かしていたかった。

いつか幸せになった自分を見せたいとかじゃない。

せめて普通の人たちが言うような、普通の楽しみと嬉しさを知って、人の中で生きられる自分を作って、先輩を好きになれてよかったと、いつまでも思っていたいんだ。

どこまでも自己満足で、俺はきっとまだ憧れ続けた先輩に及ばない。


いつか心から愛した人に、「大好きだから側にいたい。」と、伝えられるような人になりたい。


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