な き声は助けを求めるゆえに *
蟲グロ注意です。
「なんだ、ダークエルフか」
何度、その言葉を聞いただろう。
言葉と共に向けられる視線も、態度も、対応も。
落胆されることに慣れた。
粗雑に扱われることに慣れた。
差別されることに慣れ、虐げられることに慣れ、諦めることに慣れ、自分がダークエルフであることに慣れてしまった。
睨まれてばかりいるから、睨むことが普通になった。
最低限の言葉しか与えられてこなかったから、言葉を選ぶことを知らない。
不当な扱いが当然だから、疑うことも欺くことも生きるためには当然だ。
蟲によって喰らわれたなら、蟲を産んで喰らえばいい。
汚された精のぶん、生を返してやるだけだ。
だって、誰も助けてなんてくれないじゃないか。
利用するばかりじゃないか。
暗い城の地下室で、背をさすり、食事を取らせ、抱きしめてくれたあの手でさえも、便利な道具を手入れするだけのものだったじゃないか。
命をかけて欲しいなんて言わない。そんなものは返せない。
ただ、体も心も魂さえも、バリバリと喰らい尽くされてしまう前に、誰か私に安らかな死を与えてはくれないだろうか。
“自分”が無くなるその瞬間に、そばにいてはくれないだろうか――。
■□■
マーテルの城壁の中は、喧騒に包まれていた。
――Aーー、Aーー、Aaaーー、AAAAaーー。
城壁を取り囲む赤子蟲の泣き声の大合唱は、街のどこにいても聞こえるほどだが、広間に集まり混乱に騒ぎ立てる群衆の声も負けないほどに騒がしい。
混乱をこれ幸いと護衛のいない中小規模の商店には強盗が押し入り、街のいたるところで喧嘩や犯罪が多発していた。
そんな街の暗がりを滑るように進んでいくソフィアにとっては、人間の行う善行も悪行も等しく人間の営みのように感じられる。夜に人が屋外にあふれる今の状況は、以前滞在していたパテッサの街の祭りの日のようにも思えた。
夜の街を散策するのは、ソフィアにとって心躍る体験だ。
食料、食料、食料、食料。
街なかにたむろする人間の群れは、さながら祭りの露店のようだ。行儀が悪いと咎める過保護悪魔もいない今、多少のつまみ食いくらいしてもいいかと魔が差しそうになる。
(いけない、いけない。早く行ってあげなくちゃ)
うまく置いてけぼりにできたけれど、ソフィアが街に入れてアモルが入れないなんてことはないだろう。アモルはじきに追いかけてくる。その前にやるべきことを済ませなければ。
“血”を通じて伝わってきた強い叫びは、今は消え入りそうに弱弱しい。抗いがたい現実に絶望し、諦めきっているのだろう。それでも耐えられないほどの恐怖と孤独と悲しみに、声を殺してすすり泣いているのが分かる。
そんな気持ちを、ソフィアは知っている。
かつて、人類の多くが寿命というもので死ねた時代、老いた人間は次第に己を失ったという。認知症と呼ばれるその症状は、死の恐怖から人を救うための機能であったのではないか。そんな話をソフィアは聞いたことがある。
けれど病によって若くして命を失うソフィアたちは、急速に動かなくなる手足と共に迫りくる死の恐怖と向かい合わなくてはならなかった。死が避けられない運命であっても、命がなくなる瞬間に、誰かに側にいて欲しいと願うのはごく自然なことだろう。運命だとか人生だとかいうものは基本的に理不尽で、満足し納得づくで死ねることなどそうあるものではない。託したい心残りの一つや二つは誰にだってあるものだ。
だからこそ、ソフィアはマーテルの喧騒を抜け、彼女の元へ赴いたのだ。
目的の場所には簡単にたどり着けた。
蟲が赤子の姿をしていた時点で予想していたとおり、そこは立ち並ぶ娼館の一つだった。
こんな騒動のなか、あえて遊びに来る客も少しはいるようだが、残っているのは逃げ場のない娼婦たちが多い。それでも雇用主や警備に対して「何が起こってるのよ」だとか「アタシらは商品なんだからね、傷がつかないようしっかり守ってちょうだいよ」だとか要求していて、姦しくも逞しい。
そんな中で一軒だけ、静まり返った店があった。
まちがいない。ここが、目的地だ。
ヴァンパイアは招かれていない家には入れない。けれど“呼ばれた”ならば、扉を閉ざす鍵などは何の意味ももたない。もっとも客に広く門戸を開くその店は、鍵さえかかっていなかったけれど。
ドアノブに手をかけるだけで招き入れられるように開いた扉の向こうは、ソファー席がいくつも設けられたラウンジになっていた。普段ならたくさんの女と客でにぎわっているだろうその場所はガランとしていて、今は誰もいない。
代わりにまるでパーティーの準備中であるかのように、見た目だけは派手なシャンデリアやソファー、床にまでピンク色のひも状のもので飾られている。そのひもは途中何か所も膨らんでいて、テープで飾られたというよりはソーセージ工場のようだ。
