月明かりの下、この世の果てまで
夏乃様リクエストSS(キーワード「アモル」「最愛の貴方」)です。
お待たせしました!
そして、ついにアモルの姿が……!!! 眼鏡は脳内補正でお願いします。
「ねぇアモル、鬼ごっこをしましょう。アモルが鬼よ。捕まえられたら血を吸ってあげる」
「!! よろこんで」
ソフィアの提案に、アモルの尻尾がピンと立つ。
“血を吸ってあげる”なんて言い出す時点で、ソフィアは何か企んでいるのだろう。その程度アモルに読めないはずはない。けれど、これほど魅力的な条件を出されて乗らないという選択肢もまたない。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、据え膳喰わねばなんとやらだ。
もっともソフィアがどこまで逃げようと捕まえてみせるという自負も、ソフィアのどんな我儘を叶えられるという自信もアモルにはある。
甘やかな吸血の営みの対価なら、アモルはどんな望みにもこたえる所存だ。この場合、喰われるのは捕まえたアモルの方で、傍目にはソフィアが得るばかりに見える。けれど、それもまたピロートーク代わりに雌に喰われるカマキリのようで倒錯的だと考えているのだから、この悪魔はちょっとおかしい。
「あら、ルールも聞かずに即答しちゃっていいのかしら?」
「この私がソフィア様を見失うなどありえませんから」
「自信満々ね。いい? 私を追いかけていいのは月が出ている間だけ。もしもそれを破ったら、その時間の分だけアモルはこの城で待機するのよ。私が捕まらないからって、天使に狙われるような真似もしちゃダメ。配下の力を借りるのもなしよ、アモル一人で捕まえてね。ヤ・ク・ソ・ク、してくれる?」
ソフィアはアモルの首に両手を回し、鼻先が尽きそうなほどに顔を近づけて囁く。いつもより何倍もいい笑顔だ。全力でアモルを魅了している。悪魔であるアモルにソフィアのヴァンパイアとしての魅了は通用しないけれど、ソフィアが自分を魅了しているというその事実に、アモルは蕩けそうになる。
ソフィアを腕の中に閉じ込めて、その甘い声を、甘い吐息を心ゆくまで堪能したい。これほど蠱惑的に誘っているのに、口付けを求めるアモルの唇をソフィアは指先で抑えて「返事は?」と意地悪を言うのだ。
「約束、しますとも」
だから、今このひと時は、貴女を味あわせて欲しい――。
そんな空気をアモルは全力で醸し出していたし、この部屋にギャラリーがいたならば――実際は同じ空間にいるだけで糖分過多で糖尿病になりそうだという理由で、侍女たちは皆席を外しているのだが――、大急ぎでモザイク替わりの薔薇を用意しただろう。だがしかし。
「よっしゃ、言質取った! 契約成立。じゃ、今からね。ちょうど月隠れてるし」
アモルが約束するや否や、ソフィアはするっとアモルの腕から逃れて窓際まで一気に距離を取ると、「じゃーね」と手を振り空へと舞った。
「え? は!? ソフィア様!??」
先ほどまでの艶めかしさはどこへやら、元気はつらつ翼を広げて華麗なテイクオフを決めるソフィア。気分は高度以上にフライ・ハイだ。
逆に見送るアモルは茫然と見送るばかり。鬼ごっこの約束さえしていなければ、すぐにでも追いかけられたのに、うっかり色仕掛けにやられて同意してしまった以上、口約束でも契約は悪魔を縛るのだ。
(追いかけても逃亡時間が上乗せされるだけ……)
アモルにできることといえば、遠ざかるソフィアの影を見つめながら厚い雲に閉ざされた月が顔を出すのを待つだけだった。
■□■
「ってことで、来ちゃった。スース、久しぶりね。しばらく見ない間に見違えたわ!」
「ソフィア様、お会いしとうございました!」
一人きりの空の旅を楽しんだソフィアが、まず訪れたのはマーテルにあるスースの娼館『青い蝶』だった。ソフィアの急な来訪に、スースは配下の『青い蝶』のヴァンパイアたちが驚くほどの喜びようで、ぶわわわわ、と青い蝶がどこからとなく湧き出している。
「一段と蝶が増えたのね。とってもきれい。でも落ち着いて、この子たちしまって。この蝶々、お客さんの血を吸おうとしてるわよ」
「あぁっ、お見苦しいところを。ずっと、この子たちをソフィア様にお見せしたくて」
「a、a、a……」
小さい声で赤子蟲が自分たちもいるよとアピールしているが、スースはソフィアに夢中でそれどころではない。
