そ れを知る術はないから *
理性が叫ぶ。思い出さなければいけないと。
全てをつまびらかにしなければ、運命とは向き合えない。
けれど同時に本能が叫ぶのだ。思い出してはいけないと。
思い出してしまったら、きっと、今の形を保てない。
世界も身体も価値観さえも変わってしまって、何も定まらない中で、大切なものだけは見失わないように、ソフィアはどっちつかずな停滞をずっと選択してきた。
けれど水が高きから低きへ流れるように、時が止まらず流れるように、変わらぬはずの不死者たちの永劫さえも、運命は押し流してしまうだ。
「アモルが何ですって?」
「なんだか最近のアモルって、AIっぽくないんですよ」
シビュラさんとそんな話をしたのはいつの頃だったか。
「なんか、最近ムカつくの。……そうなるように仕向けたのは私なのにね」
「所有欲? それともこれが子離れできないって現象かしら。なんにせよ、ソフィアがそう感じるほど変化しているなら興味深いわね。少し診てもいいかしら?」
「あ、診てくれます? アモル、ちょっとシビュラさんのところに……」
「お断りします。さ、ソフィア様、そろそろお休みになられては? 明日も早いとおっしゃっていたでしょう? それではシビュラ様、ソフィア様はこれにて失礼いてします」
「ちょ、アモル!? こういうとこなんですよ、シビュラさん。ただでさえ何考えてるか分かんないのに」
「……本当に面白いわね。あぁ、今日はログアウトしてくれていいわ。そうね、アモルの考えが分かりやすくなるMODでも作っておくわね」
そう言ってシビュラさんが作ってくれたのが、アモルの感情が尻尾で分かるMODだったから、この記憶は『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』を始めてしばらくたった頃のものか。
MODのお陰で嬉しいと意思に反して揺れるようになった尻尾に、アモルは珍しく嫌そうな顔をして、尻尾をぺたんと地面に付けていたのが印象的だった。
その様子が面白くて、二人きりの自室で、よくアモルの頭を撫でてやった。そうすると顔はどんなにポーカーフェイスに徹しても、彼の尻尾は嬉しそうに揺れるのだ。おそらく感情を知られるのが恥ずかしいのに、こうして触れて欲しいのだろう。どちらも、AIで思考するNPCの持つ感情ではない。
アモルは成功例なのだ。まだまだ未熟で、子供のような感情だけれど、ソフィアは人の作った人工知能に、感情を、自我を持たせることに、おそらくは世界で初めて成功したのだ。
かつて人間の脳をコピーすることでAIがより人間らしく振舞うという実験結果があった。ただ、特定の個人を丸々コピーするというのは、倫理的に問題があるし、同一人物が複数存在する事態を招く。そこで、人類が幼少期から墓場まで電脳空間で過ごしたすべてのログを集積し、学習データとすることで、人類はAIを進化させてきた。その結果自然な受け答えができる高度なAIが誕生したが、そこに感情や自我といったものまでは発生しなかった。
電脳空間には何千、何万という人間の記録が溢れかえっていたのに、どれほど学習を繰り返しても、AIはプログラムに過ぎず、個性や感情、自我と言ったものを取得できなかったのだ。
彼らは人類の生存と繁栄、幸福を是とし、より合理的に正解を導き出す学習を繰り返す。そう定義づけられているがゆえに論理が破綻することはなく、非合理を許容することができなかったのだろう。
“所詮は機械。生まれず生きず死なないものに、生命の機微は宿らない”
そう結論されたテーマにソフィアが着手したきっかけは、滅びゆく人類に寄り添って欲しいという単純なものだった。
いつか自分が死ぬ時に、そばで見守っていて欲しい、自分が生きていたことを誰かに覚えていて欲しい。助けて欲しいと伸ばした手を、助けられなくても構わないから、せめて握っていて欲しい。
そんなシンプルなものだったのだ。
そう、鍵は『手』にあった。
当時、電脳空間に職を持つ人類は、ライフワークの一環として全員に何らかの研究が課せられていた。これはAIでは補いきれない人間が持つ多様性、新規性を確保するためのもので、テーマが自由である代わり一定以上の成果を上げない限り予算は付かない。
