青い蝶
一 二三様リクエストSS(キーワード「スース」「後日談」)です。
お待たせしました~♪
「ねぇー、ダーリン。エルザは愛しいダーリンと永遠に自由に楽しく暮らしたいのォ。ダーリンの街が待ち遠しいわァ」
「すぐだよエルザ。マーテルの街を無事に出られたじゃないか。
だが約束だ、無事にたどり着けたなら僕をヴァンパイアにしておくれ。家の金と権力、そしてヴァンパイアの力があればボクは無敵だ! 大好きな血も悲鳴も永遠に楽しめる!」
不夜城とあだ名される歓楽都市マーテルを、1台の馬車が逃げるように後にした。
乗客は高級娼館『夜の蝶』の嬢であるエルザと、マーテルの夜の街の中でも飛び切り残虐な店の常連であるアラン。
禁断の恋の逃避行よろしく闇夜に紛れる二人の馬車は、マーテルの街の周りに広がる広大なキャベツ畑の真ん中で、ガクンと大きな石にでも乗り上げたように跳ね上がり、激しく揺れながら停止した。
「なっ、何事だ!?」
アランは御者に状況を確認しようと、馬車の小窓のカーテンを開ける。けれど、御者席に御者の姿は見えなかった。先ほどの衝撃で、跳ね飛ばされでもしたのだろうか。
「ちっ、仕方ない」
アランは状況を確認するために、馬車の外へと降り立つ。幸いにも馬車に目立った損傷はなく、馬も落ち着いた様子で立っている。
「アラン! アラン! 見つかったのよ! 急いで逃げてぇ!!」
馬車の中から叫ぶエルザの声に、仕方なく御者台へと上がったアランは、その時初めて大人しく立つ二頭の馬の首から上が消失していることに気が付いた。
御者はどこへ消えたのか。馬車が跳ねてからの短い時間で、一体どんな存在が馬の首を切り落としたのか。首のないその馬がどうして立っていられるのか――。
――AAaaー。
アランの脳裏をかすめる様々な疑問に答えるように、どこからか、赤子が泣くような声が聞こえた。
「いやっ、来たぁっ!!」
「ひっ。ま、待ってくれ、エルザ!!」
この赤子の声は知っている。
エルザは悲鳴を上げると馬車を飛び降り、アランを置き去りにして走り出した。女性とは思えない、いや人間の脚力など優に超えた速度で疾走するエルザに、先ほどまで恋人同士のように寄り添っていたアランという男の姿は、あっという間にキャベツ畑のキャベツのように小さくなる。
アランは大事な金づるだけれど、自分の命には代えられない。
それに、あの赤子の声が聞こえたのだ。今更助けに戻っても、喰い荒らされてキャベツの肥やしになっているだろう。
振り返りもせず必死で逃げるエルザの推測を裏付けるように、遥か背後の景色と化した馬と馬車はガサゴソと動く赤子大のものに覆われたかと思うと、崩れるように小さくなって跡形もなく消え去った。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイ……!)
次はきっと自分の番だ。
キャベツ畑が遠くに消えてもエルザは走りを止めない。森へと飛び込み、ドレスの裾が梢に引き裂かれるのも構わずに走る、走る。もしも捕まってしまったのなら、間違いなく殺されてしまう。
どれだけ走ったことだろう。赤子の泣く声も、ガザガザという不快な音もようやく聞こえなくなったころ、真っ暗な――けれどヴァンパイアの視界には隅々まで明るく見渡せる森の中に、ふわりと青い蝶が舞うのが見えた。
■□■
『夜の蝶』。
それは、一度でも店を訪れた客の大半が、それ以降、他の店に見向きもせずに通い詰めるのだというマーテルの名店だ。もちろんマーテルにはそれほど男を虜にする美姫がいる店が何店もあるが、『夜の蝶』に関していえば、在籍する嬢全員が魔性の美姫であるという。
それほどの美女揃いであるというのに、『夜の蝶』の嬢たちは自分をただの繭だと呼称する。では一体、蝶とは誰を指すのだろうか。『夜の蝶』のオーナーは青いドレスを纏う美女だというが彼女のことだろうかと、マーテルの男たちの噂は絶えない。
客たちは知らない。この店のオーナーがスースという名のヴァンパイアであることを。そして、この店の嬢全員が、彼女のしもべのヴァンパイアであることも。