訪問するだけでこんなに喜んでもらえるなんて、今まであまり構ってやれずに申し訳なかったなとソフィアは思う。まぁ、だいたいにおいてソフィアを独り占めしたがるアモルが悪いのだけれど。
「それであの、ソフィア様、お一人のようですが……」
「そうなの、聞いてくれる? アモルってばさー」
よくぞ聞いてくれましたとばかりに、スース相手に話し始めるソフィア。突如始まる女子会の参加者は、ソフィアにスース、そして物陰からこちらを伺う赤子蟲だ。この赤子蟲が女児なのかは不明だが。
ソフィア曰く、魂を与えて以降、「おはよう」から「おやすみ」まで、アモルの甘やかしが止まらないのだ。隙あらば吸血させようと首筋を差し出してくるのはもちろんのこと、最近はなんというか、ボディータッチが増えてきた。
これまでも紙一重くらいの距離に迫ってくることはあったけれど、ソフィアが望まない限り手を繋ぐことさえしなかったのに、最近は紙一重が日常で常に甘い空気を漂わせている。
「正直、甘すぎて砂糖を吐きそう。ここに来る道中、湿気た曇り空を飛んだせいで服も翼もべたべたしたけど、いつでもどこでもベタベタベタベタくっついて来るアモルに比べたら、よっぽど快適だったわよ」
「それは……」
「aー」
これは愚痴なのか、それとも惚気られているのだろうか。返事に困るスースに代わって赤子蟲が同意するように相槌を打つ。「わかるわ、ほっぺがぷくぷくだからってツンツンしないで欲しいのよね」とでも言いたげだ。
アモルからしてみれば、ソフィアを復活させ真祖にするまで、そりゃあもう、苦労や我慢の連続で、ようやく念願がそれも最良の形でかなったのだ。だいしゅきメーターがブチ切れるのもよくわかる。
だがしかし、ソフィアはそこまで盛り上がってはいないのだ。もちろんソフィアだってアモルのことは嫌いではない。ぶっちゃけ好きではあるのだが、こうも態度に出して迫ってこられると困ってしまう。グースカ寝てたソフィアとは温度差がありすぎる。
だから、正直、ちょっと距離を取りたくなったのだ。
「追いかけさせるのは、その……」
「Aa……」
スースも赤子蟲も、何か言いたそうにしたけれど、こんな時にヴァンパイアの鋼の上下関係が否定的な発言を阻害する。それに気づいているのかいないのか、興の乗ったソフィアの話は止まらない。
「あと、アモルってば束縛もひどいのよね。真祖になって昼間もそこそこ動けるようになったんだから、あちこち出かけたいじゃない」
こちらの世界で意識がはっきりしだしてからは、違和感や状況の確認に追われてそれどころではなかった。けれど状況がはっきりした今なら楽しめるだろうに。
「あっ、それは……」
「A、a、a―……」
一見同意のような声を上げるスース。しかしスースも赤子蟲も明らかにうつむきながら、視線をソフィアの後ろにちらっちらっと向けている。赤子蟲に至っては、なんだか観念したような響きを残して家具の影で小さくなってしまった。
「なるほど、それで“鬼ごっこ”ですか」
「うわ、びっくりした!」
ここまで来れば、もはやお約束だろう。ソフィアの後ろには、一体どこから湧いたのか、いつもより笑顔3割増しのアモルが立っていた。
どこから聞いていたのだろうか。やはり最初からだろうか。
本当に、人の背後を取るのが好きな悪魔だ。文句を言ってやりたくなったが、尻尾がかなり不機嫌そうに揺れている。
「ツカマエタ」
ソファーに座るソフィアの肩に手を置くアモル。背後に立たれたソフィアはアモルの表情を確認できないけれど、完全に青ざめているスースから嫌でも予想がついてしまう。
「コワイコワイ、怖いわよ、アモル。スース、ちょっと出てて」
「ははははは」
「ハイッ!」「A!」
絶対笑ってないだろう、というアモルの乾いた笑い声が怖い。
よっぽど恐ろしかったのだろう、ソフィアが命じると同時に、スースと赤子蟲は脱兎の勢いで部屋を飛び出していった。
これでまた、アモルと二人きりになってしまった。
ソフィアがぽんぽんと座面を叩き隣に座れと示すと、アモルは黙って着席し、なぜかソフィアを膝へと乗せる。両手どころか尻尾まで使って完全捕縛状態だ。
「ソフィア様は本当に酷い方だ」
「魂まであげたのに、まだ足りないの?」
「足りませんね。自分でも驚くほどに。
思えば貴女の魂をこの身の内に抱えて荒野を一人彷徨っていた時の私は、世界に生まれる前の卵のようにある種完全な状態だったのでしょう。あの虚ろな世界であなたと過ごした記憶が無ければ、貴女くれた心が無ければ、それでもよかった。餓えもなく、乾きもなく、私は力に満ちていた。
