あ かごの蟲 **
マーテルの街にとって幸運だったのは、赤子蟲の発生が夕暮れ時であったこと、そして発生源のキャベツ畑が、護りの結界がある城壁の外にあったことだろう。
そろそろ閉門しようという頃だったから、異変を察知した衛兵の機転で赤子蟲が侵入する前に門を閉めることができた。これが平時のことならば、締め出された入門を待つ人々から臆病者のそしりと相当の苦情が来たのだろうが、締め出された人々が抗議の声を上げるより、赤子蟲が彼らに襲い掛かる方が早かったから、衛兵に届いたのは人間が赤子に近い姿をしたモノの群れに喰らわれる、クチャクチャという咀嚼音と、耳をふさぎたくなるような悲鳴だけだった。
赤子蟲の離乳食となってしまった人々の中には、隊商の護衛として同行していた冒険者たちも少なからずいた。マーテルに来る冒険者は中流以下の実力しかない者ばかりだが、それでも道々で現れる魔物との戦闘位はこなせる実力はあるというのに、戦う者も逃げ出す者も誰一人残さず赤子の蟲の餌になってしまった。
マーテルの街にとって不運だったのは、『不夜城』の名を欲しいままにする歓楽街の住人が信仰するのは神より金で、赤子蟲の侵入を防ぐ結界があまり長くは持ちそうにないということだろう。
金を信仰する者たちらしく、発生から1時間もたたない間に、金に飽かせて討伐隊を組織した領主の手腕は評価に値するものだったが、討伐に打って出るどころか開いた城門から侵入した十数体の赤子蟲によって討伐隊どころかその場を守っていた衛兵までもが惨殺される結果になった。
マーテルの街を見下ろせる高い樹木の上から、ソフィアとアモルはそんな街の様子を伺っていた。
街の灯が漏れるマーテルの城壁に赤子蟲が集る様子は、ろうそくを幾つも載せたホールケーキに蟻が集っているように見える。
『不夜城』などと呼ばれる欲の都を、アモルが放っておくはずはない。当然マーテルにはレクティオ商会の支店があって、アモル配下の悪魔が人間に化けて駐在している。街には護りの加護を受けた城壁があるから、門が閉ざされた今、悪魔といえど出入りはできないが、通信は可能でリアルタイムにアモルに状況を伝えているらしい。
退廃的な景観を眺めるソフィアに、アモルが現状を報告してくれた。
「街に残っている冒険者などの戦力は、暴動や火事場泥棒に備えた金持ちどもが確保していて、領主が動かせるコマは少ないそうです。信仰の薄い街ですから、籠城戦になった場合は食料より壁の護りが先に尽きるでしょうに、この期に及んでも財産を守ろうとは、実にこの街の人間らしいくだらない行いです。
そして、ふふ、有力者たちにせっつかれ、さっそく切り札を投入したようですよ。彼らも街の状況は聞かされているでしょうに、相当の額が動いたようですね。本当に“現金なものだ”とはよくいったものです」
アモルの示したほうを見ると、中隊規模――2百人ほどの鎧をまとった集団が馬を駆ってマーテルの街へ駆けつけてきた。アモルの説明によると近くの砦に詰めている兵士が救援に来たらしい。複数個所から集った兵士は、街の手前で合流した後、城壁に群がる赤子蟲に向かって突撃を開始した。
「忍び込むタイミングを逃したわね」
「すぐにカタが付くでしょう。それまでお茶でもお入れしましょう」
「隠し味にアモルの血を一滴とかやめてちょうだいね」
「…………承知しております」
その間は一体何なのか。絶対承知してなかっただろう。
それはともかくとして、どこかから――よく見ると影からティーセットの入ったトランクを取り出すと、アモルは紅茶を入れはじめた。
ティーケトルの底を指先で持ち、手の平に魔法で起こした火炎でお湯を沸かす様子は器用だなと感心する。ソロキャンプの達人か。こんなの便利すぎて手放せないではないか。便利でなくとも手放さないが。
深夜のティータイムのお茶請けは、マーテルの攻防戦だ。
3国の境界にあるマーテルが、交易と歓楽都市として3国共に利益をもたらすことで繁栄したのはここ十数年のことらしい。
