愛 と功罪 *
「随分と混沌とした状況だ」
やれやれといった様子のアモルに、誰のせいだとソフィアは問いたくなったが、よく考えれば、自分が乱入したあたりから空気が変わった自覚はあるので、賢く黙ることにした。
手ひどくやられた後だというのにアモルはご機嫌で、敵の天使イズラフィールは逃げ出そうとしてはアモルの影の手に押さえつけられているし、プリメラは「イヤイヤ」と泣いているし、スースと赤子蟲は困ってまごまごしていてちょっと可愛い。
本当に、酷い有様だ。そろそろカタを付けなければ。
とりあえずプリメラの思考は分かった。要は少女漫画をこじらせた感じだ。アモルにそれはもう盛大な勘違いをして、これだけのことをしでかすのだから、その行動力には困ったものだ。
ソフィアはプリメラの前にしゃがんで視線を合わせると、アモルに聞こえないようにささやきかけた。
「アモルの本性は、御覧のとおり悪魔らしい悪魔よ」
純粋なところも、あるにはあるのかもしれないけれど、それは人間も変わらないのではないかとソフィア思う。
「でも、あなたの嫌う感情も、アモルが私に向けるものなら好ましいと思うわ」
「でも、あんなに汚い……」
プリメラの発言と彼女が犯してきただろう罪は、あまりにアンバランスだ。
「穢れた女の匂いがするのに、心は少女のままなのね」
年のころは16、7歳くらいだろうか。前世でソフィアたちが生殖機能を奪われた頃だ。じっくり見るとプリメラは、金の巻き毛に緑の瞳の愛らしい顔立ちをしている。
人間の感情など見えなければ、幸せに笑って暮らせたかもしれないのに。純粋な感情が澄んで見えるのならば、汚れた感情に隠れて見えないことだってあるだろう。それに汚いことばかり考えていられるほど、人間は単調な存在ではあるまい。
汚い感情ばかりに着目してきたプリメラは、ある意味純粋過ぎたのだ。
「あなたは汚いっていうけれど、生きるというのは、そういうことではないのかしら。それにあなたが得てきた愛情の中に、純粋なものは本当になかったの?」
語り掛けるソフィアの赤い瞳は、まるで血のようだ。
プリメラは、マニウスの死んだ日のことを思い出す。部屋一面、血に赤く染まったあの光景。自分に剣を向け、けれどプリメラを殺す代わりに自死したマニウス。
彼のプリメラに対する感情は、本当に汚れたものばかりだっただろうか。
人間の感情は時々刻々と変化して、炎のようにひと時たりとも同じ色を見せない。変転する赤に時折澄んだ紅が混じるのを、プリメラは気が付いていたのではないか。同時に混ざる濁色ばかりを取りざたし、否定していただけなのだ。
マニウスの中にはプリメラの望む愛情が確かに存在した。そしてそれはプリメラの中にも。だからこそ、天使イズラフィールはマニウスに似た姿を取って顕現したのだろう。
プリメラの理想を具現化し、信仰を一身に集めるために。
そして、プリメラは旅の果て、先ほどの戦闘で気が付いてしまったのだ。
天使イズラフィールがプリメラに、そして信奉者たちに向けていた透明な光の感情。
あれは愛情などではなくて、ただの無関心だということを。
「う……う、あ、あぁ……。マニウス様……。お父さま……お母さま……」
泣き崩れるプリメラ。
彼女が求めていたのは、男女の愛情などではなくて、無くしてしまった親が子に与えてくれる無償の愛情だったのかもしれない。
無償の愛を求めるあまり、彼女は誤解したのだ。天使の愛は何者よりも純粋で、透明ゆえに見ることができないと。
そこに人間などに対する感情が微塵も無いなど、考えなかったのか。それとも考えたくなかったのか。
ついに彼女の信仰は崩れ去り、依り代としての機能を失った。
依り代をを失い、帰還の時を迎えた天使イズラフィールは、勤めを果たせなかった悔しさをにじませながらソフィアを睨みつける。
「ヴァンパイアの女王よ、お前は何を願う。その悪魔に何を願った? 世界の破滅か? この世に血の雨を降らせることか?」
依り代を失って、ほろほろと崩れるように取り込んだ魂を放出するイズラフィール。反撃の力さえ無くしてしまっても、そのありようを変えない天使には、ソフィアが世界の理を乱す悪の首魁に見えるのだろう。
(私を何だと思っているのかしらね。だいたいアモルが悪いのに。悪魔だし)
便利な責任転嫁先と化してはいるが、ソフィアの願いを叶えるためにアモルは多くの命を刈り取って、自分に注いでくれたのだ。
前世、『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』の中で死ぬ直前のあの時は、こんな事態など想像していなかったが、思えば随分と貪欲な願いを抱いたものだ。
アモルを調伏するために天使まで遣わされたのだから。