けれどそこに貴女はおらず、触れることも言葉を交わすこともできない。孤独で喜びのない、まさに荒野だ。
この肉体がどれほどの力で満たされようと、私の心は飢えて乾いて……。どれほど貴女を求めたことか。もう一度会いたいと、どれだけ願った事か。
どれだけの時間をかけて、どれだけの想いを込めて貴女を目覚めさせたか、ソフィア様は理解なさったほうが良い」
(うわぁ、重症化してる……)
アモルの愛の告白は、ちょっと病んでて重すぎる。落ち着かせた方がよさそうだ。こういう時はハグがいい。アモルが好みに合わせた盛った胸は、メンタルヘルスにいいはずだ。ぎゅう。
アモルが夢と希望を詰めて作った巨乳ならぬ虚乳――いや、そこそこ立派なお胸のお陰で、アモルも少し落ち着いてくれたようだ。虚乳であっても健康にいいのか。
「ソフィア様、……名前を、呼んでいただけますか」
「アモル」
「はい、はい。ソフィア様。
今だけは、その声も、その視線も、その表情も、思考さえ私だけに向けてください」
“今だけ”なんて殊勝なことを言ってはいるが、絆された先に待っているのはおそらく監禁バッドエンドコースだ。アモルはソフィアに嘘は吐かないが、本音を巧みに組み上げてソフィアの気持ちを縛り付けようとしているのだろう。
なんとなくそれが分かるから、ソフィアはアモルをどこか飼い主の視線を独占したがる猫か何かのように見ている。
ソフィアの魂はアモルの内に在るけれど、眷属の繋がりを介して目の前のソフィアの肉体の内にも感じられる。
悪魔に囚われてなお、輝きを失わない美しい魂。
愛を請うても迫ってみても、与えられるのはなだめるためのハグばかりで、心はちっとも落ちてはこない。そのもどかしさがアモルには堪らないのだ。
「この肉体は、ソフィア様によく似合う……」
ソフィアの頬に触れながらうっとりとつぶやくアモル。
「虚乳でも大きい方がいいわけ?」
「きょ……。あぁ、ソフィア様は元人間、肉体を持って生まれる種族ですからそう思われるのでしょうが。……そうですね、私たち悪魔からしてみれば、肉体など魂が纏う衣装、洋服のようなものなのですよ。ソフィア様も私に好みの服を着せて、似合っているとおっしゃるでしょう? それと同じです」
(つまりアモルは、“彼女のファッションに口を出す系男子”なわけね。しかも巨乳好きを否定してないし。なるほど、ちょっとウザイはずねぇ)
そんな本音は口に出さずに、ソフィアは「へぇ、そうなんだ」とだけ答える。
どうやらアモルは落ち付いてくれたようだ。闇落ちヨクナイ。
「さぁ、ソフィア様。約束です。勝者に貴女の口付けを。私は、
…………貴女に喰べられたい」
前言撤回、やはりアモルはだいぶアブナイ。
けれどソフィアはそんなアモルに促されるままに牙をむき、首筋へヴァンパイアの口付けを落とした。
「あぁ、……ついに」
身体を、尻尾の先まで震わせて、恍惚とした表情をアモルが浮かべたのも束の間。
ちゅうううううううううううううううううううううううっ!
「え、あ、ちょ、ソフィア様、それくらいで……。あ゛っ」
「ぷっは、これだけ吸えばしばらく動けないでしょ! それにしても魔力の高い血ね、太りそう。じゃっ、鬼ごっこの続きね。もう一回アモルが鬼よ! スース、スース―! この前預けてたお金、旅費にするから持ってきてー」
「はいっ、ただいま! って、アモル様!!?」
ソフィアに呼ばれて慌てて入室したスースが見たものは、割と半死半生状態でソファーに横たえられたアモルの姿だった。
「あ、しばらく寝かしといて。夜明けには復活してるでしょうから。じゃ、あとはヨロシク!」
「えええ!!?」
「AAa!?」
「ソ……フィアさ……」
ソフィアが予想した通り、アモルが復活できたのは夜がすっかり明けからで、“月が出ている間だけ”の縛りによって、ひたすら夜の訪れを待つことになった。
「あの空の雲間に見え隠れする月のように、ソフィア様の心はままなりませんね。……そこがまた、良いのですが」
今日も悪魔は月を待つ。
空を翔ける月のように慈愛に満ちた光を放ち、けれど決して落ちてはくれない愛しい人と会うために。
今日も悪魔は夜を駆ける。
愛しい人を追い求め、この世界の果てまでも。
アモル、性格ヤバいが、意外とチョロい。




