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不思議の国からの招待状―1

本編で書けなかった裏設定をまとめたら長くなってしまったので3話に分割。

pocket様リクエストのキーワード「シビュラさん」は3話目ってことで。

   挿絵(By みてみん)


 始まりは、一通の手紙を携えたタキシード姿の白い兎だった。


 アモルの”お熱”を下げようと始めた月下の鬼ごっこは未だに続いているけれど、相手を想って月の出を待つというロマンティックな状況が互いの温度差を埋めるのにちょうど良かったのだろう、今では“月夜のデート”という形に変化を見せ始めていた。


(まさか私が月を待つようになるとはね)


 その日もソフィアは流れる雲の合間から月の訪れを待っていたのに、月と共に現れるアモルの代わりにひょっこりと顔を出したのは、モフモフとした白く愛らしい兎だった。


(アモルの新しい演出か何か?)


 後ろ足で立ち上がったモフモフが、短い前足で手紙を差し出してくる。

 最高だ。実に可愛い。癒される。

 こんな可愛い使者を寄越してくるとは、アモルに一体どんな心境の変化があったのか――。


 はじめはそのように思ったソフィアだったが、押された封書印に違和感を覚えた。この印はファタ・モルガーナ――、ソフィアとアモルが暮らす城であり、かつて所属していたギルド、ファタ・モルガーナの紋章だ。

 ファタ・モルガーナ城は、ソフィアが現世をゲームの中だと錯覚するようにアモルが造り上げたもので、全て思い出した今となっては、アモルはギルドの名前に何のこだわりも持っていないはずなのに。


 “貴女に自由を”


 封書に込められたカードには、たったそれだけが書かれていて署名はない。

 これは一体どういうことか。


「……アモル? アモル来て」


 違和感を覚えたソフィアはアモルの名を呼ぶ。いつもなら、それだけで犬のように尻尾を振って飛んでくる悪魔が影も現さないことに気付いて、ソフィアは封書を運んだ兎を見据えた。


「アモルはどこ?」


 兎は返事の代わりに懐から懐中時計を取り出すとソフィアに見せ、12時の文字を示す。


「12時に魔法が解けてアモルが帰って来るなんてことは……なさそうね」


 タッタカと足踏みを始めた兎を見ながらソフィアは呟く。この兎は言葉を話さないらしい。リアルな造形なのにどこか人形じみて見えるのは、綿の切れたぬいぐるみのように首ががくがくしているからか。まるでへたくそに縫い合わせたようで、愛らしいぶん不気味さが増す。


 ここは腐っても『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』に酷似した世界だ。受け身でいる者に幸せが訪れたりなどするはずがない。

 ソフィアの元に訪れたのは、ボロをドレスにカボチャを馬車に変えてくれる親切な魔法使いではなく少女を異界へいざなう兎で、ソフィアが履いているのはガラスの靴ではなくて、白銀の瀟洒な、けれどその脚力で蹴れば対象を肉塊へと変える脛当て(グリーブ)だ。

 眠らないはずの悪魔が糸車の呪いにでも掛かって呼んでも来られないならば、ヒロイン自ら茨を掻き分け迎えに行ってやろうじゃないか。


「12時はタイムリミットということね。いいわ、案内して頂戴」

 ソフィアの言葉を理解したのか、兎は短い前足を上手に動かして敬礼すると、森の中へと走りだした。


 兎が使う異界への門は、この世界でも木の根元に在る兎穴のようだ。一見ただの兎穴に見えるそれは、真祖(ヴァンパイア・ロード)であるソフィアの目から見るとこの世界にいくつも見られる得体のしれない“隙間”だった。


 かつて、スースが赤子蟲を呼び出した、あの“隙間”である。異なる点を挙げるなら、これまで見たどんな隙間より大きく、成人女性であるソフィアがくぐれるところだろうか。


(ここに入るのかー)


 なんだか、めちゃくちゃ落下しそうだ。

 ぴょーんと何の躊躇もなく飛び込んで行く兎の後に続いて、ソフィアは渋々、兎穴へと飛び込んだ。


 ■□■


(あー、やっぱり落ちるのねー)


 不思議な空間には不思議な法則が働くらしい。

 よくわからない空間をどんどん落下しているのに、飛翔可能なソフィアの翼は空気を全く捕らえられずに下へ下へと落ちていく。本来ならば加速度的に増す落下速度が一定なのも、不思議な世界ならではか。

 かなりの時間落下を続けたのに、怪我一つなく着地できたのは幸運だったが、降り立った場所は、不思議の国というよりは魔界と呼ぶのにふさわしい荒廃した世界だった。


   挿絵(By みてみん)


 暗雲の立ち込める空、枯れ果てた大地。

 空気は血と灰と硫黄の臭いを運び、踏みしだく大地には、人のものか獣のものか、いくつもの骨が混じっている。

 夜というには明るいが、ヴァンパイアであるソフィアの身にダメージが無いから空を渡り大地を照らす天体は、太陽のような祝福に満ちたものではないのだろう。


 常にどこかで何かが燃えているような、そんな世界の大気は舞い上がる煤塵に濁っている。ただただ荒涼とした恐ろしく広い場所だけれど、ソフィアの視力であっても曇った景色の遠くを見通すことはできない。

