。 アモル *
聖女プリメラは、シシア教国から遠く離れた村へとスースが連れて行ったらしい。
天使を引き連れた状態で街を巡り援助を取り付け、『魔王討伐』に出かけたのに、全滅してしまったのだ。信奉者の半分は天使イズラフィールが喰ったと言っても、誰も信じはしないだろう。
一人生き残った彼女がシシア教国に戻ったとしても、良くて神の名を貶めた罪で処刑、悪ければ魔王の手先として拷問の上処刑。処刑か処刑の二択しかない。
そんな聖女プリメラを、誰も知らない場所に逃がしてやるとは、スースは打算であろうと側にいてくれたプリメラに恩義のようなものを感じているのかもしれない。優しくてほっこりする。さすがは赤子蟲のお母さんだ。懐かれているだけはある。
プリメラの状態だが、魂が視えるアモルが言うには、信仰というパイプを通して随分魂を吸われてしまい、もはや彼女は天使から見ても、悪魔から見ても全く価値がないらしい。
「あそこまでの抜け殻は私も初めて見ました。そうですね、セミの抜け殻に似ているでしょうか」
魂の抜け殻はセミの抜け殻に似ているらしい。どうでもいい情報だ。
人間にはそれなりに力のある魂しかなれないのに、来世はセミどころかその辺の雑草。あるいはミジンコだとか、ゾウリムシと言った状態だという。事実が悪口よりひどい。
それでも今の肉体があるうちは、普通に暮らせるし、心がけ次第ではましな来世もあるのだとか。プリメラが残りの人生を幸福に過ごせるかは彼女次第だ。
そして、ソフィアとアモルとは言うと。
「この城、アモルが作った物だったのね」
「お気に召しましたか?」
「器用で驚いた」
アモルから、事のあらましを聞いたソフィアは、ファタ・モルガーナ城を検分しなおしていた。細かい意匠や絵画などがソフィアの記憶と異なっていたのはそういうことか。
いくらソフィアが自分が死んだことを思い出すことで、魂が肉体を離れてしまう可能性があったとしても、ソフィアの肉体どころかファタ・モルガーナ城まで作るとは。感心を通り越して呆れてしまう。
(少し胸が邪魔だなっていうか、ちょっと大きい気がしたんだけど……)
もしかしなくてもこの悪魔の趣味か。そうなのか。
聞きたいような、聞きたくはないような。聞いてもロクなことにはならなさそうだから、聞かずにおいた方が賢いだろう。
ちなみに蜘蛛乙女の部屋はもぬけの殻で、眠り続けるプレイヤーも目覚めを待ち続けるサポートNPCも、この城にはいなかった。あの蜘蛛乙女のNPCは、今もあの電子の世界で主の目覚めを待ち続けているのか、それともそこにいるのは墓標にすらなれない、ただの電気信号なのか。
アモルから聞かされたシビュラの予想に過ぎないが、ソフィアたちが生きた世界は、いつか滅びの時を迎えて、どこか類似の世界に吸収されるか統合されてしまうらしい。その時が来たならば、あの虚ろな世界に数多に存在する、人類の抜け殻も墓守も、新しい命を得られるのかもしれない。シビュラにも、きっといつか再会できるだろう。
そう思えたソフィアは、空っぽの蜘蛛乙女の部屋を後にした。
■□■
ソフィアの記憶がすべて戻ってよかったことばかりではない。
「アモル、このワイン、味がしないんだけど」
「はい。ヴァンパイアであらせられるソフィア様は人間の食べ物を摂る必要はございません。栄養のないものに味を感じないのは道理かと」
察していた内容とはいえ、アモルがガンガンぶっちゃけてくる。
ヴァンパイアとは実に不便な生き物だ。栄養が混ざっていれば味は感じるそうで、今までは、まぁ、アモルの……というか、哀れな犠牲者たちの文字通り血と涙によって、美味しく感じられていたわけだ。
真祖になった今は、今までほど多くの栄養は必要ないが、長い人生、嗜好品は必要だ。
献血的な穏便な方法で、どうにかならないものか。
「とりあえず、動物とかから貰おうかしら……」
「真祖となられた方が、何をおっしゃいます。そんなことをなさらずとも、ここにあるではございませんか。どうぞ、お召し上がりください」
どうぞ、どうぞと首筋をさらしてくるアモルに、ソフィアは白い目を向ける。
これがしたくて、わざと味のないワインを出したのだろう。この悪魔め。
血液を自分で調達しようとすると、アモルが全力で邪魔をしてくるのだ。どうやら、首筋第2号は自分でなければ嫌らしい。
