ら んぼうな口づけを
この世界にはあちこちに“隙間”があるのだということを、ヴァンパイアの貴族位であるアリストクラットになってソフィアは知った。
誰かに教えられたわけではない。冠位の上昇に伴い研ぎ澄まされた感覚によって、知覚することができるのだ。
例えば、何度閉めても少しだけ開いてしまう扉の隙間、とある時間に見る合わせ鏡、じめじめと暗い林の奥の方、朽ちた廃墟の岩の影。
“隙間”と言っても、ソフィアがそのように認識しているだけで、この世の物理法則にしたがった空間という意味ではない。魔力的に非常に不安定な場所と言えばいいだろうか。世界を構成する仕組み、ルールの狭間のような場所だ。
そういった隙間は普段はぴたりと閉じていて、ただ不安定な場所に過ぎないけれど、開いて中を覗いたなら、魔界であるとか、異界であるといった異なる世界に繋がりそうに思うから“門”と言った方が正確かもしれない。
条件が同じ場所なら必ずあるというわけではないが“隙間”は世界のどこにでもある。けれど、ソフィアとアモルの居城には一つも見つからない。ソフィアが知覚できる程度の物をアモルが分からないはずはないから、何らかの方法で塞いでいるのだと思う。つまり、あの“隙間”は、良いものではないのだろう。
ソフィアが生きた西暦2400年代の頃に伝わる昔話にもその手の漠然と不安感をあおる類の話はあったし、似た系統の都市伝説は時折電脳世界を賑わせた。ただの人間が“隙間”を知覚することはできないだろうが、その不安定さと”隙間“から時折顔をのぞかせる何モノかは、ただの人間の五感にも影響し不安をあおるのだと思う。
(『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』の中にもあったのかしら)
この世界でソフィアが見つけた“隙間”はどれも小さく不安定で、強い力を持つソフィアが近づいただけで消えてしまうから確認することはできないけれど、数多ある“隙間”のどれかに、ソフィアが良く知る世界があるような気がなんとなくした。
(帰りたいと思わないのは、ヤキが回ったってやつなのかしらね)
ソフィアはゲームに似たこの世界でヴァンパイアとして生きていて、そして、サポートNPCだったアモルもまた、悪魔としてこの世界に生きている。
それが現実だと実感するたび、ソフィアは事もあろうに嬉しく感じてしまうのだ。自分でもどうかと思うのだけれど、理屈ではどうにもならないものだから仕方ない。
「どうかなさいましたか」
ソフィアにアモルが声をかける。
聞かない方がおかしいくらい、ソフィアはアモルを見ていたのだから当然の流れだ。
(今日は良い月夜だっていうのに、どうしてアモルはいつも通り胡散臭いのかしらね。何が楽しくて、いっつも笑ってるのやら)
完全に八つ当たりな思考になりながら、ソフィアはアモルの問いを無視してバルコニーに出る。ソフィアの部屋は3階で、水晶の薔薇の庭園が見渡せるこのバルコニーは、お気に入りの場所の一つだ。
バルコニーの手すりに体をもたせ掛け、思考に浸るソフィアが物憂げに見えたのだろうか。アモルが側にやってきて、気づかわし気に再び聞いた。本当に過保護な悪魔だ。
「ソフィア様、本当にどうなさったのです」
こうして作り笑いがはがれてしまえば、なかなか好みの顔なのだ。もっとも今のソフィアには、ちょっと面倒な所も含めてアモルのすべてが好ましい。
「アモルはどうしてアモルなのかと思って」
「……ロミオとジュリエットですか?」
ちがうがな。
そう言ってやりたい気持ちが半分で、言うのもめんどくさい気持ちが半分。それから、それも悪くないかと思う気持ちがほんの少し。たぶん、耳かき一杯程度。
「だとしたら、ここは黙って聞くところじゃない?」
ソフィアの返しにアモルの尻尾が嬉しそうにゆるゆる揺れる。
「このわたくしのすべてをお受け取りになって頂けますか!?」
「それ、ジュリエットのセリフよ?」
「ただ一口、私の血をお吸いください。さすれば新しく生まれ変わったも同然、今日からはもう、貴女の眷属となりましょう!」
「一人二役でぐいぐい来るわね」
眷属化を断ってからも、アモルは眷属にしろと迫って来る。なんたる押しかけ眷属だ。
ネクタイを引き下げシャツのボタンをはずして左の首筋を見せつけるように、物理的にもぐいぐいだ。思わずのけぞり気味になればその分詰めてくるので、壁ドンならぬ手すりドンに近い体勢だ。ヴァンパイアの強靭な筋力のお陰で、多少のけぞったくらいでプルプルしないのが心強い。さすがは筋肉、裏切らない。
