か さなる不運 *
パテッサの街を逃げ出した、テレイア、プリメラ、スースの3人の旅程は、順調とは言い難かった。
「なぁ、プリメラ。スースの奴、本当に置いていくのか? 無理やりにでも連れてった方がいいんじゃね―か?」
「テレイア、その話は済んだはずでしょ。私がどれだけ説得したと思ってるのよ」
「けどよう……」
悪魔の城から逃げ延びた4人の仲間のうち、獣人のカニスがパテッサの街で抜け、ダークエルフのスースとも、ここマーテルの街で分かれることとなった。
ここからは、冒険者のテレイアと商人の娘プリメラの二人でシシア教国を目指すことになる。プリメラの話では、スースの離脱はこのマーテルの街に着く前に盗賊に襲われたことが原因で、これ以上旅を続ける気持ちを無くしてしまったらしい。
人間種の中では潤沢な魔力量を持つダークエルフのスースは、悪魔の城で誰よりも多く“加工”されていた。
エルフとダークエルフは反目しあっているという。その噂が真実だと証明するように、“加工”をエルフたちが担うようになってから、スースは執拗なまでにいたぶられ、彼女の悲鳴が耳に焼き付いてしまったほどだ。ハイエルフの使う精神安定の魔法がなければ、とっくに精神に異常をきたして処分されていただろう。
「せっかくここまで来たってのに、何もこんな街で客を取って暮らさなくたって。ハイエルフなんて連中がいなけりゃ……」
「ハイエルフがいなかったら、スースはとっくにおかしくなって処分されてたわよ」
「その方がスースにとって幸せだったんじゃねぇかな」
「馬鹿言わないで。死んだら終わり、何も手に入らないのよ。欲しいものを手に入れられるのも、奪われないように抵抗できるのも、生きている間だけだわ」
冒険者としてそれなりの修羅場を経験してきたテレイアは、商人の娘であるプリメラよりもよほど痛みには強い。けれど、あの城の地下室で受けた痛みは耐え難いものだった。
“蜜”として不適格だったプリメラは最初の1回しか“加工”をされていないから、そんなことが言えるのだ。そう思ったけれど、テレイアはその言葉を呑み込む。
プリメラはあの城の地下室で、最も価値のない“虫”として長く生き残ってきた女だ。非力な商人の娘として侮ることはできないと、この旅路でテレイアは気付いている。
スースの精神をギリギリで保っていられたのは、ハイエルフの精神安定魔法と、“虫”として世話に当たっていたプリメラのお陰だ。そのせいか、未だにまともとは言い難い状態のスースは、プリメラにだけは幼女が母親に甘えるような態度を見せていた。
普通なら、スースに対して何らかの情が湧くものだ。
けれど、プリメラの言動からはスースに対する思いやりがまるで見えない。まともな精神状態すら保っていないのに、この街の娼館で暮らしていくスースが何を欲し、何を手に入れるというのだろうか。その言葉は、プリメラ自身に向けられたものではないか。
それとは別に、テレイアにはもう一つ引っ掛かっていることがある。
(同行してきた商人と襲ってきた盗賊も、そうとう胡散臭いよな)
隊商に同行してマーテルを目指していたテレイアたちが盗賊に襲われたのは、マーテルに着く直前だった。幸いというべきか、金でカタがつく連中で、盗賊が去った後、隊商主はこう言った。
「いやぁ、“通行料”でカタがつく連中だったのは、不幸中の幸いですなぁ!」
不必要な金をとられたのに、隊商の主は笑っていたのだ。
もうすぐ街だ、ここまで来れば大丈夫だろうと安心していた時分の襲撃だった。
街に着いた後、隊商主も護衛の冒険者チームも、盗賊が通行料をとる比較的穏健な類のもので良かったと口をそろえて話していた。刃物で脅されはしたが、通行料を払ったおかげで隊商を含め身ぐるみはがされることも、死人が出ることもなかったと。
通行料を払えなかった護衛の冒険者チームは、チームの女性を一人攫われてしまったというのにだ。
(よくもまぁ、ぬけぬけと抜かしやがる)
思い出してもけたくそ悪いとテレイアは唾を吐く。
盗賊は、隊商を皆殺しにするわけでも通行料以上に金品を奪うわけでもないが、通行料が払えなければ、代わりに荷物か若い女性が攫われた。隊商の商人は金の入っているらしい袋を渡していたし、護衛の冒険者チームは通行料が払えなかったのだろう、年若い女性が連れていかれた。テレイアたち3人の分はプリメラが支払ってくれたけれど、高額な通行料を払った時点で身ぐるみ剥がされたのと大差ない。
それにテレイアもプリメラも気付いているのだ。
盗賊に連れていかれた冒険者チームの女性は、この依頼の為に臨時でチームに参加した駆け出しの冒険者だということを。野営の途中で「この依頼に加えてもらえたおかげで、稼げるしランクも上げられる」と話すのを聞いていたのだ。