過剰なまでのピンク色のこの装飾を掻き集めれば、この娼館にいた人間の体積と一致するのではなかろうか。なによりも、濃厚に立ち込める血と肉の臭いは、ヴァンパイアであるソフィアにここで起こった出来事を如実に伝えるようだった。
太さ3、4センチのピンク色の管の中は、その異常な長さを考慮に入れないならば、人間の小腸だ。その中を腸壁を持ち上げて、内容物が移動する。ボコボコと歪なソーセージの節くれが、ソフィアに向かって運ばれるように。
部屋いっぱいにまき散らされたハラワタの中を進んで、内容物が一斉に動き出したかと思うと、パァンと皮を破って、黒っぽい何かが飛び掛かってきた。
同様に15対の細長い脚と、肉食であることを示す大きなアゴを有した、手の平ほどの蟲。赤子蟲に比べればまともな、その辺にいそうな蟲ではあるが、明らかに肉食で生理的に嫌悪感をもたらす気持ちの悪い形をしている。
そんな蟲の大軍が、新たな餌に向かって飛び掛かったのだ。
その数、いや量はフロアを埋め尽くすほどで、人間一人程度など容易く覆いつくしてたちまちのうちに骨も残さず喰らい尽くすだろう。
その結果が、このラウンジの有様だ。
「気持ちの悪い蟲だわね」
ソフィアは思わず眉を顰める。彼女の機嫌を示すようにふわと黒い霧のようなものが立ち上り、全身を包むように薄く広がると、近づく蟲はそのことごとくが磨り潰されるように砕けて消えた。
砕かれた残骸が飛び散ったのでも、不快な体液が撒き散ったわけでもなく、ただ、塵のように砕けて霧に喰われて消えたのだ。
「アモルが知ったら発狂しそうね。まぁ、私だって好んだりはしないけど。口から食べるわけじゃないんだし」
貴族だ、高貴な存在だなどとうそぶいているが、ヴァンパイアは悪食なのだ。いや、一代で立場を築いた者ほど毒を皿ごと喰らってきたに違いない。
内容物を喰いつくされて怒ったのか、今度はハラワタが、意思を持った触手のようにソフィアに向かって襲い掛かる。
「呼ばれてきたのに、随分な歓迎ね」
ソフィアが右手を振ると、ぶわと立ち上った黒い霧が形をとって、その手に馴染みのハルバードが握られる。それを一振りするだけで、巻き起こる風圧が部屋中のハラワタをずたずたに引き裂いた。
「ぎゃああああ!」
ハラワタの持ち主が悲鳴を上げる。
内臓に痛覚神経はないはずなのに痛むとは。そもそも内臓は触手のように動いたりしないから、もはや別の何かなのだろう。
聞こえた悲鳴は3階からだ。ソフィアは再び繋ぎ合わさって襲い掛かろうとするハラワタやどこからか湧いて飛び掛かって来る蟲をこれ以上傷つけないように躱しながら、風のように階段を駆け上った。
「この部屋ね」
悲鳴の聞こえた部屋の中には、ピンクのドレスを纏ったような、ダークエルフの女がいた。かつてアモルによって悪魔の城の地下室に捕らえられ、血液採取の犠牲となったスースだ。
腹部からたっぷりと広がるスカートを黒いコルセットが引き締めメリハリをつけている。
そのようなものであればどれほど良かったか。
ドレスのように見えたピンクのものは、非常識なほど増殖してはいるが、スースの腹からあふれたハラワタで、ウエストを締めるコルセットはソフィアに襲い掛かったものよりはるかに大きい、あの黒い蟲だった。スースの体に15対の脚でしがみつき、腹に直接卵を産み付けているのだろう。そしておそらくこの女王蟲の力によってスースのハラワタは娼館中に増殖し、踏み入る者を子蟲と共に襲うのだ。
感じる魔力は城壁を襲う赤子蟲も、ここの子蟲も、スースの腹に張り付いた女王蟲と同じだから、この女王蟲が根源なのだろう。
娼館内の子蟲が赤子の姿をしていないのは、単にハラワタを通れるサイズにするためか、それとも、ハラワタの中を進むこの虫に、何か因縁でもあるのだろうか。
「いやあああぁ、ひぃやあああぁ」
どれほど泣き叫んだ後なのか。童女のように泣くスースの声は枯れ、目からは血の涙を流している。
「いやぁ、いやぁ……」
いやいやと子供が暴れるようにスースが頭をふれば、部屋に広がる腸が触手のようにソフィアに襲い掛かる。狭い居室に長柄の武器は取り回しが悪いけれど、そんなものを使わずとも飛び掛かる蟲はソフィアの霧が、ハラワタは手を振るだけで簡単に千切り飛ばすことができる。
けれども。
「いたいいぃ、いたい、いやああぁ」
ハラワタをちぎればスースが痛みに泣き叫ぶのだ。
ダークエルフの女はかすれた声で狂ったように叫ぶばかりで、会話はできそうにないし、蟲を剥がしてやろうにも、ハラワタの物量の前に近づくこともできない。
ソフィアはこの哀れな女を、これ以上苦しませたくはなかった。
「困ったわね」
思案に暮れるソフィアの背後に、湧き上がるように立つ者があった。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ソフィア「蟲肉ソーセージパーティー会場はこちらですか」




