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第一章

その日は生憎の雨だった。

講義室の窓から、こぼすようにポロポロ落ちたのが見えたと思ったら、あっという間に本降りになって、窓を突き抜けてザーっという音が聞こえてくるほどになった。

周りにチラホラ座る生徒たちも、教授の講義を聞きながら窓をチラリと見やって、皆少し表情を曇らせている。

今日は朝から曇り空だった。予報でも雨が降ることはわかっていた。

遊びに行く予定を別日に回すことは出来ても、バイトなど行かなければならない用事がある人は大変だろう。

傘をさすということ自体が、誰もがもう手間だと感じるから。


講義が終わって、皆一様に荷物を鞄に詰めて、わらわらと湿った室内から出て行く。

俺もリュックに筆記用具をしまって、何となくスマホを取り出して、何も連絡がないホーム画面を確認する。

そしてまだまだ雨音が響く窓を見て、座ったままボーっとそれを眺めていた。

バイトまではまだ時間がある。俺はいつものように図書室に向かうため席を立った。


学生である以上、学内にある本はタダで読み放題。

司法試験に必要な参考書や法律に関する本も、わざわざ買わなくても借りることが出来る。

大学に通う一番の利点はそこだと思っていた。

少し空調が効いて涼しい空気の図書室の入り口を抜けて、学生証の認定を通す。

綺麗な本棚たちに囲まれた長机が整列している場所へ向かい、あの辺に座ろうかな、と目星を付ける。

今日は人が少な目だな・・・。

いつも通い詰めている本棚に向かい、その独特の香りに包まれながら、背表紙を物色する。


「・・・いた・・・」


まただ・・・最近関節痛がひどい・・・。今日は雨だから余計かな。

一つ二つと本を取って席に座る。

ノートを広げて筆記用具を取り出して、分厚い本を開いた。

目を通しながらノートに書きこみ、気になる箇所を読み込む。


昔から読書が好きだった。本当なら文学部に行きたかった。

けれど生涯生計を立てることに困らないために、弁護士になる道を目指すことにして、法学部に入学した。

安定した職という意味では、公務員でもいいかもしれない。けれどあえて弁護士を志すことにしたのは、テレビで犯罪や裁判のニュースを見る度、疑問に思うことがどんどん溢れていったから。

それに加えて理由があるとすれば、単純に難しいことに取り組むことが好きだった。

読書をしていても、難解な単語や文章構成を見ると、どういうことなのか自分でわかるまで調べたりするし、ついつい突き詰めて勉強する癖がある。

心の底では、それを楽しいと思っているからやっているんだろうけど、楽しさを感じるより本能的に調べ出してしまうため、俺にとっては勉強するということはもはや癖だと言える。

読書することも、パソコンで調べることも、図書館や図書室に通うことも、俺にとっては単なる日常で、人生の多くを費やしてきたことだ。

それが日常なので、今まで受験や試験に苦労することも特になかった。


「ね・・・君・・・」


集中して読み込んでいると、ふいに隣から声をかけられた。


「・・・はい。」


そこにはいつの間にか同じく学生であろう青年が座っていた。


「あ、ごめんな?勉強中に・・・。いや、いっつもここで見かけるからさ、声かけたいなって思ってたんだ。」


「はぁ・・・えっと・・・」


「あ、俺朝野、朝野あさの 夕陽ゆうひ。法学部の1回生。」


「・・・ひいらぎです。俺も法学部です。」


朝野と名乗った彼は、俺が答えるとパッと笑顔を見せた。


「やっぱそうだよな?結構同じ講義取ってるっぽいからさ、見かけてたんだよ。入学してからもう一月くらい経つけどなかなか話せる友達出来なくてさ・・・同じ学部の知り合いほしいなぁって。」