商人が盗賊に渡した金の袋のたわみ方は、重たい金が入っているには不自然だったし、金属同士がぶつかり合う音も聞こえなかった。武器を持った盗賊に囲まれ金をとられているというのに、商人たちからは、緊張も恐れる様子も見られなかったのだ。
要するに、盗賊と隊商、その護衛はグルだったのだ。
盗賊に見逃してもらうために適当な女性冒険者を連れていくのか、盗賊からバックマージンすら貰っているのか。こんな街の近くで堂々と盗賊行為を働いているあたり、街の権力者に後ろ盾がいるのかもしれない。
そのように見抜いたとして多勢に無勢。
テレイアとスースが全力で戦っても盗賊を倒しきることはできないし、下手をすれば隊商の護衛の冒険者たちすら敵に回す怖れがあった。
騒いだところで益はない。街に協力者がいるならなおさらだ。
被害届を出したマーテルの街の衛兵所の対応はひどく形式的で、護衛の冒険者チームも攫われた女冒険者を取り戻そうという様子はなかった。
(ほんっとに、この世界はクソだらけだ)
プリメラは盗賊に通行料を支払う時、本当に悔しそうだった。いつも他人の感情が読めるように抜け目のないプリメラも、悪魔から逃れるのに必死で十分な下調べができなかったのだろう。
商人たちに聞こえない小声で「この隊商を選んだ私の落ち度です」と言って、自分たちの分まで払ってくれたことには感謝しているけれど、あれだけの大金をどのように工面したのか。商人であるプリメラが先々で商品を仕入れたり売ったりと商売をしていることは知っているが、それだけであれほどの金額を稼げるものだろうか。
「スースはすでに仕事も見つけて、新しい生活を始めているの。あの娘の不安定な精神に配慮して、私たちは静かに街を出ましょう」
そう言って、出立を促すプリメラに、テレイアは「そうだな」とだけ返事を返す。
あれだけ言ってもプリメラの心を変えられなかったのだし、自分の身は自分で守るのが冒険者というものだ。
スースが抜けたこのマーテルは、3か国の国境にほど近い独立国家だ。隣接する国家に対しカラスのように立ち回り、交易の拠点として栄えたこの街の別名は『不夜城』。世に名高い歓楽街である。盗賊に連れていかれた娘がどんな末路をたどるかは、火を見るより明らかだ。そして、おそらくはスースもまた。
(ほんっとに、クソばっかりだ。……見ないふりをするあたいが一番、クソかもな)
結局テレイアはスースと話をすることなく、マーテルの街を出立した。
短い滞在期間中、何度かスースがいるという娼館に足を運んだが、接客中だとか言われて会うことはできなかった。安住の地を見つけるまでの仮の仲間、旅の道連れだとしても、別れの挨拶さえできなかったことがほんの少しだけ寂しく感じられた。
そんな気持ちをテレイアは頭を振って追い払う。
(スースにとっちゃ、むしろ天職さ。それより、次はあたいの番だろうよ。ただより怖いもんはねーってのが相場だかんな)
誘われれば誰にでも付いて行き、金さえ貰っていたスース。
夜はあの悪魔の足音の幻聴が聞こえて一人では眠れないのだという。
スースの精神は未だに悪魔の城の悪夢の中にいるのかもしれない。それならば、スースにとってどこにいたって大して違いはないだろう。どこに行っても生き地獄だ。
テレイアとプリメラは、マーテルの街を後にする。
今度はプリメラがきっちりと選んだ乗合馬車に乗り込んで。護衛に加わる代わりに旅費を負けてくれるよう交渉済みだけれど、それでもテレイアたちは無料どころか運賃を払う側だ。
盗賊に多額の通行料を支払ったのに、どこにそれだけの金があったのか。
プリメラは話さないし、テレイアも聞いたりはしない。
落ち着く先を見つけるまでの仮の仲間より、我が身の方が大切なのだ。
ちょうどタイミングよく、数体のゴブリンの群れが街道沿いの森からまろび出てきた。
「プリメラ、下がってな! 大将、あたいが行く。これくらいなら一人で十分だ!」
「無理すんなよ、テレイア」
「お願いします、テレイア」
腕っぷしを買われているのだ。役に立つところを見せておかねば。
テレイアの旅の道連れは、欲しいもののためには手段を選ばないだろうから。
駆けだしたテレイアは、ゴブリンたちの攻撃を軽やかに躱しながら華麗に息の根を止めていった。血飛沫が舞う派手な戦闘は、実力を見せつけるためのパフォーマンスだ。うかつに手を出せば怪我をすると思わせられれば十分だ。
テレイアがゴブリンを片付ける様子を、隊商のリーダーとプリメラがじっと見ていた。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
プリメラ「スースはマーテルの街に残るってー」
テレイア「………………(仲間売って旅費にしてんじゃね?)」




