返 事のない問い
「それじゃ、ファタ・モルガーナ城へ戻りましょうか。アモル、人目につかないよう先導してちょうだい」
騒乱の元凶の女王蟲はソフィアが始末し、苗床となっていたスースも支配下に納まったから、マーテルの混乱もじきに落ち着きを見せるだろう。娼館丸ごとの失踪にここが災いの中心だったと気づく者も現れるかもしれないから、混乱している今のうちに撤収するのが正解だ。
「レクティオ商会のマーテル支店にご案内いたします。仮設ですが“門”がありますのでそこからお帰り頂けます」
「門あったの? マーテルに来る時は街の外に転移したわよね?」
「私を置き去りにして呼んでも下さらないツレない方がいらっしゃったので、急いで作らせたのですよ」
「うわぁ……」
“門”というのがどのように作られるものか、ソフィアは知らないが、簡単にできるものならとっくに作っていただろう。作りかけだったのかもしれないが、突貫工事をさせられた支店の悪魔は大丈夫だろうか。酷使され過ぎて消滅していないか少々心配だが、ここで他の悪魔の心配をしてアモルが拗ねてもいけないから、ソフィアは話を変えてみる。
「あー……。スース、外の蟲がどうなったわかる?」
「は、はいっ。外の蟲はソフィア様が女王蟲を殺してくださったお陰で、私の支配下に加えることが叶いましたので、いったん土に戻しています」
「……アレ、支配下に入ったんだ。すごいわね」
ソフィアの視線を独占したいアモルと対照的に、スースは目立たない位置で佇んでいるが、とんだルーキーをゲットしたのかもしれない。ヴァンパイアは虫や蝙蝠や狼を使役するが、赤子蟲はそれよりだいぶ強いだろうに、あの赤子蟲を手足のように使えるらしい。しかも、次からはどこでも土から生み出せるというから、期待の大型新人だ。
血族の長が肉弾戦特化型とは思えない器用さである。
急にキャベツ畑から現れた赤子蟲が、これまた急に土塊に戻ったことで、マーテルの街は更なる混乱状態となっていた。
警戒を続ける者、災難が過ぎ去ったと安心する者、火事場泥棒を見つけて暴れ出す者、神の奇跡を叫ぶ者など、バラエティー豊かな混乱ぶりに収拾がつかない状況だ。
おかげでソフィアたち三人は、誰の目にも止まらずにレクティオ商会の支店まで移動し、そこに設置された転移門を使って城まで戻ってくることができた。
ちなみに赤子蟲がどうしてあんな形をしているのかというと、赤子は娼館という場所に、蟲の部分はスースの恐怖心に起因しているのだそうで、スースとしては、赤子蟲より娼館にいた手の平サイズのゲジっぽい蟲の方が怖いらしい。
ゲジっぽいのも気持ちが悪いが、赤子蟲もかなりグロテスクな見た目な上に、スースの恐怖の象徴だろうに。ヴァンパイアになって恐怖を克服できたのだといっても、メンタルが鋼すぎる。いろんな意味で強い眷属を手に入れられたようだ。
時間が経つにつれ、スースと繋いだ血の絆が強固なものに変わっていき、そこから多量の魔力が流れてくるのがソフィアには分かる。
スースはまだノーマル・ヴァンパイアだが、赤子蟲を支配下に置いたせいか、元が魔力量の多いダークエルフだからか、魔力量の多さにおいてもありえないレベルだった。すぐにトゥルーブラッドに上がりそうだ。
アモルから流れ込んでくる魔力は、力関係が反転しているせいかアモルにしては控えめだけれど、それでもスースのものより格段に多い。急激に増える魔力に、意識が飛んでしまいそうになる。というか、実際かなりくらくらしていて、横になってしまいたい。
エスコートするアモルがさりげなくソフィアを支えているから、分かってやっているのだろう。
「スース、貴女本当によかったの? ヴァンパイアになってしまって」
意識が飛んでしまう前に、これだけは聞いておかねばなるまいと、城に到着する前にソフィアはスースに尋ねた。
「はい。私の心はあの悪魔の城に囚われたまま、助けを求めて叫びつづけていました。ずっと、ずっと。
ですが、真に手を差し伸べてくださったのはソフィア様だけでした。
悪魔の城での拷問も、その後の苦しみも、頼った者に売られたことさえ今この時の為だったのだと、感謝すら覚えます。
あなた様に仕えるために私の心はあの城に留まっていたのだと、ようやく理解できました。
私では力不足であることは重々承知しています。ですから、末席で結構です。どうか末永くお側に御置きください」
そう言って、きらきらとした眼差しを向けるスースを、ソフィア複雑な気持ちで見る。
弱った人間に手を差し伸べて引き上げてやれば、恩義が心に刻まれる。何も持たない者に、美しい物を与えたならば、宝物にもなるだろう。
ヴァンパイアとして血族に加われば親への愛が心に芽生え、眷属として長を得たならその心に揺るぎない忠誠が芽生えるのだから、両方を同時に手にしたスースへの影響は如何ほどだろう。
スースは今、不死がもたらす万能感と再誕という黒い奇跡への感動、恐怖と苦難から救いだした恩人への感謝、そしてその人が血族の長であり、眷属として仕えるべき主であるという状況ゆえに、信仰にも似た敬愛に打ち震えているのだ。
不安定だったスースの精神は、ソフィアという絶対の存在によって金剛石のように確固たるものへと作り替えられた。彼女の中でソフィアという存在はまさにダイヤモンドのように硬く尊いものだろう。
