に くを破る牙
「ひどい方だ……。私の望みに気付いたうえで、振り回すだけ振り回して。たった一度の大切な儀式を、こんな不意打ちで済ませるなどと。あぁ、それでも貴女は望んでくださるのですね、この私を……」
アモルがなんか言い出した。
それもうっとりした顔で。尻尾は立ったままプルプルと痙攣している。
先ほどチラりと見せたどす黒い殺気は、一体どこへやったのか。あれにはソフィアも内心、“アモル、ついに闇落ちか”とヒヤリとしたのだが。
ほんとにとんだチラリズムだ。違う意味でドキドキさせられる。
(まぁ、アモルが闇落ちしたとして、元からダークサイドだからね。今と大差ない気がするわ)
良くて軟禁、悪くて監禁。
今とあまり変わらない気さえする。
いざとなったら肉体言語でオハナシだ。
古今東西、病んだ男は近接戦に持ち込んでくるものだが、近接戦ならソフィアの方に分がある。夜の近接戦を挑まれようと、健全に拳で言い聞かせればよい。
脳筋ヴァンパイアを選んだメリットがこんなところで現れるとは。本当に、“筋肉は裏切らない”とはよく言ったものだ。
(遠距離攻撃のメリットを捨てた時が、アモル、貴方の敗北の時よ……!)
アモルの笑顔に警戒心を掻き立てられ、きゅっと拳を握りしめるソフィアとは対照的に、アモルの方は背後に花でも飛ばさんばかりにご機嫌だ。
先ほどまでを堕天と呼ぶなら、今は昇天してしまいそうだ。悪魔が昇天したら天使に返り咲けるのだろうか。なんでもいいが、そろそろ戻ってきて欲しい。
二人の空気はだいぶおかしなものなのだけれど、そんな空気を読むハズもなく、ダークエルフの腹から生えた触手は二人を打ち据えようと襲い掛かり、触手にある肉瘤は不規則に破裂してグロテスクな蟲が飛び出してくる。
……そしてその全てがアモルが無詠唱で繰り出す魔法によって撃ち落されて、邪魔すらできずにいるのだけれど。
「アモル、そろそろいいかしら」
「このアモル、ソフィア様に更なる忠誠を」
アモルとしてはソフィアの手の甲にキスの一つもしたかったのだろうが、ソフィアがそれを許すはずもない。腕を組んでプイとスースの方を向こうとするソフィアに、アモルは見せつけるように噛まれた唇をべろりと舐めると、優雅に手を振り立礼をした。
そして、ようやく戦闘態勢だ。別にピンチにもなっていないのに、置いてきたはずのヒーローが遅れてやってきて、なんやかんやで絆が強まったわけだ。あとは約束されしオーバーキルの時間だろう。
「蟲を剥がしてダークエルフを眷属にする。異論無いわね」
「御心のままに」
アモルが同意すると同時に、眷属化によって形成された繋がりを通じて、彼の魔力が流れ込んでくる。アモルの方が実力が高い状態だから、流れてくる魔力は僅かな量のはずなのに、アモルの持つ魔力量がよほど膨大なのか、濃厚な魔力に酩酊しそうになる。
魔力の量はともかくその道筋自体は、形成されたというよりは、もとからあった道が再び開かれたような、初めからつながりがあったような違和感のないものだ。これは、アモルがソフィアのサポートNPCだったことと関係があるのか、それとも他の要因によるものか。
「じゃ、サポートよろしく」
「このアモル、筆頭眷属として、ご満足いただける働きをお見せしましょう」
「あー、ほどほどに、ね? サポートだけでいいからね?」
「お任せください。<青白き肌、力の獣、敏捷化、知恵の呪、阻害耐性>……」
「かけすぎ! もういいから!」
そして、これでもかと乱れ飛ぶ補助魔法の数々。
おそらく、アモルの辞書に『ほどほど』という単語はないのだろうな、と思うほど、ご機嫌になったアモルのサポートはそりゃあもう、スゴかった。
加速されまくった感覚は触手のすべてを容易く躱すどころか、なんならちょうちょ結びにも出来そうだし、飛び出してきた蟲は霧で捕食するまでもなく、触手から離れた瞬間にアモルに撃ち落されていた。
お陰で、ソフィアがスースの元に辿り着くのに、1秒もかからなかっただろう。
「待たせたわね。今、助けてあげる」
ソフィアの言葉にスースは、痛みに歪んだ顔をほんの少しほころばせた。
これ以上、無残なものを見ないようにという心配りだろう、ソフィアはスースの目もとを左手で覆うと、腹に巻き付き喰い込んでいた蟲の頭部を掴み、そのまま握りつぶした。
グワササササ、ガザザザザ!
