ど く蜘蛛の乙女たち
「地下室、ヨシ! 血の臭いもしないわね」
優雅なエスコートから始まった城内ツアーは、いつの間にか査察のようになっていた。
そっと添えるように置かれていた手は、今やガッチリ繋がれていて、ソフィアがアモルを引き回している状態だ。
お手々繋いで仲良し散歩というよりは、ゼッテェ逃がさねぇからな、と言った意気込みでソフィアは握っているのだけれど、アモルの方はとても嬉しそうに尻尾を振っている。なんだか犬の散歩のようにも見えるし、振り向いた瞬間にガブリと喰いつく送り狼のようでもある。
アモルが危険が危ない感じであるのは今に始まったことではないし、むしろ距離が近い方がソフィアにとっては対処がしやすい。
ヴァンパイアのソフィアとアモルでは、単純な力ではソフィアの方が強い。近接で殴り合ったら多分ソフィアが勝つだろう。アモルが本気を出せば多彩な魔法と戦術で簡単に距離をとられてお終いだろうが、ソフィアとつないだ手をアモルが振りほどくことはあり得ないんじゃないかと、なんとなくソフィアは思っている。
だから今日のソフィアは、いざとなったら拳でお話し合いをしてやるくらいの強気の姿勢でファタ・モルガーナ城のチェックに臨んだのだけれど、拍子抜けするほど何も出ては来なかった。
見事な証拠隠滅である。あとはアモルのベッドの下とか、本棚の隙間だとかを探すしかないのだろうか。いや、やはり、プライバシーは守られるべきか。
「パテッサの街に繋がる転移陣くらい作っていると思ったけど、それすらないわね」
「転移陣など城内に作っては、あちらから入り込まれてしまうではありませんか」
なるほどそうか。転移陣を設置するなら城の外、ワンクッション置いた場所に作るわけか。「作っていない」と言っていない以上、おそらくどこかに作ってはいるのだろう。
相変わらず嘘はつかないが、真実も言わない悪魔である。
それでも「この城で生き物を飼っていないわね?」という問いには「配下の悪魔たちだけでございます」と返事をしたので、もう、あんなトンデモ部屋はないだろうと思いたい。
「そろそろ休憩に致しませんか? 久々に庭園にお茶を用意させましょう」
共有スペースを一通り見て回った頃合いに、アモルがそう提案した。まだ見ていないのは、ギルドメンバーの部屋だけだ。
「ねぇ、アモル。他のギルメンの部屋は、……変わりないのかしら?」
「ご覧になりますか?」
ファタ・モルガーナ城にはギルドメンバーに割り当てられた私室がいくつもある。ソフィアが会ったことさえない人もたくさんいた。
『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』では、ログアウトしている間もアバターが消えないから、部屋を持つことは重要だった。
自らの意思でアバターを削除しない限り、長らくログインをしていない――、アカウントが停止状態にあったとしても、アバターはこちらの世界に残るからだ。
何の挨拶もなく、ログインしなくなる者は多い。「飽きたから」「別のゲームに行くから」。そういった理由でいなくなったのならば、どれほど良かっただろう。
アバターを消しもせず、無言で来なくなる者の大半は、おそらくもう、生きてはいないのだ。
それを分かっているから、ギルドマスターであるシビュラは、ログインしなくなったギルドメンバーを退会させることはしなかった。『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』のシステム上、眠りに就いたまま退会させられたアバターは、街の宿屋に移される。そして一定期間経った後に、眠りを守るサポートNPCごとこの世界から消えてなくなる。
それはこの世界での死ともいえる現象だけれど、AIが司るこの世界は残酷で、“死亡”の扱いとなったプレイヤーは、死ぬ前のアバターのまま過去のログから人格AIを構築されたNPCとして、この世界のどこかで活動を始める。
かつて時間を共にした仲間が、記憶に残る懐かしい言動で、世界のどこかで活動している。けれどそこには意識も意思もありはしない。録画映像の再生のような光景を懐かしむ人もいるけれど、ソフィアにはそれが死人返りのように思えて、どうしても受け入れがたかった。シビュラも同じ気持ちだったのだろう。
「私にとって、仲間たちはここに眠ってる奴らだけだから」
かつてそのような話をシビュラはソフィアに語ってくれたことがある。
ギルドの部屋数は課金によって増やすことができる。シビュラはログインすることのない仲間を誰一人退会させなかった。だから、ギルドハウスの居住区に並ぶ部屋の向こうには、今も眠るアバターをサポートNPCが護っているはずだ。
