不思議の国からの招待状―2
「首、無くて平気なの?」
ソフィアの問いに、首のない兎の上半身が上下に揺れる。どうやら頷いているらしい。
頭を失った首は、初めから首など存在していなかったように滑らかな状態だ。まるで綿の切れたぬいぐるみのようにガクガク揺れる頭部だと思っていたが、帽子か何かのように被っていただけだったらしい。
(デュラハンかしらね?)
口どころか頭が無いから回答はできないだろうが、いろいろ聞きたそうなソフィアに向かって兎は懐中時計を取り出すと、わざとらしく驚いて見せる。
時間が無いと言いたいのだろう。確かに、ムカデ相手に時間をかけすぎた。
タイムリミットの12時まで、もう、あまり時間がない。
「いろいろ聞きたいことはあるけど、先を急ぎましょう」
時計の針を見る限り、12時の鐘が聞こえてきそうだ。
慌てて落としてしまったのはガラスの靴ではなく兎の頭だったから、別のムカデが咥えて追いかけてきかねない。そんな王子様はご免被る。急がねば。
針金のような樹木がまばらにはえた荒野を、兎とソフィアが疾走する。
頭もないのに兎が迷うことなく、例の人工物らしき建物に向かってひた走っているところを見ると、やはり本当の頭部は別にあるのだろう。
(この兎はデュラハンの義体の一つかしらね)
兎の後ろを走りながら、ソフィアは無敵のデュラハンとして名を馳せた、ギルドマスターのシビュラを思い出していた。
『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』のデュラハンには、自分の肉体以外に専用の術式を施した義体を動かせる種族固有のスキルがあった。使用性能を例えるならシューティングゲームで残機がたくさんあるのに似ている。
ただし、操っているのは頭一つ、体一つしか持たない人間だから、一度に満足に動かせるのは一体だけ。システム上は複数動かすことも可能だけれど、軍隊のパレードのように全部に同じ動きをさせるのがせいぜいだ。だから対人戦においてはフィールドのあちこちに義体を隠しておいて、壊されるたびに、あるいは敵の位置に応じて乗り換えていくという闘い方になる。
さらに頭と体の距離が離れすぎると反応が鈍くなるから、デュラハンはサポートNPCでもある騎獣に頭部を持たせてスニークミッションに励むスタイルが主流だ。
頭部を抱えて騎乗した、物語に出てくるデュラハンらしい状態が最も高いスペックがでるが、それでは普通の騎士と大差ない。義体という予備の身体を使えるメリットをフルに活かすなら、拠点のあちこちに義体を仕込んで乗り移っていくのがベストで、デュラハンは防衛戦でこそ力を発揮できる種族といえた。
(でも、シビュラさんは千体同時に動かせたのよね。なんで? 違法改造かなんか? そういうことする人じゃないし、あれだけの有名人なんだからチートならとっくに規制されてたろうし……)
考え事をしながらも、速度を落とさず走ったおかげで、時計の針が12時を指す前に砦のような場所へとたどり着けた。
砦の高さは2メートル程度。巨大な盾を積み重ねたような、1階建ての簡易砦だ。
首無し兎に誘われるまま、何の警戒心もなく砦の中へ進むソフィア。
外壁と天井しかない丸い部屋の中にはいくつもの首のない鎧が立ち並んでいて、その中心に置かれたテーブルを囲んでアモルと、そしてソフィアが想像した通り銀髪の美少女が腰かけていた。
「シビュラさん、やっぱりこっちに来てたのね」
「やぁ、久しぶりだね、ソフィア。もう少し驚いてくれるかと思ったけど」
両手を広げ、歓迎のポーズを示す少女をソフィアは抱きしめる。
シビュラ。かつて、『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』でソフィアが所属していたギルド、ファタ・モルガーナのギルドマスターで、アモルの自我獲得プログラムに大いに貢献した人物だ。
「その兎が義体だって気付いた時にね。あんな距離を操れるなんて他に思いつかないし、何より私が来ていてシビュラさんが来れない理由が無いもの。それよりも、アモルの方がびっくりしたわよ。……よく拘束できたわね」