 見通せるギリギリの果てに見えるのは、針金が積みあがったような黒い森と、狼煙のように立ち上がる煙。その先にある円筒状の物体は砦か何かだろうか。


「アモルはあそこにいるのかしら?」


 ソフィアの問いに頷くように、タキシードを着た兎は座りの悪い頭をガクンと振ると、建物の方へと走り出す。


「待って!」


 赤黒い世界に一点だけ塗り残したような白い兎。

 明らかにただの兎ではないそれをソフィアが呼び止めたのは、大気に悪意のような感情が満ち満ちていたからだ。


 パリン。


 薄いガラスを割るような音を立てて空の一部が崩れ落ち、そこから幾つも節のあるムカデのような魔物が飛び出し兎を襲った。


 巨大なムカデが兎を掠めるように飛翔すると、ぽんっと軽快な音が聞こえてきそうな軽やかさで白い何かが宙を舞う。


 兎がいた場所に残っていたのは、黒いタキシードを着た兎の胴体。長い耳が付いた白い毛玉のような兎の頭部は、まるでバレーボールのようにムカデに弾かれ飛んでいく。白いボールを追いかけるようにムカデの魔物が宙を舞う様子は、無邪気な獣がボール遊びを楽しむように見えたけれど、薄っぺらいムカデの口元が笑みのように切りあがるのを見た瞬間に、その巨大な昆虫が持つ感情が、下卑た悪意であるとソフィアは悟った。


「このぉっ」


 ソフィアは彼女の影から馴染みのハルバードを取り出すと、ムカデの魔物に切りかかる。

 しかし、ムカデはその巨体からは想像もつかない素早さで身を翻すと、長い体を鞭のようにしならせながら攻撃を回避した。

 ムカデの動きに翻弄されながらも、ソフィアは果敢に立ち向かう。しかし、ムカデの攻撃は重く鋭く、その装甲はひどく硬い。


「こんなに強い魔物、初めてだわ」


 少なくとも人間界で、これほどの魔物にお目にかかったことはない。

 アモルがいれば、特盛のバフのお陰でこれほどの魔物でも力任せに倒しきれるのだろうが、叩きつけるようなソフィアの攻撃は、ムカデの硬い装甲と速度に阻まれ致命傷を与えられない。代わりに何百本もあるだろうムカデの鋭い脚が、チェーンソーの歯のようにソフィアめがけて襲い掛かる。


 この世のものとも思えないムカデの魔物には、どうやら知能があるらしい。ムカデの動きは徐々に速さも精度も増していき、激しさを増す攻撃はソフィアの白磁の肌を切り裂いていく。

 ソフィアは真祖のヴァンパイアだ。心臓から大きく外れた攻撃なんて、あっという間に回復し致命傷にはなりえない。ソフィアの魔力が尽きるのが先かムカデの脚が尽きるのが先か。消耗戦の様相を呈してきた死闘は、急に身を旋回するように動かしたムカデの一手で大きく崩れた。


 カァン。


 胴体を使った大ぶりの攻撃に、ソフィアのハルバードが弾き飛ばされる。

 ――しまった! そう思ったときにはもう遅い。


 ムカデの尾によって薙ぎ払われたハルバードは、くるくると回転しながら遥か後方、胴体だけとなった兎の近くまで吹き飛ばされてしまった。


 武器を失ったソフィアを見て、ムカデが笑うように顎を動かす。

「くそっ……」

 悔しげに歯噛みするソフィアを噛み砕こうと、(あぎと)を開けてムカデが襲いかかる。鋭い牙を剥いて迫るムカデに対し、ソフィアは退避を選ばず地面を強く蹴って飛び上がった。

「やぁああああっ!」


 空中で体を捻ると、ムカデの頭めがけて蹴りを放つソフィア。

 ガクンッ。

 柔らかな肢体を喰い散らかそうと開かれたムカデの口を、鋭い蹴りが跳ね上げる。強烈なアッパーカット。人間であれば脳を揺らす顎への一撃は、体の自由を奪いダウンさせるのに十分なのだろうが、相手はムカデだ。顎へのダメージは脳へ直接伝わらず、僅かに動きを鈍らせる効果しか発揮できない。


 それでも今この瞬間に、ソフィアの手にハルバードが握られていたならば、ムカデの脳へ必殺の一撃をお見舞いできたというのに。


 ヒュンッ。

「えっ!?」


 風を切る音と共に、ソフィアめがけてハルバードが投擲される。それも右手を狙った絶妙さだ。チャンスを逃さずハルバードを受け取ったソフィアは、すかさずムカデに止めを刺した。

 崩れ落ちるムカデと、軽やかに地上に着地するソフィア。


「な……、ナイスピッチ?」


 ぴょぴょん!

 彼女の勝利と自らのナイスアシストを喜ぶように、ソフィアにハルバードを投げて渡した首のない兎が飛び跳ねていた。


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