例えプレイヤーがログインしていなくても、親交のあったプレイヤーが部屋をノックすればサポートNPCが扉を開け、眠る友人に会うことができた。友人がかつて好んだ物を手土産に部屋を訪れ、眠る友人に話しかけるその行為は、あの世界においてまさしく墓参りだったのだろう。墓もそこに参る行為も、生きている者のための儀式で、定期的に行う者は少なくなかった。
ソフィアにも、たとえ眠る姿であっても参りたい人はいる。けれどもソフィアは、誰かの部屋を訪れようとはしなかった。
過去に一度だけ訪れた部屋の景色に、深い悲しみを覚えたからだ。
■□■
かつて、ソフィアのギルドには、衣装どころか外装までそっくりにして、双子の美少女設定で遊んでいたギルメンがいた。
プレイヤーをラネア、サポートNPCをラーニャという。
黒目がちな大きなたれ目、丸いおでこに肉食の蟲が持つ裂けた口。触れれば大福のように柔らかいのではないかと思わせるぽってりとした頬に可愛らしい両手。
キャラクターメイキングに相当こだわったソフィアをして、よくぞここまで作り込んだものだと称賛したあどけなくも愛らしい幼女の上半身と、この顔によくぞこれをくっつけたと一周回って称賛するしかない蜘蛛の下半身を持つ蜘蛛乙女だ。
もっと万人受けする人に近い姿を選べば『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』でアイドルの座も欲しいままだったろうに、ラネア曰く、「あどけなさとどう猛さ、儚さと狂気がないまぜになったこの姿こそ僕の目指す完成形!」なのだそうだ。
ちなみに、ラネアもラーニャもカラーリングが違う以外の造形はそっくりで、フワフワとした長い髪に飾られた顔はどう見ても女の子なのだが、兄設定のラネアは男の娘らしい。「何を隠そう、僕こそが究極の完成形だからね!」と豪語していたが、どの辺がそうなのかさっぱりちっとも分からない。
ただ、二人並んでぺたりと床に座っている姿は芸術品のような美しさがあった。
「アルケニーが細い8本の足を投げ出して、柔らかな腹を地面にぺたりとつける姿は至高!」
などとさんざん熱弁されたが、こちらはちょっと分かる気がした。
か弱い幼女の上半身も、細い蜘蛛の8本脚も、触ると簡単に折れてしまいそうな繊細さがあるのに、同時に肉食の蟲のどう猛さを見る者に伝えるこの造形は天才だとソフィアは思ったが、ラネアはロールプレイはしないたちらしく、口を開くと台無しだった。
造形にこだわるくせにプレイスタイルが雑な所など、ソフィアとは気が合って、よく二人+サポートNPCで遊んだものだ。回避タンクのNPCラーニャに火力重視の魔術師ラネア、脳筋戦士のソフィアに回復から補助まで器用にこなすアモルの4人パーティーはバランスが良く、様々なクエストをクリアしたし、何度かラネアたちの部屋に招かれて、レアアイテムを見せてもらったりもした。
ちなみにラネアの部屋は、ゴシック調の凝った造りになっていて、彼のこだわりがふんだんに発揮されていた。
いつの間にか遊ぶ頻度が少なくなって、ついにログインしなくなったラネアの部屋を、ソフィアは一度だけ訪ねたことがある。
「ラーニャ、ラネアは?」
「兄サマ、ズット寝テルノ」
「……そう。ラーニャ、たまには一緒に狩りにでも行く?」
「行カナイ。ラーニャ、兄サマノソバデ、起キルノヲ待ッテル」
そう言ってラーニャが寄り添うラネアのアバターは、いつもと変わらぬ生気に満ちた顔をしていて、今にも起きだしそうに見えた。
魂の宿らない肉体は、持ち主が消去できずにいた場合、ずっと眠ったままでいるのだ。そしてその肉体を、一人残された墓守は守り続ける。
ずっと、ずっと。この世界が終わるまで。
何度かソフィアを振り向いただけで、あとはラニアの側に寄り添い見つめ続けるラーニャの姿を、アモルはどんな気持ちで見ていたのか。一言も発さないアモルの顔をソフィアは見ることができなかった。
ソフィアはいたたまれない気持ちになって、ラネアの部屋を後にした。
それ以降、他のギルドメンバーの部屋を訪れることはしていない。あんな光景を、もう、見たくはないからだ。
NPCに時間の感覚はあるのだろうか。
アモルもまた、ああしてソフィアの目覚めを待っているのか。
そしていつか、ソフィアの命が尽きた後――。
ソフィアはその日初めて、その光景を想像した。
いつの日か。
ソフィアはアモルを置き去りにする。眠り続けるソフィアの隣で、アモルは何を思うのだろうか。ソフィアには贅を尽くしたこの城が、参る者のない墓所に思えた。
それが、友人の部屋を訪ねたソフィアの最後の思い出だ。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ソフィア「墓参りはしないよ。だって墓守が見ていられないんだもの」