ソフィアが驚くのも無理はない。
危険を冒してわざわざソフィアが迎えに来たというのに、飛びついてこないどころか声の一つも上げないと思ったら、アモルは口から下を糸で椅子にぐるぐる巻きに拘束されていた。
近接戦ではソフィアが勝るとはいえ、それは単なる筋力の話で、明晰な頭脳と狡猾な性格の彼は本来からめとる側だ。ソフィアもしょっちゅうぐるんぐるんに絡めとられている。そのアモルが見事に絡めとられ、椅子に拘束されているとは。
ソフィアの手前、ばつが悪そうに大人しくしているが、正直な尻尾は全力で不満を訴えるように、激しくパシパシゆれている。尻尾だけ出してあるのが、実にシビュラさんらしい。
「三本の何とかって言うじゃん、何だっけ」
「兄サマ、矢ナノ。ヤー!」
「で、僕ら3体の糸を合わせたのさ。ヤー!」
立ち並ぶ首のない彫像の隙間から、ひょこっと現れた三つの影。
陶器のような肌、宝石のような瞳を持つアラクネたちだ。人間で言うなら15,6歳くらいに成長しているが、その面立ちには覚えがある。
「ラネアにラーニャ! ……あと、えぇと、どちら様?」
「まさかのシビュラと同じ反応!」
「ラーニャ、記憶ニゴザイマセンナノ」
「シビュラの言ってた前世持ちってやつかー。僕はライオス、よろしくね」
「ライオスはラネアの双子の兄弟らしい。あちらでは会うことはなかったがこちらで三つ子として生まれているとは、この世界もなかなか粋なことをする」
懐かしき旧友との再会だ。それは大変に喜ばしいことなのだけれど。
「シビュラさん、アモルを返してくれません?」
ソフィアはそのためにここへ来たのだ。懐かしいシビュラやラネアたちではなく、アモルの方へと進むソフィア。
「本当に、こんな悪魔を助けに来たんだね。私はね、この世界に来るためにアモルに手を貸したんだ。手を貸さなくてもこの悪魔は君を手中に収めたろうが、それでも私は君に負い目を感じているんだよ。だからソフィア、君が困っているのなら助けたいと思ってね。……アモルの執着ぶりに彼から逃げていたんじゃないのかな」
「だから“自由を”なのね。心配してくれてありがとう」
兎が運んだ手紙には“貴女に自由を”と書いてあった。
あれは、アモルからソフィアを逃がしてくれるということだったのか。確かに、『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』を遊んでいたころのソフィアはアモルを男性としては見ていなかったし、ここまで執着されたなら辟易したに違いない。
ソフィアはアモルの背後に立つと、柔らかな黒髪に指を滑らせ蜘蛛の糸で覆われた頬に触れる。ソフィアの手にすり寄るようにアモルはうっとりと頬を寄せ、表情豊かな尻尾がソフィアの身体に絡みつく。
「アモルにね、追いかけさせてるのよ」
ソフィアはアモルから逃げていただけではない。
この悪魔が心の底からソフィアの虜になるように、逢えない距離と時間を作って追いかけさせていたのだ。これからも、アモルが暴走しないよう、ソフィアの望み通りに振舞うように。その結果、ソフィア自身の気持ちが前よりずっとアモルに傾くとは、思っても見なかったけれど。
ほほ笑むソフィアの表情はシビュラの知るあどけなさの残る少女のものではなく、その瞳は、“これは私のものだ”と主張していた。
「……そうか。アモル、賭けは君の勝ちのようだ。存外に愛されているのだね」
やれやれと笑うシビュラ。
「動けないまま側に置くのもいいけれど……。アモルの拘束を解いてくれると嬉しいわ」
「お姫様のキスで呪いが解けて、ハッピーエンドといきたいところだけどね、残念ながらこのまま帰すわけにはいかないんだ。おせっかいだけで連れてきたわけじゃないからね。アモル、君だって魔界をここまで放っておいて、そのまま帰れるなんて思ってないだろう?」
「どういうこと?」
シビュラとソフィアの視線に、アモルは分かりやすく視線をそらした。