どこの国にも属していない、けれど国と呼ぶにはあまりに小さいこの都市は、長い歴史を見れば幾たびも戦場になってきた。だから、たかだか十数年の平和に呆けて万一の備えをしていない訳ではない。名目上は魔物への備えとしてだが、どこかの国に攻められることを想定し、複数の砦を設け兵士を常駐させている。
魔法のある世界であっても、城壁が加護によって護られるなら、攻城戦の難しさは推して知るべしだ。城壁を攻める敵の背後を突けば、形勢は容易に傾くはずだった。
「魔法も矢も当たらないわね」
「石を投げれば当たるほどいますが、あの蟲、なかなか素早いようですね」
城壁を覆いつくすほどに張り付いた赤子蟲の動きは早く、打たれた魔法や矢はことごとく避けられている。それどころか救援部隊が接近するまで反応を示さず城壁に張り付いていた赤子蟲は、攻撃を躱すや救援部隊に向けてゾザザザと押し寄せた。
「うえ。紅茶がまずくなるわね。ご馳走様」
距離があろうと夜であろうと、ヴァンパイアの視力は赤子蟲の姿も、その戦闘の詳細まで見て取れる。手足のない赤子の等身に15対もある節足動物の脚という、ただでさえグロテスクな姿の虫が、ガザガザウゾウゾと素早く動き、兵士に襲い掛かってはそのハラワタを喰らう様子は、控えめに言って気持ちが悪い。赤子蟲の顎は鉄をも食いちぎる強靭なもので、鎧があろうと構わず喰らいつき、ひしゃげた鎧が兵士の体をさらに傷つけている。
「ご不快ならば潰してまいりますが。……おや、死体も活用できるのですか。なかなかに器用な蟲だ」
しかも、ハラワタを喰われた兵士は蟲の配下に下るようだ。息絶えるや、全身がブルブルと痙攣し、空っぽの腹を守ることを辞めた肋骨がバキボキと音を立てて開いて伸びて、蟲の脚のように動き始める。12対の肋骨に鎖骨に手足で15対。赤子蟲と同じ脚の数だ。
食べ残された内臓や肉片を引きずって、死体の蟲がガサゴソと這いずった跡に、引きずった傷口の血が赤い線を描いていく。
赤く穢されていくマーテルの城壁は、どこか現代アートじみている。この街が滅んだ後も、この壁画は『マーテルの悲劇』の証として後世に残るのかもしれない。
マーテルの運命は、決まったも同然だ。
「Aーー」「Aaーー」「AAaーー」「AAーー」
赤子蟲が泣き叫ぶ。
今なお生まれ増え続ける赤子蟲の声は、もはや音の暴力のように街に住む人々の鼓膜を揺らしているのだろう。救援部隊の凄惨な状況も、街の絶望的な状況も隠されてはいるのだろうが、この泣き声を消すことはできない。
この異常な状況に「神はいない」と信仰を失う者が増えれば、マーテルは結界さえ維持できなくなる。時間はそう残されていない。
「蟲の宿主は、ずいぶん面白い精神構造をしているようですね。なかなかに興味深い」
「宿主? 赤子蟲を召喚した者ということかしら」
「その解釈でもよろしいのですが、召喚した蟲も召喚自体もコントロールできておりませんから、心の隙間に付け入られ寄生されたのでしょう」
アモルの指摘した通り、赤子蟲は畑からいくらでも湧いて来る。先の戦闘で焼き払われた場所からは、土から直接生まれてくるありさまだ。
「例え下等な蟲であってもこれほどの量となれば、人間種の魔力で足りるものではございません。おそらくは蟲を呼ぶモノ――女王蟲に寄生され、魂を消費されていると考えるのが妥当かと」
「つまり、宿主の魂が擦り切れるまで蟲は湧いてくるということ?」
「ご推察の通りでございます。文字通り精も根も――この場合は魂ですか。尽き果てるのが先か、結界が破られるのが先か。宿主が倒れたとして、生まれた蟲は消えませんから、どちらにしても全滅は免れえませんね」
悪魔のサガというものか、阿鼻叫喚を前にしてアモルはとても楽しそうだ。ソフィアの前では大量虐殺などしないけれど、彼はこういう悲劇が大好物なのだ。
これまでのアモルの行動と今の様子に、ふとソフィアは引っ掛かりを覚えた。