アモルはソフィアの眷属だけれど、ソフィアの魂はアモルのもの、という複雑な関係のせいか、アモルはソフィアに隷属していない。ソフィアにぴったり寄り添うのに都合がいいから、しもべとして行動しているだけで、アモルもソフィアも互いに縛り合っているくせに、基本的には自由なのだ。
いくらアモルが望もうと、ソフィアが望まないなら、首筋に噛みつくこともない。
「ワインくらい普通に愉しみたいんだけど?」
ソフィアの要求に、渋々といった様子でアモルは自分の指先を切り、血を一滴垂らしてくれる。
(美味しいのが腹立つわねぇ……)
たった一滴だというのに、途端にワインの芳醇な味わいが口に広がる。癖になりそうな甘美な味だ。アモルは何が何でも自分以外の血を吸わせないつもりだし、アモルがチョイチョイ混ぜてくる血は美味しいし。
(あー、いつかガブっていっちゃいそう)
アモルの思い通りになるのは癪なので、それまでは、せいぜい振り回してやるつもりではいる。
「話は変わるけど、あの天使、イズラフィールだっけ? 天界に帰ったのよね、また来るかしら?」
その後、シシア教国が新たな天使を召喚したという話は聞かない。
「こちらがおとなしくしている限りはこないでしょう。あれで合理的な連中ですから」
前回の襲撃は、アモルが人間の魂を狩りまくったのが原因らしい。
既に狩られた魂はソフィアの覚醒に使われて戻らないし、ソフィアが真祖となりこれ以上の乱獲はなさそうなこと、ソフィアの願いが穏便なものであることは、天使サイドも理解した。これ以上、魂の乱獲が起こらないなら、わざわざ討伐に来ることもないのだとか。
「天使と悪魔は対極の存在ですが、人間が夢想するような敵対関係にあるわけではないのです。我々悪魔にも役割がありますからね。天使と聖女を倒す恐ろしい魔王として、適度な脅しを与えたほうが、人間の信仰心が高まって喜ばれるくらいでしょう」
「ひどいマッチポンプだわ。
……マッチポンプと言えば、アモルってもともとこっちの世界の存在なのよね? 『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』で死んだ人間の魂をこっちに連れて帰るとか言ってたっけ?
ってことはさ、契約しなかったら、私の魂を持ってこっちに帰ってきたってことよね?」
「そうですね」
「ってことは、別に『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』の中で、一人でずーっと私の墓守をしなかったんじゃないの? こっちに魂が帰ってきた時点で、向こうのアモルは自我のないただのAIに戻るとか?」
「そうですね」
「いや、そうですね、じゃないんだけど……。え、何? 私、“アモルを一人にしたくない”って願わなかった? もしかして、騙された!? クーリング・オフすべき!!?」
「期間がすぎておりますので無理ですね。もう食べてしまいましたし」
HAHAHAHAHA。
幻聴が聞こえてきそうなほどイイ顔で笑うアモル。
食べちゃった、じゃないだろう。ソフィアの魂は、冷蔵庫に入れておいたプリンか何かか。
「えぇー……。わざとね、知っててわざと契約したわね」
「悪魔ですから。ですが、そう悪い状況でもないでしょう。ソフィア様の願いなら大抵のことは叶えて差し上げますよ」
ソフィアの最後の瞬間の慟哭は、一体何だったのだろう。しかしよく考えてみれば、“ソフィアを失いたくない”的なことは言っていたが、“一人になりたくない”とは言っていなかったようにも思う。嘘はつかないが本当のことも言わないのは、あの時からだったのか。
(……あの時アモルが言ってくれた言葉は、全部本音だったけどね)
嬉しそうに尻尾を振って笑うアモル。
本当に、この姿はズルイとソフィアは思う。最近は、少し可愛く見えてきた。
このヴァンパイアの肉体のせいなのか、それとも悪魔の誘惑にやられたせいか。今のソフィアの存在は大勢の血と涙と屍の上に成り立っているというのに、アモルとなら地獄も悪くないなんて思ってしまうのだ。完全に、どうかしている。
(サポートNPCに、アモルを選んだのが運の尽きだったわねぇ)
ふぅ、とため息を一つ吐いたソフィアは思考を振り払うように立ち上がる。
「気分転換よ! よし! 城の検分の続きをしましょう!」
「またですか」
