れ っかするからだ *
3章のあらすじ
ソフィア「シティーリゾート! 花火! 霧の街……アレ?」
アモル 「霧召喚。ソフィア様、美味しいですか?」尻尾フリフリ
テレイア「うっわ、悪魔おるやん! 逃げな!」
冒険者ズ「霧の発生源見っけ。潜入! って、ギャー」
ソフィア「アモル見っけ。あー……人間と共存とかむりそうやなー。
しゃーない。最後に朝日でも見て帰ろか。
……うわぁ、発病したん思い出したわ!」
わたしの望みに応えたのではなく、あなたが望みを叶えたのだとその行動は示していた。
結果がたとえ変わらなくとも、その事実はわたしにとって天と地ほどに開きがあって、異なる意味と価値を持つ。
配下を増やし魔力を集める手段に過ぎない口づけに、想いがあると夢想して、心は掻き乱されるのだ。
偽物に過ぎない命と心は、互いを補い合うことで本物に近づけるだろうか。
すぐそこにある永遠に、わたしたちは手を伸ばす。
それはおろかな願いの代償で、終わりのない呪いと同義だ――。
■□■
薄暗く狭い部屋で、『ソフィア』は自分の右手をじっと見ていた。
通販で初めて買ったマニキュアを塗ってみたけれど、左手で慣れない作業をしたせいではみ出したりヨレたりと、不格好な仕上がりになってしまった。こんな病が流行る前は、ネイリストという職業があって、爪を宝石のように美しく装飾してくれたのだという。
その頃は、忙しく働く女性が、仕事の合間に綺麗に飾られた爪を見て癒されていたと知って、自分も爪を塗ってみたけれど、今の彼女はそのような気持ちには、とてもなれそうになかった。
もともと物の少ない部屋だが、今はすっかり片付いて、床にポツンと置かれたマニキュアの瓶だけが唯一色彩を放っているようだ。
もうすぐ、出発の時間だ。
住み慣れたこの部屋は見納めで、この手足で何かに触れることも、二度とない。
いつもの癖で伸ばした右手が、マニキュアの瓶を掴めずに倒した。もう、この右手の平に感覚はなく、自由に動かすこともできない。
発症してしまった以上、どうしようもないことだ。
西暦2300年代、ほぼすべての人類は、手足のしびれから始まって全身の筋肉が減少し、ついには心臓が停止する遺伝性疾患に罹患していた。通常は不活性状態にあるこの病は、他者との接触によって低い確率ではあるが発症状態になり、罹患者を死に至らしめた。
発症した者に与えられた選択肢は二つ。
病の進行に合わせて患部を義肢と交換するか、病の進行を待たずに切断し、培養液の中で暮らすか。
二つ目の選択肢は非道なように思えるが、この選択肢が与えられること自体、喜ぶべきことだった。
病の進行に合わせて患部を義肢と交換するというのは、“資金が続く限り”という前提が着く。手術の費用も義肢の代金も、不自由な体で暮らすためのもろもろのサービスも安価なものでは決してない。
旅行に貯金の大半を使ったソフィアはあと2回か3回の手術が限度で、そのあとは急速に進む病に蝕まれるのに任せて死を待つだけだ。体の自由を奪うくせに、この病はひどく痛むのだ。だから切断できなくなれば、痛みを緩和するために麻薬が投与される。病に命を奪われるより先に、薬で自我を失うのだから、自分が自分でいられる時間は驚くほどに短い。
公にはされていないけれど、自殺を選ぶ者は多い。
それに対して培養槽に入れば、少なくともあと数年は生きられる。長い物なら十年生きた例もあるらしい。生活の場は完全に電脳空間に移行して、現実世界で目覚めることはなくなるが、肉体を維持するための栄養や病の進行を遅らせる薬剤の投与も受けられる。何よりも、病によって死ぬ寸前まで、自分のままで生きていられる。
もちろん、培養槽に浸かる方がコストはかかるが、こちらは公費で賄われる。代わりに一定の基準をクリアした者でなければ許可されない。つまりは人類にとってコストをかけてでも生かす価値のある、能力のある者だけに適応される処置なのだ。
この選択肢を示された時、ソフィアは迷わずこちらを選んだ。