ヴァンパイアたちに魅了され少しだけ血を吸われた客たちは、店で焚かれるサキュバス製の香の効果も相まって、最高の体験をしたと思い込んで帰っていく。ヴァンパイアに魅入られた男たちが、夜な夜な金と血を差し出しに来る、『夜の蝶』はスースにとって最高の狩場なのだ。
あの天使の襲撃の後もファタ・モルガーナ城でエルフの里を守る仕事をしながら暮らしていたスースだったが、冠位がトゥルーブラッドに上がった時点で、この店への異動をアモルに申し付けられた。
本社勤務から地方への転勤。しかも場所は、因縁のマーテルだ。
ソフィアとの蜜月を邪魔されないようにとの、アモルの陰謀ではないか。そもそもスースはソフィアの眷属なのに、どうしてアモルが辞令を出すのか。さすがは悪魔、容赦ない。
あんまりな異動にスースは言葉を失い、代わりにソフィアが怒ってくれたが、よくよく話を聞いてみるとスースが効率よく冠位を上げるのにこれ以上ない異動だった。
ソフィアの場合はアモルがせっせと命を集めて食わせていたが、スースには貢いでくれる下僕なんていないのだ。ヴァンパイアは血を吸ってなんぼ、配下を増やしてなんぼの魔族だから、人の街に紛れ込むのが一番だ。
今のような弱いままではソフィアの側にはいられない。それはスース自身よくわかっていたから、サクっと効率よくレベリングをするために、マーテルへの辞令を謹んで拝命した。
とはいえヴァンパイア・トゥルーブラッドの冠位でしかないスースには、自由意思を持つヴァンパイアの血族しか作れないから、トラブルは後をたたない。ソフィアに怒られたせいか、アモルが運営上のコツを教示してくれたおかげで何とかやってこられているようなものだ。
具体的にはエルザのような野心的なヴァンパイアが、『夜の蝶』の決まりを破って問題を起こすのだ。
■□■
「ねぇ、支配人。もっとエルザに新しい人回してよぉ。さっきのお客さんなんて、フケツでクサくて血だってオエッってしちゃうのよ。エルザ、お金持ちの人がいいなぁ~」
「ですが、エルザさんが担当しているお客様は、今でも他の嬢の方より多いくらいで」
「そんなこと言ったって、みんなあんまり来てくれないの。エルザ、魅力ないのかな? ねぇ、支配人はどう思う?」
エルザという嬢は、新人にも関わらず仕事に――吸血に積極的な娘だった。担当の客足が遅いのは、エルザの吸血量が店の定めを超えて多いせいで、客が弱って通えないのではないかと支配人は疑っている。
けれど、この蠱惑的な嬢に甘ったるい声で囁かれると、スースによって血を吸われ魅了抵抗がある支配人ですら、くらりと来てしまう。エルザに強請られついつい客を多めに流しているから、そろそろスースに見咎められそうだ。
「だっ、ダメです。これ以上は、スース様に叱られてしまう」
「支配人はぁ、ヴァンパイアになりたいんだよねぇ? ずいぶんと、お預けを喰らってるんでしょお? 可哀そうー。……エルザがぁ、血を吸ってあげよっか?」
ねっとりと耳朶を舐めるようなエルザの声が響く。
人間の街で暮らすには、日中に行動できる者が必要だ。だから支配人はスースに吸血されているがまだ人間のままだ。十分な働きをした暁には血族に加えてくれるという約束で、『夜の蝶』の支配人として働いているのだ。ヴァンパイアになりたくないはずはない。
毒のような言葉を吐くエルザ。その後ろから秋の虫の音のような涼やかな声がした。
「エルザ、ここのルールは覚えているかしら。あの日、私とした約束は?」
「こっ、これは、スース様!」
急に現れたスースに驚いたのは支配人だけで、エルザは驚いたようなそぶりを見せたものの落ち着いた声で返事をする。
「これはこれは、スース様。もちろん覚えていますよぉ。エルザ、スース様にとおっても感謝しているんですぅ」
「そう、でも本当に覚えていて? あなたを血族に加える時に、私が何と話したか」
「もちろんですよぅ。“存在のすべてを捧げるというなら、お前に新たな生を与えよう”ですよね。殺人ショーに送られて死にかけだったあの日のこと、忘れたりするものですか。はぁ、ほんっとにステキ、まるでプロポーズ。エルザはぁ、スース様のモノってコトですよね!」