「だって、私のベッドの下に地下室があるなんて知らなかったのよ? この城のこと、ちゃんと確認しなくっちゃ!」
「では、ご案内しましょう。さ、お手をどうぞ」
半ばやけくそで立ち上がったソフィアをエスコートすべくアモルが手を伸ばす。いつもははめられている手袋が今日ははめられていない。
エスコートなら腕を組むものだけれど、今日はなぜかおてて繋いでお散歩だ。
「こういうの、前もあったわね」
「地下の食糧を逃がした時ですね」
「……もっと前よ。アモルは覚えていないかもしれないけれど」
あの頃のアモルは本当にNPCらしかった。きっと、魂が宿る前、自我が芽生える前だったのだろう。
「……覚えておりますよ。いつもソフィア様は“伝わればいい”とおっしゃっていましたね。私は悪魔ですが読心術は持っていないというのに。折角です。何を伝えてくださっていたのか、教えてはいただけませんか?」
“ソフィア様はいつも無茶ぶりをなさる。”
そんなことを言いたげな様子で、アモルが尋ねる。
……この悪魔、頭はやたらと切れるくせに、ちょっと鈍いのではないか。
「私が伝えたかったのはね……。ハァ、もういいわ……ってちょっと!」
ぷいとそっぽを向くソフィアを抱き寄せるようにして、アモルが顔を近づける。
「私はここに至る状況を、詳細にお伝えしたのです。一つくらい教えてくださってもいいでしょう?」
眼鏡の奥に綺麗な紅の炎が悪戯っぽく揺れている。
ソフィアがドギマギするのが分かって、わざとやっているのだ。この悪魔は。
「名前! 自分の名前で分かるでしょ!?」
ソフィアは、脳筋ヴァンパイアらしく物理でアモルの胸を押し返し距離を取ると、スタスタと歩き出した。
ソフィアはアモルの姿も性格も、カスタマイズしていない。
自分のアバター作成で力尽きたとか、意外と好みだったとかいう理由だけれど、この姿こそがアモルのあるべき姿だったのだろうと今では思う。
けれど名前だけはソフィアが付けた。
一文字だけ、変えたのだ。
彼の種族特性にこう説明されていたからだ。
“夢魔から派生した上級悪魔。その種族特性から人に近い姿を有し、人の思考や心情の理解に長ける。契約者が望めば、相手の心に寄り添うように行動するが、その心に愛はない”
死にゆくプレイヤーに寄り添い、尽くす。けれど彼らに心はない。だから、残していくことに何の感情も持たなくていい。
そういう意図で書かれたフレーバーテキストなのだろう。けれど、それではあまりに寂しいではないか。
だからソフィアは、本来の名前“アゼル”を一文字変えて、こう名付けたのだ。
アモル――愛、と。
「……まさかAmor? いや、私の元の名はAzelですから、ゼをモに変えてAmolなら、スペルミスでは!?」
「うっさい! まんまAmorだったら、恥ずかしいでしょ! ほら、行くわよ。さっさとする!」
「………………えぇー。いや寧ろスペルミスに見える方が恥ずかしいのでは……」
「なぁに? 私が良いと思って付けた名前に、文句でもあるの?」
「いいえ。とても、とても光栄ですよ」
不死者としもべは、再び手を取り合うと歩調を合わせて歩き始めた。
確かにここは『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』の向こうの世界だ。残酷で、血なまぐさくて、ばかばかしい。
けれど、不死者と悪魔が手を繋ぎ歩いていくには、これくらいでちょうどいい。
長い時間を共に歩こう。
誰に祝福されることはなくとも。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ソフィア「……ねぇ、胸、ちょっと盛った?」
アモル 「ハイ。少しではなく、だいぶ盛りました」
最後まで、お読みくださいありがとうございました!
サブタイトル縦読みやら、AI画伯による挿絵やら、いろいろ遊んだ作品でしたが、クイズ参加やコメントくださった皆様のおかげで楽しく更新できました。ありがとうございます。
この後、Midjpurney画伯に描いてもらった挿絵(縮小なしver)紹介と、リクエストSSが続きます。
リクエストSSは不定期更新ですので、読みたい方はお気に入りに追加してもらうと確実かも。
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