ア クマから逃れた二人の岐路 *
新たな天使の降臨に、シシア教国は沸き立っていた。
依り代となったのがプリメラといううら若き女性であったことも、民衆の支持を集める結果となった。
「悪魔の城から逃げ延びたらしい」
「悪魔の城で拷問を受ける者たちを献身的に世話し、癒していたらしいぞ」
「何人もの仲間を失いながらもこの国まで逃げ延びたらしい」
「マーテルの惨劇の場で唯一生き残ったらしい」
「神の加護があったに違いない」
「彼女は聖女に違いない」
口々にささやかれる噂は、概ね真実だから始末が悪い。
小さく舌打ちしたテレイアは、聖女の誕生に沸き立つ民衆を避けるように、教会へと向かう。向かった先は一般向けの礼拝堂ではなく、出入りの業者が使う裏口。そこで名前を告げると、テレイアは面会室へと通された。
「お久しぶりですね、テレイア」
「聖女様におかれましてはご機嫌麗しく」
「そんな仰々しい挨拶はやめて欲しいわ」
「さっきからそこの天使様があたいを睨んでるもんでね」
テレイアが通された面会室にやってきたプリメラは、巷の噂が誠であることを示すように一体の天使を伴っていた。
中性的な美しい顔立ちではあるがどちらかというと男顔だ。天使には性別が無いというから、この姿はプリメラの求める役割を反映したものかもしれない。
「この天使イズラフィール様は悪魔を滅するために降臨なさいました。人は誰しも罪深いものですが、イズラフィール様は人の罪をお許しになられます」
だろうね、とテレイアは口にしかけた言葉を飲み込む。プリメラがどうやって旅の資金を調達してきたか、人々の口の端に上らないプリメラの本性をテレイアは知っている。罪を許さない天使がプリメラのところに降臨するはずがない。
「それで、決心はつきましたか」
「いいや。あたいは悪魔の城にはいかないよ」
「どうして……。私よりテレイアの方がよほどひどい目に遭ったでしょうに」
天使を降臨させたプリメラは、天啓を受けあの悪魔を討伐する旅に出る。
もちろん道中の警護の為に聖騎士団が同行するが、その旅路にテレイアも同行しないかと誘われていた。天使からの指示でもなければ、戦力として期待された訳でもない。いうなれば、プリメラの善意によって復讐の機会を与えられたというわけだ。
「あたいの望みはさ、悪魔に脅かされることなく自分の力で生活してくってことなんだ。その点じゃ、このシシア教国に来たのは正解だったと思うよ。おかげで一緒に組んで仕事する冒険者仲間が見つかった。そこのプリメラの天使様みたいな、特別なヤツらじゃ無いけどさ」
それ以上のことを、テレイアは望んでなどいないのだ。
復讐なんてとんでもない。テレイアができた人間だからではなく、実力を弁えた結果としてだ。
テレイアは天使の方をちらと見る。
(あの悪魔たち、言葉は通じるのに話は通じちゃいなかった。力の差がありすぎるんだ。全く別の存在なんだよ。それに対抗できる存在が、どうしてあたいらの味方になってくれるって思えるんだ?)
悪魔たちも人間に近い姿をしていたが、天使もまた人間に近い。神々しくも美しい中性的な見た目に白い翼を持ってはいるが、一見すると話の通じる相手に思える。けれど悪魔を知った今となっては「悪魔と同じくとんでもない力を持つ存在だ」という畏れを抱かずにはいられない。
(別の生き物なんだよ、悪魔も天使ってやつも。晩飯に捕まえた野兎だって、死にたくないって暴れるけど、あたいらは気にせずシメて食う。言葉がしゃべれないだけで、やめてくれって気持ちは伝わってくるけど、それに配慮したりなんかしない。それと一緒じゃないか。言葉が通じるからって、どうして“話ができる”なんて思うんだ。まして、願いを叶えてくれるだなんて、どうして思えるんだよ)
テレイアはプリメラに視線を向ける。
天使に向けるプリメラの視線はどこか熱を帯びていて、恐怖とも信仰とも違う何かが混じっているように思えた。もしもプリメラに、悪魔討伐の旅を嫌がる様子が見られたなら、「そんなことやめて逃げちまえ」と言ってやりたかったけれど、天使と共にある今の状態こそがプリメラの本当の目的のように思えた。
テレイアだって、何を言われようとあの悪魔の城に行く気はないのだ。プリメラに何を言っても届くまい。テレイアの旅の終着点がこのシシア教国で、プリメラの終着点が悪魔の城だというだけだ。
「今日はさ、旅の間に借りた金を返しに来たんだ。一気に全額ってわけにゃいかないけど」
そう言って、テレイアは机の上にコインの入った袋を置いた。
「……返す必要はありません。あのお金は、私たちのもの、テレイアのものでもありますから」
「いいや。あれはプリメラの金だよ。残りの金も絶対に返す。プリメラがいない間は教会の誰かに言付けとくから」
旅の途中で離脱したカニスとスースの二人と、テレイアの持つ不自然な大金。テレイアが何をしたかは明白だ。二人の仲間を売ったのはプリメラで、この金はプリメラのものだ。そう、テレイアは言ったのだ。
「……ずるい人ね」
「ははっ」
この金が無ければ、このシシア教国まで来られなかったではないか。プリメラの責めるような視線をテレイアは笑い飛ばす。
テレイアが売られなかったのは、プリメラが理由を付けて差し出した書類に一切サインをしなかったからだ。護衛として役に立っていたこともあるかもしれない。どちらにせよ、実行したのはプリメラであって、テレイアではない。
「なんとでも。それでもプリメラ、あたいはあんたのこと、嫌いじゃなかったよ。……今まで、ありがとな」
テレイアはプリメラにそう告げると教会を後にした。
天使の存在を示すように教会の天井はやたらと高くて、薄ら寒いなとテレイアは思った。
プリメラたちの出立を待たずに、テレイアは明日、この街で出会った冒険者たちと中距離の仕事に出かける。この街に着いてから初めての本格的な冒険者としての仕事だ。パテッサの街にいた頃は勇気が根こそぎ刈り取られたかのようで、戦うなんてとてもできなかったけれど、あの街を出る頃から、少しずつ調子を取り戻していた。
(パテッサの酒場で、誰かに強い人だって、保証するって言ってもらえたお陰かもな)
プリメラが用意した男という逃げ場所は、確かに心地良かったけれど、やはりテレイアは自分の脚で歩きたいと思う。一度は立ち上がるのさえ難しくなってしまったけれど、それでもここまで歩いてこられた。剣だって、今では握れる。
天使だとか神様だとか人間の力が到底及ばない存在は、世界を守るとか、それこそ悪魔を倒すだとかいう、天上の問題を何とかするためにいるのであって、ちっぽけな人間のちっぽけな願いをどうこうするためにいるのではないとテレイアは思っている。
「ちっぽけなあたい達は、あたい達が好きな酒だとか温かい暖炉とか、自分の力で手に入れられる程度の幸せで満足すべきだと思うぜ、プリメラ。けどさ、せめてあんたの無事くらい、神様とやらに祈ってやるよ」
テレイアの呟きは、シシア教国を覆う曇天に吸い込まれて消えていく。
あの雲間が晴れた時、テレイアの祈りは神様とやらに届くのだろうか。
面会室に残されたプリメラは、返された金の袋を扉の向こうで待つ修道女に「ご寄付を頂きました」と渡すと、天使を伴い教会の奥へと戻っていった。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
プリメラ「一緒に悪魔倒しに行こうよ」
テレイア「行かない。バイバイ」