ソフィアが自分の筋力を称賛している間も、アモルはどんどこ攻めてきて、いつもよりずっと近くに顔がある。ソフィアがちょっと困っているのに気が付いて、愉しくなっているのだろう。ゆれる尻尾と満面の笑みに腹が立つ。
この距離ならば、いつもならば眼鏡の反射で隠された彼の瞳が良く見える。
アモルの眼孔に眼球はない。
ぽっかりと空いた暗闇に瞳の代わりに炎が浮かんで燃えているのだ。炎は時折色を変えるけれど、今日はいつもソフィアに向けられるより赤が濃い。
(……相変わらずむかつく男ね)
香水でもつけているのだろうか。この距離だから感じられるほのかな芳香。身だしなみにも隙がないこの男らしい洒落た香りだ。
こんなに近づかれると、さらされた首筋の下に流れる血潮が見えるようだ。
(ほんとうに、嫌になる)
ソフィアは左手を上げて、アモルの頬に指を這わせる。
つ、と指先が触れるだけ。
それだけで、アモルの瞳が揺らめいた。
(アモル、本気で吸って欲しいんだ)
肌に触れればわかってしまう。
だってソフィアはヴァンパイアなのだ。
ゆっくりとした優雅な動きで、けれど彼女の虜に身じろぎすら許さずに、ソフィアはさらされたアモルの首筋に唇をつける。
カリ……。
牙は立てない。立ててはいけない。
けれど指先が、唇が触れただけで、どうしてこれほど理解できてしまうのか。
今のソフィアの冠位、アリストクラット程度では、力いっぱい食いしばってもアモルに血を流させることはできないはずだ。それだけの実力差がアモルとソフィアの間にはある。
けれど、今、この瞬間に牙を立ててしまったら、彼女の牙はいともたやすくアモルの肌を喰い破るに違いない。
アモルがそれを、望んでいるから。
「ちゅ」
アモルの首筋を軽く甘噛みした後、首筋にキスを落として唇を放した。
この悪魔の望みに応えて、ヴァンパイアの口付けなど与えてやるものか。
ソフィアが離れた後も、アモルは先ほどのポーズのまま固まって動かない。いや、目がいつもより見開かれているから、驚いているのだろう。
してやったりというやつだ。
「さぁ、夜はこれからよ。今日も狩りにいきましょう? 今日のおすすめはどこ?」
「え……あ、え?」
「今日のか・り・ば!」
「あ、かりば? かりばとは……狩場。……はい、はい。たしか、しばらく離れている間に、エルフどもの集落があった場所がレイスの集落になったようで。元がエルフなぶん、高位種が多いようですので、肩慣らしにはちょうど良いと思われますが……。あの、吸血は?」
ソフィアの問いに再起動したアモルが答える。最後に本音が漏れているが、そこは無視だ。
表情はいつもの薄ら笑いだけれど、ソフィアが口付けた首筋を右手でそっと抑えていて、よく見れば顔が少し赤い。動揺するアモルなんて、珍しいものを見たものだ。
「アモルに“吸血スキル”が効くわけないじゃない。フレンドリーファイアは無効化されるのよ」
スキル。フレンドリーファイア。NPCなら反応しないゲーム用語を、ソフィアはあえて使う。
『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』では、首筋に牙を立て、血を吸ったりなどしないのだ。吸血のスキルを使うと、対象から血が噴き出して、花弁のように渦巻きながら吸血鬼の体に消える。
大量に眷属を作り、血族の軍を従えるようになってからが、ヴァンパイアの本領発揮だ。かつてソフィアは何度もこのスキルを使っていた。
攻城戦も、防衛戦も、集落への侵略も。
大勢の血族を従えて、アモルと共に幾たびも制してきた。
今のソフィアになる前の、『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』のソフィアの話だ。そのことを、ようやく、ソフィアは思い出してしまった。
冠位が上がって、アモルの暗示が薄れてきたのだろう。
それでも。
「レイスなら、血界武器がいいかしら。そろそろ使えるはずよね? さぁ、準備をしてちょうだい!」
もう少しだけ、アモルという悪魔の創った、甘く残酷な偽りの世界でまどろんでいたい。
「仰せのままに」
くるりと振り向いた先のアモルは、いつも通りのスーツをピシッと着こなした姿で、臣下の礼を取った後、ソフィアを狩場にエスコートすべく、そっと左手を差し出した。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ソフィア&アモル「イチャイチャ」