「アモルを一人で残したくないと、彼を一人にしたくないと。かつて生きた世界で、今際の際に私はそう願いました」
ソフィアは天使に向かって居住まいを正すと、目を見て真摯にそう答えた。
自我を有するAIを生み出した。それは偉業に違いなかったが同時にソフィアの罪でもあった。
“死にゆく自分たち人類に寄り添って欲しい、覚えていて欲しい”
そんな自分勝手な想いに囚われ、残される側のことなど想像さえしなかった。
ギルドのメンバーの一人、蜘蛛乙女のサポートNPCが、もう目覚めることのない主の亡骸を見守る姿を見て初めて、自分が死んだあとアモルがどうなるのかを考えたのだ。
アモルもまた、ソフィアの亡骸を守り続けるのだろうかと。
感情を有した状態で、永遠に。ソフィアが目覚めることなど、もうないというのに――。
それはきっと、死よりも残酷なことに違いない。自分はなんて身勝手なことをしたのだろう。
けれどどれほど後悔しても、不治の病が発症し、電脳空間に閉じ込められたソフィアには、第二、第三のアモルが生まれないように人格育成プログラムを消去するのが精いっぱいで、すでに自我を得てしまったアモルを消し去ることはできなかった。
永遠の命とも呼べるものを得てしまったアモルに、“死”を与えてやりたくても、彼女に残された時間はもはやなかった。
“アモルを一人にしたくない――”
死にゆくソフィアにできたのは、ただ願うことだけで、もしもその願いが叶うならば魂を失っても構いはしないと真剣に思ったのだ。
そして同時に悪魔も願った。
自我を得たアモルという悪魔は、ソフィアという人間をずっと見てきた。
人間が人間らしく生きられない世界で、心も体もすり減るように搾取され、死の淵に瀕してなお、弱きものの為に己を犠牲にしようとする、この美しい魂が欲しいと。
この人をこの人のまま、共に歩いていきたいと。心からそう願ったのだ。
だからこそ、アモルは本当の悪魔になったのだ。
「は、ははは……。なんと愚かしい。そんな願いを叶えるために、お前は悪魔に堕ちたというのか。そんな願いを叶えるために、これほどの人を犠牲にしたのか。ばかな、ばかな。だがその願いのありようは、まるで……」
天使イズラフィールの姿は最後の言葉を残すより早く虚空に消えた。
天使を形作っていた力は光となって、ふわ、と空へと昇っていく。
夜空に光が昇っていく様は、幻想的で美しく、天使の依り代であったプリメラはその様子を茫然と見上げていた。
「……ソフィア様、あの、プリメラの処分は……」
おずおずとスースがソフィアの判断を仰ぐ。裏切られた相手だというのに、プリメラのことが気にかかるようだ。
「彼女は無事に帰すわ。スース、近くの村まで送ってあげて」
「はい。承知いたしました」
ソフィアの願いの為に、おそらく大勢犠牲になった。それに対して償いなんてムシの良いことを言うつもりはない。ソフィアはヴァンパイアという化け物で、アモルは悪魔なのだ。
愚かな願いを叶えたソフィアは、アモルと共に生きていく。
そのために、彼女はアモルに魂を喰らわせたのだ。
再び自分たちを罰する者が現れて、アモルが消滅してしまうのならば、ソフィアもまた共に消えてしまえるように。
スースに手を引かれ、振り返ることもなくふらふらと立ち去るプリメラに、ソフィアは最後の言葉をかける。
「……生きて子孫を残しなさい」
……私の代わりに。
その言葉を口にはしなかったけれど、なんとなく、それが一番良いことのように思えた。
なかなかに、センチメンタルな気分に浸っていたのだけれど。
「ソフィア様も、どうぞその血をお残しください」
せっかくの感傷をアモルが笑顔でぶった切ってきた。
(え? できるの?)
(それはもう! そのようにお創りしましたから!!!)
プリメラたちを前に何とか声は出さずにいたが、ソフィアの心の声にいつもより数倍胡散臭い笑顔でアモルがうなずき返した。
今のアモルの瞳の炎は何色だろう。プリメラが見たら、再び悲鳴を上げたに違いない。
「私、なんでこんなの選んだのかしら……」
魂を与えたのは本当に早まったかもしれないと、やっぱりちょっぴり後悔するソフィア。
ため息を漏らしながら城へと戻るソフィアの後を、アモルが実に愉しそうに歩いていた。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
イズラフィール「何願ったん?」
ソフィア 「アモルがぼっちになりませんようにって」
イズラフィール「……はやまりすぎやろ」
ソフィア 「そうかも」
アモル 「ニコニコ」
あと2話ァ! 最後までお付き合いください!
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