けれどそれは本当に、かけがえのないものなのだろうか。
ダイヤモンドは硬いが同時に脆いのだ。
「時間はたっぷりとあるわ。貴女にとって本当に意味や価値のあるものを探しなさいな」
無言のまま、「それはソフィア様です」と言わんばかりの眼差しを向けるスース。
その忠誠心は眷属ゆえのものだと話したところで、今は意味がないのだろう。
長い夜の果てに、スースの幸福が見つかればいいとソフィアは思う。
相当のエネルギー、熱量と圧力を与えてやれば、ダイヤモンドなんてものは人の手でも作れてしまう。いくらでも代わりの物は見つかるだろう。
それでも、もし、長い夜の果てに絶望しか残らなかったのならば――、その時こそ永遠の眠りを与えてやればいい。
望まぬ生を過ごすなら、この手で葬ってやることも血族の長の務めだとソフィアは思っている。強くて役に立つ眷属を物のように集められるのはゲームの世界での話で、感情と自我を持つ人に対しては、同じ人として真摯に向き合うべきなのだから。
■□■
アモルの夢幻回廊で城に戻ったソフィアは、スースを侍女に任せると、自室へと戻った。
侍女たちの手を借りて何とか体を浄めると、日課のワインも断って寝室に下がる。
初めて持った眷属は破格の者たちで、時間と共に強固になる血の絆から流れこんでくる魔力は濁流のようだ。特にアモルから注がれる魔力は、城に着くなり膨大な量に変わっていて、急速に器が満ちていく感覚に意識がもうろうとする。
「ソフィア様、意識をしっかりお持ちください」
「アモル。……分かっているなら、少し魔力を止めて欲しいのだけれど」
「それは出来かねます」
くらりとよろめいたソフィアをアモルが抱き留め、そっと抱き上げると、薄絹でも扱うような繊細な手つきでベッドへと横たえた。
「ソフィア様に、私の何もかもを差し上げたいのです」
慈しみに満ちた表情で、アモルはソフィアを見つめる。
同時に、念願の成就を見守るどう猛な笑顔を、この悪魔は浮かべている。
それはそうだろう。
アモルはソフィアの眷属に納まる、この時を待っていたのだ。
ヴァンパイアの器を満たすのは、まっとうな方法では何十年、あるいは何百年かかるか分からない。ソフィアに自分の持つ魔力を流し込み、その時間を縮めるために、この悪魔は自ら眷属になりたいと望んだのだから。
血を通じ、人だけでなく血族からも魔力や生命力――命を集められるヴァンパイアは強力だ。
けれど、魂というものは命の何万倍ものエネルギーを持っている。それを狩り集めることができる高位の悪魔はヴァンパイアより上位の存在だ。もし、その悪魔が眷属として魔力を提供したならば、どれほど効率よく器を満たし、どれほど早く冠位を上げられるだろうか。
ソフィアは自分というグラスに注がれたワインが、淵を超えて盛り上がるのを成すすべなく感じていた。やがて表面張力の限りを超えて、注がれた魔力があふれたと感じた瞬間――。
――アリストクラットに上がってさして時間もたっていないというのに、自分の冠位がエルダーに上がったことを理解した。
体中の細胞がすべて目であったなら、ずっと閉じられていた目蓋が一斉に開いたような感覚だ。
恋に落ちた瞬間を、世界に色がついたようだと表現するが、そんな表現ではまったく足りない。世界には色が増え、音が増え、匂いが増え、今まで見えなかったものが見えるようになる感覚。
急激に増えた情報に一瞬脳が混乱しても、次の瞬間にはその全てを当然のように理解できるようになる進化とも呼べる状態。
身体を構成する細胞の一つ一つがはじけるように生まれ変わって、今までとは比べ物にならない力を生み出しているのが分かる。
エルダー・ヴァンパイア。
あるいはヴァンパイア・モナークとも呼ばれるこの冠位は、ヴァンパイアの最高位、真祖――ヴァンパイア・ロードに次ぐ2番目のものだ。
エルダー・ヴァンパイアが内包する魔力量はまさに国家一つにも及ぶほどで、それ故に多くの眷属、血族の長にしかなることはかなわない。たった二人しか眷属を持たないヴァンパイアがなれるものでは本来無いのだ。
一体どれだけの魔力量を、アモルは流し込んだのだろう。
「これで、ソフィア様はまた永遠に近づかれた。今ならば護りさえ備えれば昼の世界も恐れるに足りません。けれど、足りない。まだ、足りない。真祖となられるためには……」
ソフィアを完璧な存在――真祖にすることが、この悪魔の目的なのか。
結果から見れば、全てこの悪魔の思惑通りに進んでいるはずなのに。
「大丈夫よ、アモル。私は平気」
どうしてこの悪魔は、痛みを堪え泣き出しそうな顔をしているのか。
ソフィアはアモルに向かって手を伸ばし、辛そうな表情でソフィアをのぞき込むアモルの頬に触れる。その手をいつくしむように、まるで繊細なガラス細工でも触れるかのように、アモルの手が添えられる。
――これ以上、アモルを一人にしてはいけない。思い出さなければいけない。
急激に変貌する肉体と、濁流のように流れ込む魔力に薄れていく意識の中で、ソフィアはそう決意した。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ソフィア、また冠位が上がる。




