フ ルエ、揺らぐ魂 *
――初めて恋慕を自覚したのは、祭りで賑わう花火の夜だった。
「きれいね、まるで、光が降ってくるみたい」
「落下物の心配はないと思われます」
嬉しそうに笑う貴女に、「そうですね」以外の答えを返したかったのに、浮かんだ答えはずっとつまらないもので、けれどもその答えを聞いた貴女は一層楽しそうに笑っていた。
うまく会話は続かなくても、つないだ手が離されることはなくて、二人の沈黙を埋めるように咲く光の華をずっと眺めていたいと思った。
宝石のように美しい思い出の数々。
二人だけが知っているそれは、実体を持たなかった私という存在を、貴女の中に残せる唯一つの方法で、私にとってかけがえのないものだ。
けれど、同時に今の貴女には滅びに通じる毒だった。
だから、封じてしまったというのに。
「きれいね、まるで、光が降ってくるみたい」
パテッサの祭りの夜に、どうして同じセリフを言ったのだろうか。
「アモルが溺れる時は、私も一緒ね」
そんな言葉一つで、笑顔の仮面を維持することすらできなくなって、背を向けるしかできない私に。
祝福された温かな身体ではなく、日にさらされるだけで灰と化す、偽りの肉体。
そんなものに囚われていても、貴女は変わらず貴女のままだ。
だから私は願ってしまう。
契約が果たされた先に続く時間に、変わらぬ未来があることを――。
■□■
「あ、あの……。アモル様、今日もソフィア様はお目覚めにならないのでしょうか」
ソフィアの部屋へと向かうアモルに、ソフィアの眷属として迎えられたスースがおずおずと声をかけた。
「日は沈んだばかりだというのに、随分と早起きなヴァンパイアだ」
棘を含んだアモルの言葉に、スースはうつむく。
かつてアモルとその配下にさんざん血を抜かれたトラウマは、ヴァンパイアになった今でも多少は残っているようで、酷く緊張しているようだ。アモルのことを内心怖れているのだろう、声をかけてきたのも初めてのことだ。
けれどスースはアモルの冷たい視線にさらされても、その場を立ち去ることはしなかった。
「……ソフィア様の眠りを妨げないその姿勢は、評価してやってもいい」
「あ、ありがとうございます」
ソフィアが選んだスースを害することは決してしないが、アモルはスースを疎ましく思っている。
スースがダークエルフだからではない。
単に、ソフィアから直接牙をその首筋に頂いた、最初の血族だというのが気に入らないのだ。ソフィアには悪魔であるアモルを吸血鬼にして血族に迎えることはできないにせよ、ソフィアから首筋への口づけを最初に頂くのは自分でありたかった。
(とはいえ、まぁ……。筆頭眷属である私は、あのように愛らしい口づけを頂いたわけですし。……ギリギリ、なんとか、妥協できなくもない)
元がダークエルフで虐げられてきたためかスースはとても控えめで、血族1号兼眷属2号という地位にあるくせに、けっして眠るソフィアの寝室に立ち入ろうとはしないのだ。
眷属である以上、ソフィアの異常に気付かないはずはない。何より眷属になったばかりの幼子のような状態だ。例え眠る姿であってもソフィアの側にいたいだろうに、けっしてアモルよりソフィアの側に寄ろうとしない。
こうして早くに起き出して、いつ出てくるか分からないソフィアをじっと出待ちしているのだ。
その弁えたふるまいが、アモルは嫌いではない。
(そういえばこの女、もう何日もソフィア様にお会いできていないな。
………………まぁ、筆頭眷属として、質問の答えをくれてやってもいい)
ソフィアが聞いたら呆れるほどの上から目線だが、アモルからすれば奇跡のような親切さで、アモルはスースに答えてやる。
「今日は久々に良い魂を手に入れた。眷属の繋がりを通して余さずソフィア様に献上したから、おそらくもうすぐお目覚めになるだろう」
「そうですか! ……あの」
ソフィアが目覚めると聞いて一瞬喜色を浮かべたスースだったが、すぐに言葉を濁らせると不安げな様子でアモルに聞いた。
「……ソフィア様は、どうしてお目覚めにならないのでしょう」
エルダー・ヴァンパイアになって以来、ソフィアの眠りの時間は長くなり、夜が訪れても目を覚まさない日もあった。本来ならば、エルダー・ヴァンパイアなど、力に満ち満ちていて精力的に活動するだろうに。それが、スースには不安なのだろう。
原因は明白だ。ソフィアが自分の死を自覚したからだ。
ヴァンパイアとしての冠位が上がれば、封じた記憶が蘇ることは想定されたことだった。死してなお活動を続ける今の状態こそ異常であって、魂は本来あるべき場所へ還ろうと揺らぎ始めているのだ。