彼は嬉しそうにしながらも、周りに気を遣って小声でそう続けた。


「そうなんですか。俺も特にまだ法学部の知り合いいなかったので・・・よろしく。」


「よろしく!同い年なんだから敬語で話さなくていいって。」


朝野くんはそう言いつつ、チラリと俺の手元を見た。


「もしかしなくとも、法律の勉強中?」


「あ、うん。弁護士目指してるから・・・。」


「マジで?すげぇな・・・。まぁ法学部ならそういう人多いか。・・・ん?・・・柊・・・もしかして下の名前って薫?」


「え・・・うん・・・。」


彼は驚いた表情を見せて、頬杖をついてニカっと笑った。


「やっぱ、そうだ。俺他の学部には同級生だった知り合いいるんだけど、主席入学した人の話をたまたま聞いたんだよ。柊だろ?」


「ああ・・・まぁ・・・。」


「すっげぇなぁ・・・。ただでさえ偏差値高いのに、おまけに一番だなんて・・・。俺そんな知り合いいたことないわ。」


お世辞を言いつつ距離を詰めるタイプなのかなとも思ったけれど、何とも屈託ない笑みを見ていると、朝野くんは素直な子なのかもしれない。


「な、連絡先聞いていい?」


「あ、うん。」


俺はポケットからスマホを取り出して、メッセージアプリを開いた。


「ありがと・・・。な~んか・・・ナンパしてるみたいだよな俺・・・。」


「ふふ・・・みたいというより、ナンパなんじゃないの?」


俺がそう言うと、彼はちょっとキョトンとした表情をしてまた可愛い笑顔を見せた。


「ま、そうかも?・・・あの、てか・・・今更だけど、男の子だよな?」


「・・・・そうだけど・・・」


今度は俺がキョトン顔を返すと、彼は苦笑いを浮かべた。


「だよな?いやぁボーイッシュな女の子だったらどうしようかと思って。普通にそれこそナンパだよな。」


朝野くんはどうやら、気軽に女の子に声を掛けられる程の勇気を持ち合わせているわけではないらしい。

俺が同じく苦笑いを返すと、彼はまた頬杖をついてなんとなしに言った。


「いや、こことか講義室で見かけてた時、華奢な子だなぁ・・・って思ってて、んでも服装からしても男子だよなぁって思いつつ・・・。つっても最近じゃそういうスタイルの子もいるしさ、ジェンダーというか・・・。あ、っていうかこういう言い方するとセクハラになんのかな・・・ごめん。」


「・・・いや、別に・・・。」


「俺タッパだけはあるからさぁ。声かけるとちょっと怖がられるんよな。」


朝野くんは首元をかきながら、思いついたように立ち上がった。


「てかごめん、邪魔して。今度からは勉強中に声かけねぇから。またな。」


「うん、ありがとう。・・・確かに身長高いね・・・。」


「まぁ・・・体格だけでバスケ部だったんだずっと。185あるから・・・。柊は?」


「俺は・・・たぶんだけど、165センチとかかな・・・。」


「あはは、それは可愛いサイズだな。んじゃ。」


手を挙げて去っていく彼の背中を見送って、何だか少し落ち着かない気持ちになる。

中高の時は、進んで自分に話しかけてくる人は、連絡事項かからかいの気持ちを持ってのことだけだった。

朝野くんが言うように、体格も顔立ちも中性的なせいか、差別的な疎外を受けて来た。

そういう人たちが必ずしも差別を受けるわけではないだろうけど、どちらかというと女子の方がまともに接してくれていたため、余計に男子から反感を買っていたのだろう。

かと言って別段、どっちつかずの自分の容姿をそれ程気にすることもなく生きて来た。

俺の見た目が中性的なのは、生き写しだと親戚に言われる程母親似であるだけで、特に変わったことじゃないし、それが特別ということでもない。

恋愛対象は男女どちらともで、所謂バイセクシャルだけど、それもまたただの好き嫌いの問題で、特別視されることじゃない。

全てはたまたまそうなだけで、生きづらさは周りが勝手に作っただけで、俺自身の在り方に関係はなかった。


その後小一時間程試験の勉強をして、借りて帰る本の手続きを済ませ、帰路に就いた。

降り続ける雨をパッと避けるように傘を開いて、そこそこ重量のある本を入れた鞄を肩にかけ、足元に気を付けながら歩き進めた。

学生たちがチラホラ同じく校門から抜けて、思い思いの方向へ散っていく。

駅方面へ向かう人が多く、近辺に住む人たちはきっと学生では少ないだろう。

ここは地域的に部屋を借りようと思えば、だいぶ家賃が高めなとこだからだ。

けれど俺は高校の時の先輩の計らいで、特別大学に近いマンションの一室を借りることが出来ていた。

両親は数年前に離婚し、海外に単身赴任している父が生活費を賄ってくれていた。

けれどその父も、高校卒業までしか金銭的な援助はしない、とのことだったので、何とか家賃免除をしてくれる住まいを見つけるしかなかったのだが、簡単には見つからず、結局先輩のツテを借りることになってしまった。

そうでなければ今頃どうなっていたか・・・。


「先輩に今度何かお礼しなきゃなぁ・・・。」


そんな独り言を雨音に紛れさせながら、真新しいマンションの入り口を抜けた。


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