だから、ソフィアはAIに自我を持たせる研究を当時遊んでいた『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』の中で行った。幸いなことに、ここにはソフィアの研究に興味を抱き、強力にサポートしてくれるシビュラという天才がいた。
「私、前から思っていたんですけれど、AIには『個性』が無い以前に『個』ではないでしょう? そこに個性なんて宿りようがないですよね」
「それは、AIが得た情報や経験がサーバ全体で共有化され、平準化されるということ?」
「それもありますし、なんというか、自分と他人を隔てる壁もなければ、他人を認識するための『手』もないんですよ」
そう言って、そばに控えるアモルの手を取るソフィア。
この頃のアモルは自我が芽生えていないから、人形の手を取ったような極めて無機質な反応だ。
「こうして触れられると、AIは“なぜ触れられたのか”を考えるでしょ。触れた人間の思考を分析し、該当する望みを想定し、それに対してアクションを返す。今なら“説明目的の接触のため、現状維持が推奨される”とか考えてるんでしょう。違う? アモル」
「おっしゃる通りです」
「じゃあ、アモルはこうして触れられること自体に何かを感じたりはしないの? 私に触られてうれしいとか、嫌だとか、いい加減放して欲しいとか。あぁ、前提条件として、私はアモルに特別な感情を抱いていないという点を付け加えるわ」
「お仕えする方からの接触は喜ばしいことかと」
「それは担当する人間との距離の最適値は、人間側からの接触距離に準じて設定する、ということよね」
「おっしゃる通りです」
アモルとのやり取りの後、ソフィアはシビュラの方を向き直る。
「今のやり取りからも分かるように、アモルは触れた私の状態については思考しても、触れられた自分のことは何も考えていないんです。おそらくつねったり、叩いても。それって、単純に距離だとか接触の強度を測定しているだけですよね。『触れる』こととは根本が違うように思うんです」
「なるほど。実にソフィアらしい感覚的な意見だ。あぁ、けなしているわけではないよ。電脳適性が高いソフィアだからこそ感じ取れたものだろうし、何より、それこそが人間らしい意見だと思う。ずっと電脳空間にいる私にはない発想だ。
実に興味深い。ソフィアの研究に役立ちそうなものが幾つかあるんだが、試してはみないかい?」
そうしてシビュラがソフィアに与えたものは、自分と他人を隔て認識する『手』とも言うべきものだった。
アモルの人格プログラムをサーバから切り離し、サーバとのデータの並列処理を停止する。同時に人間が知覚しているものと同じ、味覚や触覚など五感に関する信号を与えた。それを処理するプロセッサもシビュラが設計した特注のもので、それを搭載することで、AIに他者と触れ合うというメソッドを実装させたのだ。
このようなゲームシステムへの介入は、承認されるなんて通常ありえないのに、ソフィアの計画書にシビュラが連名でサインすることで通ってしまったのだから、シビュラはやはりただ者ではなかったのだろう。
その結果、“生まれた”のが、ソフィアの知るアモルだった。
後でシビュラから聞いたことだが、過去にも同様の手法で人格形成を試みた者はいたそうだけれど、そこに自我が宿ったという記録は残されていなかったらしい。
失敗したのか、それとも成功したけれど、結果を開示しなかったのか。
失敗したと仮定して、アモルが成功したのはシビュラのプロセッサが特別だったのか、それともソフィアのアプローチに何か鍵があったのか。
なにより、アモルという成功例の後に、同様の成功例が誕生したのか――。
それを知る術はない。
なぜならば――。
(そうか――。やっぱり私、死んだのね)
薄々気付いてはいたけれど、発病してしまったソフィアは電脳空間に繋がれたまま、最後の時を迎えたからだ。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ソフィア「あ、NPCだったアモルに自我を与えたの、私だったわ。あと、やっぱ死んでた」




