そ して、蟲は湧く **
初めに異変に気が付いたのは、夕食用のキャベツを採りに行った農家の夫人だった。
大きな新緑の葉を広げたキャベツ畑は緑の花畑のようだ。何枚もの葉に包まれたキャベツの玉は大切に守られ、抱かれているように見えるけれど、緑の腕の隙間から虫たちがたかっては、柔らかな葉を食べてしまう。だからキャベツ畑に限ったことではないが、畑の中央に据えられた虫除けの魔法が込められた像は、農家にとってまさしく神像のように大切なものだ。
「あンれ、虫除けの像どこさいった?」
その虫除けの像が見当たらない。台座はあるが、上に置かれた像が無いのだ。大切ではあるが金銭的な価値があるものではない。神殿から頂いた聖別された木を自分たちで彫り、祈りの言葉を刻んだ手作りのものだ。
豊作や野菜の病気、虫害予防の祈りを込めて作った像には、わずかではあるが神秘的な力が宿る。
天候の操作や豊作ほど大げさな効果は望めないが、虫害予防くらいなら像があるのとないので明白だ。面白いことに、効果は像の出来や作り手の信心でばらつきがある。だからと言って、他所の畑の出来のいい像を盗んで自分の畑に設置しても、何の効果も発揮しない。
風雨にさらされ像が朽ちれば効果は失われてしまうから、毎年秋の祭りの時期に神殿にお返しして焚き上げてもらい、新しく頂いた木に再び祈りを込めて像を作る。そんな、生活に根付いた木像だ。
盗まれるようなものではないのだが、鳥にでも持ち去られたのだろうか。
不審に思った夫人が台座へと近づくと、そこにははじけ飛んだように木切れと化した像の残骸が転がっていた。
「なにをどうしたら、こったらことに……」
誰が、というよりどうやってという疑問が先に立つほど、像は粉々になっていた。切ったり投げつけて壊したのとはまるで違う。まるで内側から破裂したようだ。
「Aーー」
近くから、赤子が泣くような声がした。
「あらやンだ、捨て子かい?」
このマーテルの街には大きな歓楽街がある。畑の作物に虫害防止の護りが授けられるように、そういった場所も望まぬ子ができないように、ちゃんと対処されているらしい。けれど、娼館の中にはそういった費用を惜しむ店もあって、望まれずに生まれてきた子供が農家に捨てられることは珍しくない。
農家としても農地を継がせる必要のない労働力はあって困るものではないから、そういう子供は拾って育てる。
見目の良い子供であれば、年頃まで育ててから売り飛ばせばよい。この街では売り先には困らない。農家にとって、良い臨時収入だ。
「Aaー、Aーー」
「はいはい。どこにいンのかね」
夫人が声のする方を探すと、キャベツの葉におくるみのように包まれた赤子の頭部が見えた。見えたのはぎゅっと閉じた目から上だけだったから、まるでキャベツから生まれてきたようにも見える。
「あんたの母ちゃんは、おくるみもくれなかったンかい」
半分は冗談を、半分は同情を込めて夫人が声をかければ、赤子の目がぱちりと開いた。
白目が全く見えない、真っ黒い大きな瞳。
その瞳が夫人を捕らえると、バリバリ、ザクザクとキャベツの葉を割り裂いて、細長い棒のようなものが何本も赤子の周囲から生えた。
「なっ、なっ、え!?」
「Aaーー」
「Aーー」
「AAaAーー」
赤子の声が聞こえる。右から、左から。キャベツ畑の至るところから。
「Aーー」
がさり、と大きなキャベツの葉を揺らして、夫人の前に現れたソレは、柔らかそうな赤子の頭と胴体を持ってはいたが、はいはいをして愛らしく進むはずの可愛らしい手足の代わりに体の側面、肩から腰にかけてびっしりと15対の細い棒のような脚をうぞうぞと生やした得体のしれないモノだった。
「ひぃっ」
思わず腰を抜かした夫人の方へ、ざざざざと赤子とは思えない俊敏な動きで赤子の胴を持つ蟲が寄る。夫人の方へ向けられた顔には白目のない大きな黒目。よく見ればその瞳は複眼で、大きな瞳にいくつも夫人の顔が写っている。そしてその口元は、乳を吸うぽてりと柔らかな唇ではなくて、肉食の蟲が持つ左右に分かれた顎だった。
「Aーー」
「Aaーー」
「AA、a、Aーー」
「ア゛―――――!!!」
それは夫人の叫びだったか、それとも赤子の鳴き声か。
見渡す限り一面に広がる畑のキャベツはベキバキと割れて、中から無数の赤子蟲が這いだした。
数分後、キャベツ畑に残っていたのは収穫を終えたようなキャベツの外葉と、血に染まった夫人の衣類の切れ端だった。
「Aaーー」
「Aa、A、Aーー」
母を赤子が求めるように、虫が蜜に集るように。
キャベツを割って生え出た赤子蟲は、マーテルの街に向かってガザガザと進んでいった。
■□■
SNSの更新通知だとか、メールの到着音だとか。
何かに熱中していれば気が付かない程度のアラームで目が覚める時もある。
その日のソフィアの目覚めはそのようなもので、無視できるほどの小さな変化に気付いたことから、その一日は始まった。
届いた微かなつぶやきは助けを求める絶叫で、伝わってきた感情に、ソフィアはかつて暗く狭い現実の部屋で、痺れて動かない右手を押さえて泣き叫んだ己を思い出した。