「ねぇ、アモル。もしも私の種族が人間で、あの街にいる宿主とやらだったらどうするの?」
「私がお仕えしていて、このような魔に付け入られることなどありえませんが、……そうですね。中からお呼びいただければ簡単に入れるのですが、それが無理な状況でしたら救援のふりをして門付近の蟲を殺し、街の中に入り込んだ後、ソフィア様以外を殺し尽くします。このような状況にソフィア様を追い込んだのですから、街ごと滅ぼすのが妥当でしょう。雪崩れ込んできた蟲もソフィア様がお望みでしたら磨り潰してごらんに入れましょう」
つまりは、助けに来るということか。
それは、助けを求める宿主も街の住人達も、アモルなら助けることができるのに、今は状況を楽しんでいるということだ。
人間に少し心を寄せて、欠片程度でも慈悲を持って欲しいと思ったのだが、アモルにとってはソフィアかそうでないかという区別しかないらしい。眼前の大量虐殺が、楽しいエンターテインメントとは。
人間だったら問題がありすぎる思考回路だが、悪魔の場合は仕方がないのか。
「街ごと滅ぼすなんてして大丈夫?」
「これほどの状況にソフィア様を追い詰めた街ならば、万死に値します」
ソフィアが引っ掛かりを覚えたのはここだ。赤子蟲が街の住人を皆殺しにするさまを、アモルは嬉々として鑑賞している。けれど理由が無ければ、自らの手で住人を虐殺しようとはしない。人間種など、自らの手を煩わせる必要が無いということか。それとも。
「ねぇ、アモル。それは、理由が無ければ手を下さないということよね? どうしてなの」
「……世界の均衡を大きく乱せば、面倒なことになりますので」
ほんの少し間をおいて、返された答えにソフィアは内心驚いた。
これはゲームで言うなら"メタ的"な、世界の仕組みに関する答えで、悪魔と拮抗する勢力がいるということを示唆しているのだ。
「それって、天使、とか?」
「……そうですね。ところで、この街ですが、いかがいたしましょう?」
余計なことを喋ってしまったという感情がアモルから見て取れる。露骨に話題を変えてきた。
『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』には天使もいて、魔族を見かけるや問答無用で襲ってきたが、世界の均衡どうのというところは初耳だ。この世界がゲームの中でないことは、もうソフィアも気付いているが、この世界がどういうものか、おそらくアモルは知っている。
非常に気になる内容だが、慎重になったアモルからこれ以上情報を引き出すのは難しいだろう。
(アモルが大量虐殺を行わない理由が分かっただけでも収穫ね)
人間社会にサイコパスが混じっていても、明確な被害が無い限りタフで良いリーダーであるようなものだ。
目下の課題は、ソフィアを呼んだ相手をどうするかだろう。
「さっき、私が呼べば結界を超えて街に入れるって言ったわね?」
「はい、そうですが……まさか」
「必要になったら呼ぶから、それまでここでいい子にしててねー」
「は、ソフィア様!? お待ちくださ……」
アモルが最後まで言うより早く、ソフィアの姿は霧に変じ、夜の闇に溶けていく。
呼ばれれば結界を超えて侵入できるのは、何も悪魔だけではないのだ。どれほどの障害があろうとも、自らを求める犠牲者の元に忍び寄るのは、ヴァンパイアの特性だ。アリストクラットの冠位に上がった今のソフィアなら、守りが薄い門の結界程度、難なくすり抜けてしまえる。
漂う霧は赤子蟲の群れに感知されることなく掻い潜り、街の入口である固く閉ざされた門の隙間を抜けて、マーテルの街へと侵入していった。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
赤子蟲 「あーんあーん(ムシャムシャパクパク)」
ソフィア「うわ、マーテルの街、めっちゃ蟲に集られてるやん。ちょっと行ってくるからまっててな」
アモル 「ちょw おいてきぼり!?」




