た だ、望みのままに *
「これはこれは、ソフィア様。もしやお困りではございませんか?」
「ご覧の通りお困りよ。アモル」
ソフィアの背後に立っていたのは、マーテルの外に置いてきたアモルだった。
困っているときに現れるとは、悪魔のくせに見事なヒーロームーブをするものだ。
横目でアモルを見てみると、いつも通りの笑顔を張り付けてはいるが、尻尾を見るまでもなく明らかに不機嫌だ。置いていったことを怒っているのだろう。後でねちねち言われそうだ。
「あの蟲を引きはがしたいのだけれど、ハラワタを攻撃すると痛がるのよ」
「腸に痛覚神経はないはずですが、おかしいですねぇ」
アモルはご機嫌斜めのようで、相談にさえ乗ってくれない。確かにあれは腸に見えるが、長さは常軌を逸しているし、そもそも腸は消化器官で攻撃手段ではないではないか。
アモルに襲い掛かる蟲を、ペッペペッペと尻尾でダークエルフに当たるように打ち返し、ハラワタをぶち破いているのは絶対にわざとだ。スースが上げる悲鳴を聞きながら、「おや、失礼」などと言っている。
「やめなさい」
いやもう、本当にやめたげて。
ソフィアの眉尻がへにょりと垂れると、アモルの八つ当たり攻撃が8割ほどましになる。とはいえ10匹に2匹の割合でスースに当てている。いじめっ子か。
とはいえアモルの登場により、スースに明確な変化が見られた。姿を現すだけで状況に変化を与えるとは、やはりアモルはヒーローか。
「ひぅ、ひいぃっ、ひぃっ、ひぃー」
いや違う。
ドン引きするほど怖がられている。
スースは過呼吸を起こしながら見てわかるほど体を震わせ、部屋中に広がったハラワタの触手もうねうねとうねりながら縮まっている。
錯乱状態にあるスースを姿を見せるだけで恐慌状態に陥らせるとは、アモルは城の地下室で、どれだけのことをやったのか。
「あー、アモル? 私は彼女と話がしたいの。あなたを連れてこなかったのは彼女を怯えさせないためだったのよ。だから、私があの蟲を引きはがして彼女と話をする間、姿を隠していてちょうだい」
図らずもアモルのお陰で触手が引いた。今ならあまり触手を傷つけずに蟲を剥がすことができそうだ。
「ですがソフィア様、あれを剥がすか殺せば、宿主の女も死にますが」
そうなのか。大事なことはちゃんと教えてくれるあたり、アモルはソフィアには親切だ。
「何か方法はないの? 私は彼女の血をたくさん喰らったのでしょう? ならば、私は彼女の願いをかなえなければ。ヴァンパイアとはそういうものよ。アモルなら分かるでしょう?」
ソフィアの言葉にアモルは作り笑いを止めた。
ソフィアはこう言ったのだ。「ヴァンパイアとはそういうものだ」と。
それは、ヴァンパイアとして生きると宣言したにも等しい。その重大な宣言をアモルが聞き逃すはずはない。しかしそれ以上に、この先に待つ可能性を考慮すれば、たとえソフィアの願いであっても無条件で応じることなどできない。
これからソフィアが行うことがヴァンパイアとして生きるための儀式なら、なおのことだ。
どうしてアモルが自分の願いを譲れるだろう。
「ソフィア様。私を眷属にしてください」
「その話はあとで……」
「ソフィア様の筆頭眷属は私です。それだけは譲れません」
笑顔の仮面をかなぐり捨てて、アモルはソフィアをまっすぐに見つめる。その瞳に宿る炎が何色なのか、眼鏡のガラスが反射して見ることはできないけれど、その真剣なまなざしにソフィアはスースを唯一救いうる手段に気が付いてしまった。
ソフィアの瞳がスースを射抜く。
『我に血を奪われし贄よ――』
ソフィアの静かな声が響く。先ほどとは打って変わった、空間を支配するような力のある響きに、スースはびくりと体を震わせ、意思に反して蠢いていた触手さえも動きを止めた。
『我が贄よ、怖れることはない。お前は私を呼び、こうして私はやってきた。今よりこのひと時は、悦楽の時。さぁ、お前の願いを言うが良い。我が奪った血の代償を今こそお前に支払おう』
かつてアモルはスースの血を奪い、ソフィアはそれを口にした。知らぬこと、互いに望まぬことであっても、その血はソフィアの一部となってソフィアとスースの間には血の繋がりができた。その繋がりを通じて語り掛けたソフィアの言葉はスースを一時的にヴァンパイアの犠牲者に似た状態にすることで、彼女を恐怖と痛みから解き放った。
「ソフィア様!」
初めて見せたソフィアのヴァンパイアらしい権能に、一時放心状態にあったアモルが声を上げるけれど、ソフィアはそれを片手を上げただけで制し、言葉を続けた。
『我が贄よ。お前の望みは安らかなる死か。それとも我が眷属となり、夜に生きるか』
ヴァンパイアが与える血の代償は、死か、血族に迎えるか。あれほど血を奪ったのだ、代償は支払われなければならない。不均衡は正されなければならないのだ。
ソフィアの言葉は、血の繋がりを通じて、正しくスースに伝わった。
示された選択は、日の昇る世界で生きる人間にとっては、どちらも救いのないものだ。それでも、与えられた"安らかな死"という選択はスースが望んだものだった。