「だったら、規律をきちんと守って頂戴」
「もちろんですぅー」
この『夜の蝶』にはいくつも厳しい規律がある。
逃亡や許可なく血族を持つことの禁止は当然として、見える場所に牙の痕を残してはいけない、店の外での吸血行為の禁止といったものから、客に高価な金品をねだってはいけないなんてものまでさまざまだ。1回当たりの吸血量さえ決められている。
ルールさえ守っていれば、支払われる多額の給金で高価な服や宝石、部屋を飾る装飾品が手に入るし、田舎に仕送りだってすることができる。ヴァンパイアになる前の、ぼろ雑巾のような待遇とは雲泥の差の、豪華な生活が送れるのだ。
「エルザ、可愛い娘。分かってくれているならいいの。そうね、貴女にお願いしたい客がいるの。お名前はアラン様。少し乱暴な方なのだけれど、とある商会からの依頼でね、近くの街の有力者のご子息だから丁重におもてなしして欲しいのよ」
「きゃぁ、うれしいですぅ! お任せください、スース様!」
有力者の子息と聞いて嬉しそうに声を上げるエルザ。
にっこりとほほ笑んだスースの瞳は、どこか昆虫めいていて一片の温もりも感じられない。エルザが裏切るだろうことを、スースは分かっているのだろう。
エルザの行く末を思い、支配人はほんの短い間だけ黙とうを捧げるのだった。
■□■
夜の森を舞う青い蝶に、エルザは自分をヴァンパイアにした『夜の蝶』のマダム、スースのことを思い出す。
あの時の約束を守っていれば、エルザは夜の森を逃げ惑うことはなかったのだろうか。
それとも、あのアランというバカ息子をあてがわれた時点で、こうなることは決まっていたのか。
(バカにして……。見てらっしゃい、人間なんて片っ端から血族にして、ずっと強くなってやるんだから! まだ夜は始まったばかりよ。夜のうちに近くの村まで行ければ勝ちだわ!)
森を逃げるエルザの高価なドレスは裾が破け、人間の脚力を超える疾走に華奢な靴はかかとが折れてしまっている。宝石の耳飾りも、一つどこかへ落としたようだ。
ひどい有様なのは腹立たしいが、エルザは自分を縛るマーテルの娼館『夜の蝶』から逃げたことを後悔していなかった。折角ヴァンパイアになって力を手に入れたのに、面倒な規律に縛られ、卑しい人間の男から血を掠めとって暮らす必要が一体どこに在るのだろう。
アランという寄生先を失ったのは痛かったけれど、『夜の蝶』から逃げることはできたのだ。自分ならスース以上のヴァンパイアにすぐになることができるだろう。
エルザは本気でそう考えていた。ふわりとまう青い蝶の方から、その声が聞こえてくるまでは。
「散歩にはちょうどいい夜ね、エルザ」
逃げるエルザの前を飛ぶ、青い蝶がしゃべったように思った。
「すっ、スース様!? 一体どこに……」
周囲を伺うエルザの周りにはふわふわと何匹もの青い蝶が飛んでいて、夜の森を幻想的に彩っている。
その蝶が一所に集まったかと思うと、そこにスースが立っていた。
「かわいいエルザ。きっと決まりを破って逃げだすと思っていたわ」
「聞いてください! これには訳が、そ、そう! スース様の為に私!」
必死でこの場を取り繕うとするエルザにスースはにっこりと微笑みかける。あたりに赤子蟲の声も気配も感じられない。血族上の親に当たるスースの前から逃げることは無理だろうが、直ちに殺されないならば、ごまかすことができるかもしれない。
何とか言い訳をしようと口を開こうとするエルザ。けれどスースはエルザが口を開くより早く無慈悲な言葉を投げかけた。
「言い訳なんて必要ないの。私、あなたみたいなバカな娘って好きよ。だって、……心置きなく私の蝶にできるもの」
スースの声に呼応するように、エルザの左胸に激痛が走った。ちょうど心臓の位置だ。
ドッドッドッと爆発するほどの激しさで心臓が脈打ったのは数回だけで、次いで、左胸から腹にかけてエルザの胴がボールのように膨れ上がる。
「ぎゃあああああ!!! 痛い、痛いいぃっ! やめて、スース様ァ!! 許ひ、ぇえeEe!!!」