途端に関節の稼働角度を超えて、スースの腹に喰い込んでいた蟲の脚が、ソフィアへ巻き付くように方向を変える。同時にスースの腹から伸びていた幾本もの腸に潜んでいたおぞましいほどに大量の蟲たちがスースの腹へと遡り、腹の開口部からソフィアに向かって溢れかえった。
それを、蟲の群れと認識していたのなら、悲鳴の一つも上がったのだろう。けれどソフィアにとってそれらは取るに足らない、血を吸う価値もない小さな生命の群れでしかない。そういった脆弱な存在など、魔力も生命も丸ごと吸ってしまえばいいのだ。
「<ドレイン>」
霧を介するわけでなく、まして吸血さえせずに、近づくものの命を直接吸い上げる。
アモルを眷属にした以上、霧に喰わせるなんてまどろっこしい真似をする必要もない。“吸う”と宣言するだけで、歯向かう蟲の命など、今のソフィアは召し上げてしまえる。
マーテルの街を襲った悲劇の幕切れは、実にあっけないもので、ソフィアの短い詠唱によって、右手に掴んだ女王蟲も飛び掛かってきた子蟲たちも、娼館中に張り巡らされたハラワタさえもすべて、塵となってぼろぼろと崩れて散っていく。
同時にソフィアの牙がスースの首筋へと沈んでいった。
虫を引きはがされたスースの腹には内臓がほとんど残っておらず、下半身はすべて触手に変異したのか、洞のように大きく凹んだ腹腔には背骨が覗くばかりだ。
そんな状態で生きていられるはずもなく、急速に命を失うスースの鼓動は弱く、血は温もりを失いつつある。けれど、この味には覚えがある。ソフィアが何度も口にし、ソフィアを支えてくれた血液だ。
ソフィアはスースの体に残された欠片ほどの命のともし火を吸い尽くすと、その欠片が消え去る前に、爪で人差し指の腹を切り、滴る血をスースの口へ落とした。
「我が名はソフィア。汝を我が血族に迎え、眷属として庇護します」
ソフィアの宣言と共にスースに訪れた変化は、生命の終焉を急速に逆再生するようなものだった。
完全に血の気を失っていたスースの頬に生気が戻り、失われた下半身さえ煙を上げながら再生していく。これまでの人生で肉体に刻み付けられた傷跡も残らず消え、再誕した年齢は今より若い最盛期のものだ。艶を失った髪も肌も潤いを取り戻し、乱杭歯の成長に伴い歯列さえ完璧に再構成されている。
変化は肉体だけでなく、種族としてのありようを塗り替えていく。ダークエルフはもとより美しい種族であるが、特徴的な青い肌は今は月のように青白く、細長くとがった耳も短く縮まっていた。
日の元で生きる種族の美しさが、夜の妖艶さに塗り替えられると同時に、形成されていくソフィアへ魔力を献上するための血の絆。
ヴァンパイアへの再誕を果たし、ゆっくりと目を開けたスースには、それまでのおぼろげな様子はなく、暗い瞳にはしっかりと意思が宿っていた。
「我が主よ、この身を助け血族にお迎えくださり、心より感謝いたします。私はスース。ダークエルフでございました。これよりは、母たる御身に忠誠を」
「スース、我が身に仕えることを許します。こちらはアモル。私の筆頭眷属よ。アモル、侍女たち同様、スースの面倒を見てあげて」
跪き忠誠を捧げるスースにソフィアは鷹揚に答える。
どっかの悪魔の時と違って双方とてもナチュラルだ。本来、眷属化というのは力関係がはっきりした者の間で行われるものだから、今の状態がスタンダードだと言える。
「アモル様、何卒よろしくお願いいたします」
次いでアモルに挨拶するスース。お辞儀の角度がやたらと深い。
というか、アモルの前ではうつむき体を固くしている。かつて城の地下室でアモルの植え付けたトラウマは、ヴァンパイアになった今でも根深く残っているらしい。よほどのことだったのだろう。
ガッツリ眷属になったスースをみて、アモルが再びちょっと不機嫌になったことに気付いて、怯えているのかもしれない。
いじめたりしないように、後でしっかり言い含めなければなるまい。パワハラなんてもってのほかだ。
「ソフィア様がお迎えになったのだ。歓迎しよう。……身の程というものをよくわきまえたまえ」
「はっ。ありがとうございます。このスース、筆頭眷属たるアモル様を父のごとくお慕いし、お教えに従いまする」
ソフィアが母でアモルが父とはこれ如何に。
余計な一言を添えるアモルに、スースが露骨に媚を売る。それも、ソフィアが口をはさむ間もないほどの応答速度でだ。
「よろしい」
「よろしくない。違うからね、スース」
偉そうに頷くアモルにソフィアが慌てて釘をさす。ここはきっちり否定しておかなければ。
「あの、先ほどのご様子を拝見するに、てっきり……」
「ふむ、そう見えたなら仕方ないでしょう」
「目の錯覚よ!」
血族の長と筆頭眷属の間で板挟みにあう、新入社員的眷属スースはこうして誕生した。
どちらかと言えば板挟みにあって困るのは、血族の長で一番偉いはずのソフィアなのだが、本人はその事実にまだ気が付いていない。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
中間管理職的眷属スース、誕生。