提示された内容は、かつて奪った血の代償を支払うというもので、そこにスースから搾取しようという思惑はない。こうして繋がりを通じて言葉を頂いてしまえば、かつての残虐な血の搾取さえ、彼女の意志でなかったことが理解できた。それでも、このヴァンパイアは、助けを求めるスースの声に耳を傾け、この場所までやってきて、スースに救いを与えるというのだ。
伸ばされたソフィアという不死者の手は、スースにとって何より温かいものだった。
「生き、た……い」
「いい子ね」
「おやめ下さい!」
スースのその答えを聞いたとき、ソフィアは笑い、アモルは叫んだ。
スースを生者のまま助ける方法はない。かりそめの生であっても彼女として生かすには、ソフィアに吸い殺され、血を与えられてヴァンパイアとして生まれ変わるしかない。そのことにソフィアは気付き、スースは選んだ。
そこに、アモルの介在する隙は無い。示唆はあったが答えを与えたわけではない。
アモルはソフィアに対価をもらえようはずもない。
ソフィアの血を最初に与えられるという栄誉を、かつてメイプルとして血を採取しただけの人間種に奪われる。それはアモルにとって、どれほどのことだったろう。
心中に巻き起こったそれは、どす黒い感情だった。
――許せない。
制御できないこの感情は一体なんというのだろうか。主の意思に反することだと頭では理解していても、スースを殺すためにアモルの拳に力がこもった。
その時。
ぐい、とアモルのネクタイをソフィアが掴んで引っ張った。
思わず体勢を崩し、引かれるままにかがんだアモルとソフィアの顔が近づく。
意表を突かれたアモルが見たものは、笑うソフィアの赤い唇。
そして、アモルの唇に、噛み付くようなキスが降ってきた。
「ぐっ!?」
というか、唇に思いきり噛みつかれ、アモルは今度こそ石のように固まった。
情報を整理しきれない、というのはこういうことだろう。
唇に痛みが走ったのは一瞬で、次いで襲ってきたのは、ヴァンパイアの吸血がもたらすしびれるような快感だ。はぁ、と吐き出されるソフィアの吐息さえ甘い。
柔らかく暖かいソフィアの舌が、ペロリと血に濡れたアモルの唇をなぞり、白い喉がアモルの血液をごくりと嚥下する様が見て取れた。
次いで、ガリ、とソフィアは自らの舌に牙を立てると、血に濡れた舌を薄く開いたままのアモルの口腔に滑り込ませて、アモルの舌をちろりとなぜたのだ。
相手の血を吸い、血を与える。
眷属に加えるヴァンパイアの契約儀式はほんの一瞬で、ものなれないソフィアの口づけは雑で稚拙だ。何より照れているのだろう、血を交わすとすぐにソフィアは唇を離し、つんと澄ましてそっぽを向いた後、再び振り向いてこう言った。
「アモル、これで貴方が私の筆頭眷属よ。今まで以上に仕えて頂戴」
ソフィアには初めからアモル以外を筆頭眷属とするつもりなどなかった。
アモルが本心からそれを望んでいると知っていたし、その気持ちを踏みにじるつもりは微塵もなかったのだ。
けれど同時に、アモルの求めに応じて、眷属にするつもりもなかった。
(アモルは理解しないといけないの。私が望んでアモルを眷属にしたということを。ちゃんと伝わってくれるといいのだけれど……)
言葉で言ったのでは駄目なのだ。
この悪魔はひどく頭がいいせいか、言葉を道具として使う。ただでさえ言葉というのは不自由で、気持ちの一部も伝えきれないというのに、それでは大切なことは伝えきれない。
だから、"出会ったばかりのダークエルフに筆頭眷属の座を奪われる"なんて、そんなことを考えるのだ。一体どれだけの時間を共に過ごしたと思っているのだ。どうして分かっていないのか。
ソフィアの記憶には空白がある。
ここが『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』の世界でないこと、なのにNPCだったアモルが存在し、心と呼べるものを持っていること。
看過できないほど情報は足りていないけれど、ソフィアもアモルも確かにここに存在し、言葉を交わし、触れ合える。その事実の前には、情報の不足など何の意味もないと思うのに。
(まぁ、私から吸血するには不意を突く必要があったんだけど。……奇襲とは言え本当によく牙が通ったわね)
こうして契約を交わしてしまえば、その実力差は明白だ。アモルはソフィアより上位の悪魔だ。アモルが常時ウェルカム・ソフィア体制だったから、何とかうまくいったようなものだ。ほぼ確信していたから、そこは“やっぱりな”と思うだけなのだが。
(それにしてもさっきの契約、なんだかツンデレみたいになっちゃってない!? うわぁ、ハズカシー)
顔が熱くなるのを自覚しながら、アモルの方を見てみれば、アモルはアモルで、阿呆のようにぽかんと口を開けたまま、ソフィアの少し赤らんだ顔を見ていた。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ツンデレソフィア「ちゅ」
けんぞくアモル 「!!?」