叫びと共にエルザの口から吹きあがったのは刺激臭のある白い煙で、唾液と共に零れた液体がエルザの肌を焼いていく。おそらくは腹の中にあるモノが溶解液を出しているのだろう。膨れ上がった腹の中は、ただの人間であれば瞬時に溶けて絶命するだろう焼けただれた状態だろうが、ヴァンパイアの再生力がエルザの形をかろうじて保っている。
メリ、メリ、メリ。
まるで繭の中から蛾が羽化しようとするように、エルザの腹にいるモノが溶かしても再生する肉を限界まで押し上げる。
「イイイアアアアAAAAAAaaaaa――――!!!」
身体の内側を喰われ溶かされ掻きまわされて、その痛みはヴァンパイアの再生力ゆえ終わりがない。それはどれほどの苦しみだろう。
けれど、絶叫するエルザの苦しみは、その再生力の低さゆえ長くは続かず終わりを迎える。
バンッ。
重い音を立てて、かつてはエルザの形をしていた肉袋が弾け飛んだ。
飛び散った血も肉片も、森の木々を汚すより先に灰に変わって、その場に残っていたのはエルザの中から飛び出した、無数の青い蝶だけだった。
新たに生まれた蝶たちは、他の青い蝶と混ざってスースの周りを舞うように飛ぶ。
「これだけ蝶が増えたのだもの、ソフィア様も綺麗だと喜んでくださるわ」
先ほどの喧騒などなかったようにスースは心から嬉しそうに笑う。前にお会いした時は、水晶の薔薇の庭園にこの青い蝶が飛ぶ様子をご覧になって、とてもお喜びになったのだ。
マーテルに一人赴任するのは寂しいけれど、赤子蟲が羽化して生まれたこの蝶は赤子蟲より強力だ。何よりこの姿をソフィアが喜んでくれるのだから、マーテル行きの辞令をだしたアモルにさえも少しだけ感謝している。
ソフィアに叱られたせいなのか、アモルはマーテルに赴くスースに、こんなアドバイスをくれたのだ。
「ヴァンパイアという種族は、もちろん最上位階を除いてだが、必ずと言っていいほど滅ぼされる。その頻度は悪魔に比べて明白だ。どうしてだか分かるかね?」
「欠点の多い、弱い種族だからでしょうか。悪魔と比べれば、ずっと人間に近いですし」
「強い弱いの問題ではない。が、人間に近い、というのはある意味正解と言えるだろうね」
ヴァンパイアというのは、人間の近親種ともいえる。種としての覇権を争うからだろうか、エルフとダークエルフが反目しあっていたように、人間とヴァンパイアもまた、互いにいがみ合う傾向にある。
人間がヴァンパイアを恐れ忌まわしい魔物と滅ぼそうとするのは、生存本能として理解できる。
しかし、人間より強いはずのヴァンパイアの中にもまた、どれほど血族の長が共存を望んでも、人間に恨みを持つかのように血に狂う個体が出るのだ。
「裏切者が現れると分かっているなら、備えればいいだけのこと」
スースによってヴァンパイアにされた『夜の蝶』の血族たちは、皆、その心臓に赤子蟲のサナギが殖えられている。
『夜の蝶』の規律はすべて、人間社会に溶け込んで少しずつ、けれど着実に力を蓄えるためのものだ。彼女らが規律を守り、スースの、ひいてはソフィアの役に立つか、それとも青い蝶となって役に立つか。どちらでもスースは構わない。
「あぁ、いい夜ね。ソフィア様もあの月をご覧になっているかしら」
うっとりと笑うスースの周りを、青い蝶たちが舞い飛んでいた。
その翌日、マーテルのキャベツ畑で魔物に喰い荒らされたアランと御者、2頭の馬の残骸が見つかった。アランの残虐性と散財に頭を悩ませていた父親は、とある商会への内密の相談が成就したと知って内心歓び、まともな次男に家督を譲った。
レクティオ商会の後釜と目されるその商会は、支払い次第でどんな願いも叶えるという。あとあと面倒の種になる取り巻き連中も、『夜の蝶』という娼館で骨抜きになっているらしい。
これだけの内容が、アランが浪費する金額の数年分程度でカタがついたのだから、安くついたといって良い。これなら次男も安泰だ。
これからも、何かあればあの商会を頼ればいいのだ――。
アランの死を悲しむふりをする父親の耳に、どこからか石畳を打つ靴音が聞こえた気がした。
赤子蟲、再誕!
MJ画伯、ほんっと楽しいですね。
ですが、来月はSD画伯に変えるかもしれませんので、
MJ画伯挿絵を希望の方は、9/15までにリクエストお願いします。




