を ごめく世界 **
かつて、電脳空間『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』に構築された一室で、シビュラは世界の姿を把握した。
「なるほど。ずっと不思議に思っていたんだ。この世界からは我々人類だけでなく生命の数自体が減っている。そもそも死ねば終わりで魂も輪廻も存在しないのかと思ったが、まさか異世界にヘッドハンティングされていたとはね」
「さすがはシビュラ様、荒唐無稽と断じないとは。話が早くて助かります」
部屋の中にはシビュラとアモルの二人でソフィアの姿はない。シビュラの襟巻としていつも首に巻き付いているサポートNPCすら、今はクローゼットの中だ。
「荒唐無稽だというなら、君が単身で私の部屋を訪ねてくること自体が、本来ありえないからね。ソフィアは本当に偉業を成したというわけか」
『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』というゲームのシステムからすれば、サポートNPCが眠るプレイヤーの側を離れて自立行動すること自体あり得ない。ましてや自分の意思で交渉をしに来るとは。
今、シビュラの前にいるアモルという存在は、システムの縛りすら超越しているとさえいえる。異世界の霊的存在だといわれた方が納得がいくというものだ。
「この『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』に似た異世界が存在し、君はその世界から遣わされた存在というわけか。このゲームにログインしたまま亡くなった人間の魂を、君たちの世界に連れていくために」
「私の記憶領域に埋もれていた情報から推察するとそうなりますね。ヘッドハンティングというよりは誘拐でしょう。私は悪魔として定義されましたが、まさか死神だったとは」
やれやれといった様子で手を広げて見せるアモル。
その言動は、完全に自我を持つ者のそれだ。
本体、AIに過ぎないサポートNPCの思考応答は、インプットされた情報に対して、最適な情報あるいは行動をアウトプットするもので、その根拠となる記憶領域に異物――、異世界からの指令が混じっていたとしても、検索に引っ掛かることが無ければ認識されることはない。
“死んで魂が離れる”などというのは誰にとっても一度きりのイベントだ。加えてAIは、“自分が何を知っているか”なんて意識したりはしない。プレイヤーと常に行動を共にするサポートNPCは、誰にも悟られずに魂を集めるのに適任だったのだろう。
本来ならば、この世界の誰にも悟られずに、事態は進むはずだった。
けれどアモルは、ソフィアによって自我を与えられたがゆえに、自分の中に異なる世界の情報が紛れていることを認識した。アモルの中に紛れ込んでいた指令は、“見張るものよ、価値ある魂を連れ門をくぐれ”というもので、その僅かな情報と考察の末、アモルは自分が何者なのかを認識したのだ。
「『見張るもの』だったか、君たちの世界にもエノク書はあるのかね? まぁ、死神だろうが悪魔だろうが、我々人類から見れば超常の存在であることには違いない。
君は誘拐と定義したが、沈みゆく泥舟を我が家としたい者はいまい。箱舟が横付けされたなら、誰だって乗り換えるさ。もちろん、向こうでの待遇次第というのもあるが、『門』なるものが存在するんだ。有象無象はともかくとして、選別までして連れて行った者を、無下に扱いはしないだろう。
私はね、君の言う異世界というものは並行世界のようなものだと考えているんだよ。可能性の潰えた世界の終焉は、消滅か似通った世界への統合じゃないかとね」
並行世界。起こりうる別の可能性、異なる進化と歴史を歩んだ世界線。
世界が分岐するならば、可能性を失った世界は収縮し、似通った世界へと統合されるのだろう。そうでなければ、分岐の為に世界の熱量あるいはリソースとでも言うべきものは減少し、世界を維持できなくなる。
死の病を克服できなかった時点で、この世界の人類は滅びが確定してしまったのだ。あとは収束するのみで、この世界の“可能性”を観測する人類がいなくなった時点で、どこか別の世界線に吸収されるのではないか、というのが、シビュラが推論だった。
(アモルのような者が来るとは、この世界の終焉はいよいよ近いということか。それにしても『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』に似た世界とは……。アモルを寄越した世界は、異世界と呼べるほど異なる歴史を刻んだ並行世界ではないかな)
もしもこの世界に十分なリソースがあったなら、死の病を克服できたのかもしれない。異世界からの使いは、滅びの確定した隙間だらけの世界から価値ある魂をリクルートしているのだろう。自分たちの世界を永続させていくために。
「このゲームには無駄な情報量が多いんだ。