伝承によると、吸血鬼というものは鏡に写らないらしい。
ヴァンパイアは強靭な肉体に強力な魔力、美しい容姿を持つ超越者であり、灰と化しても蘇る不死の王であるはずなのに、実は肉体と魂の結びつきの弱い、儚い存在であるという。
それを知った時、ソフィアがヴァンパイアであることが、アモルにはひどく腑に落ちたことを覚えている。
(たとえ腑に落ちたとしても、たとえそれが摂理であろうと。そんなことを、許せるはずがないではないか。この魂は、私のものだ。契約の対価に手に入れたものなのだ。望みを叶えてやったなら、その時こそは……)
背を向けたまま沈黙するアモルから一瞬漏れ出た魔力に、スースはびくりと体を固くする。
穏やかな笑みを崩さないこの悪魔が内に秘めた感情は、スースが知ってよいものではない。
「スース、継の間への入室を許可します。そこでソフィア様を待つといい」
「あ……ありがとうございます」
スースの問いには答えない代わりに、ソフィアの居室への入室をアモルは許可する。
ソフィア付きの侍女である、マヤリスやウィオラたちも出入りしている部屋だ。眷属であるスースを入れても問題はない。
(スースにはソフィア様の為にもっと力を付けてもらわねば。そのためにも忠誠心が高くて困ることはない。
まだ、ソフィア様の願いは道半ばだ。願いを叶えて差し上げるためには、この魂を手にいれるには、エルダーであってもまだ器が弱すぎる)
アモルはスースを継の間に残し、一人ソフィアの寝室へと入る。
豪奢な天蓋のベッドの中で、呼吸すらせず乙女が眠る。
ヴァンパイアの眠りとは、本来あるべき死体への回帰だ。
完璧に近づけた肉体に魂を閉じ込めて、夜の間だけ偽りの生を謳う。
ヴァンパイアが太陽のもとで灰になるのは、その偽りが暴かれるからだろう。けれど偽りが何だというのか。誰が定めた偽りか。
アモルは眠るソフィアの頬に触れる。ひやりと冷たいその肌は、生者のそれではないけれど、確かにここに存在している。閉じ込めた魂は、今もなお美しい輝きを失ってはいないのだ。
この肉体が完璧なものとなったなら、偽りさえもきっと真実になるだろう。
その時こそ彼女の願いが叶うのだ――。
ピクリ、とソフィアの目蓋が微かに動いた。今日手に入れた聖職者の魂の力で、彼女の器はまた少し完璧に近づけた。
死んだソフィアに再び会える。その奇跡の為ならば、悪魔はいくらだって魂を捧げるだろう。
「おはよう、アモル。私、随分長く寝ていたのかしら」
ゆっくりと目を開いたソフィアが笑う。その問いは、寝坊を確認するようにも己の状態を察しているようにも取れる。自分の存在が不安定になっている自覚が、きっとソフィアにはあるのだろう。
「おはようございます、ソフィア様。そうですね、月はとっくに昇っておりますよ」
嘘が吐ければどれほどいいか。
悪魔は契約者に嘘はつけない。うまくはぐらかすことでしか、残酷な真実からソフィアを遠ざけることはできない。
「本日は、何をいたしますか?」
「そうね。たまにはアモルのやりたいことでもいいかもしれないわね」
「私のやりたいことですか。それではまずはお食事を。どうぞ、私の首筋から」
「ブレないわね」
呆れたようにソフィアが笑う。首筋をさらして迫るアモルを押し返す。血を吸ってもらえないのは残念だが、押し返す手の力強さがソフィアの存在の確かさを示すようで、アモルはそれすら嬉しいと感じる。
「あれ、スース隣にいるわよね? あの子のこと、アモルに任せきりだったわね。そうだわ、今日はスースの歓迎会をしましょう」
「……私のやりたいことをとおっしゃったのに」
「あれ? もしかしてアモル、焼きもち焼いてる?」
「は? なぜ私が? あのような者に対して?」
「いやいや、尻尾。ほら、テシテシしてるじゃない」
なんてくだらない会話、実に意味のない一日。
そんな誰にでもある日々を繰り返すために、悪魔は誰かを踏みつぶすことを厭わない。なぜなら彼に触れるこの手こそが――。
すべては願いを叶えるために。
――魂を狩り漁る悪魔の所業は、世界の均衡を乱すものである。森の城に住む悪魔は、人間の敵であり、滅ぼすべき魔王である。
シシア教国、いやこの世界を真に支配するモノが、ついにアモルをそう認定したことを、ソフィアは気がついてはいない。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
スース「ソフィア様、ヤバない?」
アモル「ヤバないわ! この手で絶対大丈夫にするんや!」
???「悪魔ちょっとやりすぎDEATH」