特定の誰か、ましてソフィアに対して発せられた叫びではない。かつて彼女の血を摂取したせいで薄い繋がりができていたのだ。ヴァンパイアならままあることで、獲物の所在を知った狩人がどう行動するのかは、狩人のみが知るところだろう。
「誰か」
「失礼いたします。あの、何かございましたでしょうか」
「出かける支度をしてちょうだい。武器は、いつものハルバードで。それから地図を用意して」
「畏まりました、ソフィア様」
ソフィアの声に応えたのはアモルではなく、寝室の継ぎの間で控えていた部屋付きの侍女、マヤリスだ。
目覚めるには少し早い、日が落ちてすぐの時間。
この時間――恐らくソフィアが眠っている日中も、ソフィアの寝室にはソフィア以外誰もいない。呼ばれて初めて侍女が来る、実にまっとうな状態だ。
さすがに、もう、「おやおやー? サポートNPCなのにアモルがいないぞー」なんて考えたりはしない。アモルにだってやることくらいあるだろう。むしろソフィアが眠っている間中、そばで見守っているなんて、まともな精神状態とは思えないから、いなくてむしろ安心だ。
STOP、ヤンデレ。ソフィアはアモルの健全な精神を応援している。
「あの、アモル様をお待ちにならなくてよろしいのでしょうか?」
ソフィアの着替えを持って入室してきたマヤリスが、おずおずと聞いてくる。
「アモル? 放っておいてもすぐに来るわよ。アーモール、アモル、起きたわよ。今から着替えるから、ちょっとしてから来てちょうだい」
「随分と早いお目覚めで。悪い夢でも見られましたか」
ホラ、来た。
アモルは呼べば、……おそらく呼ばなくても、こうしてすぐに現れるのだ。
すぐそばにいたかのように、部屋にいくつもある暗がりからアモルが現れる。それ自体はアモルの権能の一つだと分かっているから特に何も思わないが、“アモル”という単語に反応して会話が筒抜けになるらしいのは、ソフィア的にはいただけない。
盗聴の魔道具か何かがあるのではないかと一時期真面目に探したけれど、そういうものは見当たらなかった。今では開き直って便利なものだと諦めた。
(というか、サポートNPCじゃないなら寝室に出入り自由っておかしくない?)
ゲーム時代の習慣をずっと続けてきたが、なんでアモルは女性であるソフィアの寝室に当たり前のように出入りしているのだろう。
別にセクシーなナイトウェアを着ているわけではないし、ベッドには天蓋も付いているから、見られて困ることも恥ずかしいこともないのだが、冷静に考えるとすごくおかしい状況だ。
「どうして、ノックもせずに寝室に入ってくるのよ。着替えるから出てって頂戴、アモルのエッチ」
「エッチ……とは。今日のソフィア様はいつにもましてお可愛らしい」
ふきだすの隠すように口元を手で覆うアモル。正直な尻尾がぷるぷるしている。
いつも作り笑顔でいるくせに、マジ笑いは隠すのか。
それともこれは照れているのか。お気に召したようで何よりだ。
「私が可愛いのは知ってるわ。あ、地図の準備をお願いね。人間の街が載ってるやつよ。ここから西北西の方角の街で何か異変がなかったかしら?」
「確認いたします」
アモルの優秀さはさすがのもので、ソフィアが着替えを済ませて部屋を出ると、場所の特定は済んでいた。
どうやらマーテルという街で、つい先ほどから異変が起こっているらしい。詳細は、レクティオ商会マーテル支店の駐在悪魔が現在鋭意調査中とのことで、「十分な情報を集められず、誠に申し訳ございません」と珍しくアモルの尻尾がシュンとしていた。
「異常が発見できただけでも素晴らしいわ、さすがはアモル、頼りになるわ」
とりあえず、大げさに褒めておく。
実際、異常が起きたのはソフィアが目覚めた時間だろうから、まだ1時間もたってはいまい。異常事態を把握しているのはマーテルの街の上層部や発見した衛兵など一部だけという可能性もある。そんな状況で概要だけでも把握できているなら、十二分に優秀だ。
頑張っている駐在悪魔がアモルに叱責されないようにしっかりと褒めておかなければ。
「それにしても、キャベツ畑から赤子と蟲が合わさったような魔物が大量に湧いた、ねぇ……」
随分と悪趣味な状況に、ソフィアは眉を顰める。地図で示されたマーテルという街は方角も距離もソフィアが感じた場所と一致する。ここで間違いないのだろうが、赤子と蟲の足し算とは。実に趣味の悪い組み合わせだ。
「念の為に聞いておくけど、アモルの知ってる赤子だったりする?」
「そのような美的センスは持ち合わせておりませんので」
美的センスの問題なのか。
ともかく赤子蟲の発生にアモルは関与していないらしい。
「とりあえず行ってみましょうか。夢幻回廊で行ける?」
「街の近くまででしたら。ですがソフィア様自ら出向かれずともお命じ頂ければ私が」
「私は行くと言ったの。アモル、貴方がすべきことは?」
「お供いたします」
「頼りにしてるわ」
哀れな犠牲者に“呼ばれた”以上、行かないという選択肢はソフィアにはない。
なぜならば、それが、血を頂いた者の責任だと思うからだ。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
キャベツ畑で赤子は生まれ、丸いキャベツに虫は湧く。