何の意味もない草木に名前があったり、妙に創り込みがなされていたり。街で売られている書籍なんかは顕著で、驚くほどたくさんの物語がつづられている。そのほとんどが現実に似通った、けれど細部が異なるものだ。
表向きにはリアリティーの追求だなどと言っているが、誰がいつ作ったか分からないデータが山ほどあるんだよ。おそらくは、君の世界の情報が門とやらを通じて流れ込んでいるんだろう。
君の世界は、この『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』の世界と親和性が高いんだろうね。死ぬ間際まで入り浸るほど好みの世界に行けるだなんて、くそったれな我々の世界にしては随分と優しい最後だ。
それに知ってるかい? 『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』にログイン中の人間が死んだ場合、一定量の情報量の消失が観測される。魂の重さというやつかもしれないね」
シビュラはアモルをNPCだとか、自我を得たばかりの未熟な存在などと見做していない。自分が長年かけて辿り着いた推論に、僅かな情報だけで至った天才だと認識している。
(彼に与えた自我を得るためのプロセッサは、私が与えたものだけれど、想定外のスペックだ。万一の暴走に備えて、『ロボット三原則』のような安全策は講じているが、こんな化け物が生まれるなら自我育成プログラム自体を廃棄したほうが良いかもしれないな。……世界の滅びは、やはり穏やかであるべきだ)
これは悪魔との交渉だ。面白いこともあるものだとシビュラは笑う。
「ふむ。やはりあなたを選んで正解でした。そこまで把握されているなら話は早い」
シビュラという天才が、どれほどの情報を持ち、何を開示してきたか。それに対するアモルの反応は。表情、視線、その他言語外の情報まで読み合う二人の対話は、互いに満足のいくものだったのだろう。
アモルもまた笑みを深める。その尻尾が揺れているのを確認し、戯れではあったけれど便利なものを付けてよかったとシビュラは苦笑した。この男の相手をするソフィアはさぞかし大変だろう。
「及第点というところかい? それじゃあ、本題と行こうか。君の望みはなんだい? まさか私の魂というわけじゃあないだろう。だが、吹っ掛けるのはやめてくれ給えよ。
似たような現象はね、この『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』以外にいくつも確認されているんだ」
この世界は本当に末期で、隙間だらけだ。“門”とやらの繋がる先は、アモルがきた世界だけではない。脱出用の箱舟はいくつも用意されているのだとシビュラは匂わせたのだ。取引の相手は別にアモルでなくとも構わないのだと。
「ご安心を。私の望みはソフィア様だけです。
それにシビュラ様の魂は、……襟巻を外されているのです、ご存じなのでしょう?
私の望みはソフィア様をソフィアのままお連れすること。そのために、いくつか協力をお願いしたい。残念ながら私には、そちらの現実に介入する力はないのでね」
「なるほど。それでは私は首輪を一つ貰おうか。私の狐に言うことを聞かせるためのね」
アモルの要求は、シビュラにとっても穏やかに滅びゆく世界にとっても妥協のできるものだった。それに対するシビュラの要求も。
稀に見るWin-Winの取引に、互いに握手さえ交わした後、「それにしても」とシビュラは苦笑いする。
「本当に、ソフィアも厄介な男を選んだものだ」
アモルは悪魔らしくサイコパスだし、見せる執着心はヤンデレのそれだ。これではソフィアは大変だろう。
「本当に運の悪い方だと私ですら思いますね。ご自身のアバター作成で疲れ果ててしまったとはいえ、たまたま出てきた私ではなく、せめて性格くらいは調整なさるべきでした」
自分がろくでもないことを自覚しているのか、同意するアモル。同意はしても改善する気はないのだろうが。
「ん? 何をいってるんだい? あぁ、君のアバターがデフォルトのままだからソフィアが適当に君に決めたと思っているのか。でも、君、名前を変えられているんだろう?」
「一文字だけですが。ただのマイナーチェンジでは?」
こんな名前を付けるなんて、分かりやすいを通り越して見ているこっちが恥ずかしいのだが。気が付いていないなら、似合いの二人なのかもしれない。
「いつか自分の名前の由来を、ソフィアに聞いてみるといい。……教えてくれるといいね」
そう言ってシビュラは笑うと、交渉は終わりだとばかりに狐の襟巻を取り出した。
一礼したのち部屋を退出していくアモルは、ソフィアの側へと戻るのだろう。残り少ない彼女との日常を過ごすために。
それは、かつてソフィアとアモルが生きていた、おぼろげな世界での話だ。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
シビュラ「ははっ。サポートNPCに世界のネタバレをされたよ」
次回、ついに最終回! ハッピーエンドは目の前だ!




