た どる足取り
最近、ソフィアはとても食事が美味しい。
――ワインとつまみ程度の肉料理。いつもと変わらぬ量だけれど、体が欲する栄養を得られているのだ。それは通常ならば喜ぶべきことだろう。
最近、泥に沈んでいくように深かった眠りが浅くなり、ゆったりと眠りに就き、いつもより早くに目が覚める。
――睡眠不足は感じないから、狩りをしていないこともあって疲労が溜まっていないのだろう。快眠は通常ならば、やはり喜ぶべきだろう。
けれどソフィアの場合、事情は少し異なってくる。
(やっぱり、アモルはいないのね……)
一条の光も入らないように改築されたソフィアの寝室は真っ暗で、昼夜の判別どころか周りに誰がいるのかさえ人間ならば判別できない。しかし、闇を見通すヴァンパイアの瞳はこの部屋に誰もいないことを見抜いていたし、体を支配するけだるさが、日が沈み切っていないことを告げていた。
『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』では、プレイヤーが眠っている間、サポートNPCはその側を片時も離れず意識のないアバターを守っているはずだ。けれど、本来眠っているはずの日が落ち切らないこの時間、アモルはソフィアの側にいない。
アモルがソフィアの側にいないからと言って、就寝中のソフィアが危険にさらされているわけではない。
通常部屋というのは、通気と採光の目的から外壁に面し、窓が付けられるように設計されるが、ソフィアの寝室は光が入らないようにフロアの中央にわざわざ作り直されている。この部屋にはソフィア以外いないけれど、部屋の周りにはぐるりと侍女が配置されているから、警備の面で心配はない。
問題なのは、アモルの行動そのものだ。
(そういうこと、なんでしょうね。まぁ、今更か)
ソフィアは音もなく起きだすと、ベッドの下に隠しておいた服に着替えてマスクを付ける。
服はソフィアが持っている中で最もシンプルなドレスとローブ、マスクはソフィアが魔術式を編み上げて作ったもので、顔上半分を覆い隠すレースのベネチアンマスクだ。ドレスは人間の仕立て屋が作った普通のものだが、マスクには魔術が込められている。
ここ最近、毎日早くに目覚めていたから、アモルが作ったドラム缶鎧やら宝飾品やらを解析したのだ。この街に来たばかりのソフィアには、これらに術式が込められていることも見抜けなかったが、最近は魔力の流れというのだろうか、そういうものが分かるようになっていて、じっくり眺めているうちにかけられた術式の解析に成功してしまった。
これほどの知力、ソフィアにはなかったはずだ。けれど、ヴァンパイアという人より優れた知性を有する種族であれば不思議ではない。
ヴァンパイアの知力を活用し、アモルがソフィアに付けさせている宝飾品の認識阻害と組み合わせ、さらにはソフィアオリジナルの要素も加えて作り上げたのがこのマスクだ。
これを着ければ日のあるうちの能力低下が緩和されるし、ソフィアを見る者に、“どこかで見かけたことのある、この場にいてもおかしくない人”くらいの認識を与えることができる。
これならば、常時発動してしまう魅了もうまくコントロールできるだろう。
アモルが施した宝飾品の認識阻害は、宣伝塔の目的もあってあまり強いものではないから衆目を集めてしまっていたが、ソフィアの作ったマスクの方は認識阻害をガチガチにしているから、人混みにもうまく溶け込める。
(さて、探しに行きますか)
かつて、ヤートというエルフの血に誘われて無意識で使った、霧と化して扉の隙間をすり抜け進む能力も、こっそり練習したおかげで今では意のままに使いこなせる。ソフィアに魅了されてもいいように、扉の外には複数の侍女が待機しているけれど、もはや魅了する必要もないのだ。
そのことに、アモルは気付いているのだろうか。
フードをかぶり、瞳を閉じる。
暗闇の中、唯一爛爛と赤光を放っていたソフィアの瞳が消え去ると、寝室には闇しか残らない。
天蓋付きのベッドにソフィアが眠っていた痕跡だけを残し、寝室はもぬけの殻となっていた。
■□■
現実というものは、往々に想像を上回ってくるものだ。
冒険者時代の経験に基づいたテレイアの感覚では、たいていの場合、想像に対して2割くらいの振れ幅だろうか。悪魔の城に捕らえられたことは、埒外過ぎるので計算の外だが、良いことも悪いこともたいていそれくらいの範囲に収まるものだ。
定量的なようでいてザックリとした指標だが、リスクを管理する上で大いに役に立っていると、テレイアは考えている。
(まぁ、期待はしてなかったけどさ……)
先ほどの恋人ポロスとの話し合いの結果は、ギリギリ2割増しのラインだった。もちろん悪いほうにだが。
(あの悪魔に再会したことに比べれば、大したことじゃないよ。うん。ぜんぜん大したことじゃない)
自分に言い聞かせているのは、ダメージを受けている証拠だ。想定していようといまいと、痛いものは痛い。
傷心中ですよ、とアピールするかの如く、日が落ち切っていないうちから酒場で飲んだくれている。明日の早朝にはこの街を立つというのに、今のテレイアは一人で思い出のテーブル席を占拠して、来るはずのない相手を待つ未練がましい女であった。
そんなテレイアに近づく影があった。
(来てくれた! って…………誰!?)
待ち人が来たのかと顔を上げたテレイアの向かいに立っていたのは、見たこともない、仮面をつけた女だった。
「アンタ誰……? どっかで……」
「随分と傷心の様子ね。私のこと忘れてしまった? たまにここで飲んだじゃない」
「う……ん。ゴメン。でも、アンタと飲んだことは覚えてるよ」
認識阻害のマスクのお陰で魅了がうまく加減できたようだ。軽い魅了と認識阻害で、“ちょっとした知り合い”に成りすましたソフィアは、カウンターで受け取ったカクテルのグラスをテレイアの前に置くと、「話くらい聞くわよ」と向かいの席に腰かけた。
(思いのほか簡単に見つかったわね。昨日感じた“恐怖の匂い”と今の彼女の匂い。この女、地下室にいた人だわ)
人間の体臭というのは、感情によって変化する。異性を惹きつけるためのフェロモンなどは良い例だが、強烈な怒りや恐怖でも匂いというのは変わるのだ。多くの人間がいる中で、離れた場所から恐怖の匂いを感知することは、悪魔であるアモルにも不可能だろう。けれどソフィアはヴァンパイア。人間の放つ臭いには、誰よりも敏感だ。それが一度血を口にした者ならばなおのこと。
アモルを見た時、テレイアは前後不覚となるほどの恐慌状態に陥った。それほどの恐怖の匂いをソフィアが感じないはずがない。
「誰かに話すことで楽になることってあるじゃない」
「そ……だね……」
ソフィアが促すと、テレイアは酒に酔ったような調子で、話を始めた。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ソフィア「早起きは三文の得♪」