死にたくないという気持ちももちろんあった。どうして自分がと、死にたくないとどれほど泣き叫んだか知れない。けれどひとしきり叫んだ後に残った気持ちは、やりかけの仕事を完成させなければというものだった。そうすることで、自分が生きた証を“彼”という形で残せるのではないかと、そのように考えたのだ。
今までだって働くのも遊ぶのも、生活の大半を電脳空間で過ごしてきたし、長く生きられる保証なんてどこにもなかった。
自分の命の蝋燭の長さを、知ってしまっただけのことだ。
それでも、もうこの部屋に帰ってこられないというのは、この肉体に戻ってこられないという事実は、とても恐ろしく感じられた。
■□■
「お目覚めですか、ソフィア様」
「……アモル」
ソフィアはベッドから起き上がり、自分の右手を見つめる。長く整えられた爪には綺麗にマニキュアが塗られている。侍女たちが施してくれたものだ。
自分は夢を見ていたのだ。過去の夢を。
次いであたりを見渡すと、そこは見慣れた自分の――ヴァンパイアであるソフィアの部屋だった。
「ファタ・モルガーナ城に戻ってきたのね」
「帰還をお望みでしたから、僭越ながら眠っておられる間にお連れ致しました」
「眠ってる間に行き来できるなら、行く時もそうしてくれたらよかったのに」
それなら、あんな鎧を着る必要もなかったのにと、ソフィアは拗ねたように言う。
あれはあれで楽しかったから本気で拗ねているわけではない。ただ、天蓋越しに感じるアモルの雰囲気が、あまりに重苦しかったから、ソフィアは口をとがらせて見せたのだ。
「街には結界がございます。それにソフィア様はヴァンパイアであらせられますから、念のため一度門から正式に入る必要がございました」
そういえばヴァンパイアは招かれていない家には入れないのだったか。街への出入りに制限があるかは不明だが、念には念を入れたのだろう。
「結界って出る時は大丈夫なの?」
「いいえ。ですが結界は門には影響しないもの。つまり新たな門を作れば後は問題ございません。あれだけ長い期間滞在していたのですからそれくらいは」
いつの間に、あの街のどこかに内緒で門を作ったのか。さすがは悪魔。抜け目ない。
「ほどほどにしときなさいよ?」
「もちろんでございます」
いつもの全くあてにならない返事にソフィアは笑う。アモルの方もソフィアの様子に安心したのか、硬かった雰囲気がほぐれてきた。きっと、天蓋の向こうでは、いつもの胡散臭い笑顔を浮かべているのだろう。
「ソフィア様、本日のご予定はいかがいたしましょうか」
「そうねぇ。久々の我が家なんだし、今日は城でゆっくりするわ。長らく城を開けている間にアモルが変な改造してないか、確認しなくっちゃ」
「どうぞ、存分に検分なさってください」
そう言ってアモルが部屋を出ると、入れ替わりに侍女たちが入って来る。
「本日は城内でお過ごしとのことで、ゆったりしたドレスをお持ちいたしました」
「ありがとう」
パテッサの街に行って以来、アモルがいないところ限定ではあるが侍女たちとの距離も随分と縮まった。特に部屋付きの侍女、マヤリスやウィオラは、ソフィアの魅了にかかったふりをして、頼みを聞いてくれるほどの仲だ。ソフィアはもはや彼女らのこともNPCだなんて思っていない。
着替えを終えて扉が開かれれば、いつものごとくアモルが待っている。ソフィアの後をついて回るつもりなのだろう。そのアモルにソフィアは右手を差し出す。
「これは失礼を」
ソフィアの意図をくみ取ったアモルが、エスコートするためソフィアの右手をとる。
指先に感じるアモルの手の感触。靴底を介して伝わる床の質感。
ソフィアが失ったはずの手足は、ヴァンパイアの肉体と共にまぎれもなくここにあった。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ソフィア「リアルが、ダルマ IN 培養槽とか、ないわー」




