り ふじんな再会
パテッサの人口を変更しました。200万人→2万人
テレイアの容姿について語るなら、男装の麗人というのがしっくりくるだろう。
悪魔の城に囚われるまでの冒険者時代は、斥候を主に前衛までこなしていた。しなやかな筋肉によるネコ科の動物のような動きは斥候向きだが、それだけを専門にできるほど仲間に恵まれたわけではなかったから、場合によってはスピードタイプの戦士として前衛を務められる程度の攻撃力を身に付けていた。
培われた筋肉と立ち姿は中性的な魅力を放っていたし、目立つ赤毛を短く切り込んだ髪形は彼女の激しい気性をよく表していた。冒険者時代に日焼けした肌は健康的で、浮き出たそばかすは整ったきつめの顔立ちを親しみやすいものにしていた。
テレイアがペルソナスホールという劇場の警備の仕事にありつけたのは、恋人の紹介ももちろんあったが、この容姿も少なからず貢献しただろう。ペルソナスホールはパテッサの街でも老舗の劇場の一つで、夜な夜な着飾った紳士淑女が集う場所だから、警備の者も見目の良い者が好まれるらしい。
こういった定職というのは、冒険者には得難いものだ。給料だってこの街によくある船舶荷役のような肉体労働に比べて悪くない。
彼女は今日も時間より早く職場に向かい、入念に準備をする。劇場の地図はすぐに頭に入ったが、言葉遣いが存外に難しい。馬車で乗り付けるお客様はともかくとして、御者に対してくらい、ぞんざいな口調でいいだろうと思うのだけれど。
そんな新米のテレイアは、裏口担当。
客との接点のない気楽な場所のはずが、今日は支配人に呼び出された。
「テレイア君、そろそろ仕事にはなれたかな。急ですまないが、チミ、今日はエントランスね。担当者が休みなんだ」
「分かりました」
なんでも家族が亡くなったらしい。寿命と言えなくもない年齢だったが、体調を崩してそのまま帰らぬ人となったとか。最近、そういう話をよく聞く。はやり病の噂は聞かないが、老人や持病を持つ弱い人を中心に亡くなっていて、冒険者ギルドでは埋葬の仕事が目白押しだとか。
“霧の後は墓場が賑わう”
そんな噂はテレイアの耳にも聞こえている。
(なんだか、気味がわりぃな)
斥候として培った勘が注意しろと囁いて来る。だが、ここは2万人も人間が暮らす大きな街の中だ。めったなことはないだろう。ともかく今は仕事に専念しなくては。
「警備の礼は目礼で。お客様の顔をまじまじと見ちゃいかんよ、失礼だからね。だが、不審者は見逃さないように……」
相変わらずうるさい男だ。ずっと話を聞いていると殴ってしまいたくなる。
「承知してオリマス」
「うんうん。大丈夫そうだね」
拳をお見舞いする代わりに、支配人対策として先輩から聞いた行儀の良い挨拶をカマしてやると、なかなか効果があったようだ。テレイアは、支配人が再び口を開く前にエントランスに移動した。
劇場のエントランスはテレイアから見ればまるで別世界だった。
(はぁ、金ってやつは、あるとこにはあるんだなぁ)
日の光の前では古臭く感じる建物も、夜の闇と照明のもとでは粗野なテレイアにさえ歴史とやらを感じさせたし、建物からあふれる光はまるでおとぎの世界のようで、貴族が行う舞踏会とやらを想像させた。
豪華な馬車が止まっては、中から美しい装いの男女が下りてくる。女性たちは皆、美しいドレスを身にまとい、宝石を幾つも付けて、まるでホールにぶら下がっているシャンデリアみたいだ。
(チッ、どいつもこいつも毒花みたいに飾りやがって)
着飾る紳士淑女が毒花ならば、富裕層をうらやむ自分の息は糞壺から昇る臭気のように臭かろう。自分の持てる力を存分に振るって、冒険者として暮らしていたころなら、“いつか自分も”、くらいの気骨があったのに。美しい物を受け入れる余裕くらいはあったというのに。
悪魔の城に囚われたテレイアの心は、恐怖によってすっかり折れてしまった。負けることを受け入れてしまった。逃げることに必死で、獣のように落ちぶれてしまっていた。
物陰で立ち止まり、唇を噛みうつむくテレイア。エントランスの持ち場が、なぜだか今は近くて遠い。
彼女が持ち場に向かって再び歩き出す前に、一台の馬車が止まって一組の男女が降り立った。
ざわりと空気が動き、感嘆のため息がテレイアの元まで聞こえた気がした。
顔を上げたテレイアの目に飛び込んできたのは、シンプルで洗練されたドレスを纏った一人の女性だった。
夜が、形をとったようだとテレイアは思った。
夜の女神はきっとあのような姿をしているのだろうと。
夜空に瞬く星々は女神を飾る星々で、淡く輝く月はきっと女神の顔だ。月を雲が隠すように、その顔はレースのヴェールに覆われているけれど、馬車から降り立った女性がこの世の誰より美しいことを、テレイアは瞬時に理解した。
本当に美しい物を前にした時の感動。弱り、餓えた獣のようなテレイアの心は、人間らしい感情に震えた。
あの美しい女性の前では、この場に集う紳士淑女などそれこそ野に咲く毒花だ。立ち姿はひどく優雅で、エスコートする男性に手を伸ばす動き一つで、毒花たちは萎れて枯れてしまいそうだ。少なくともテレイアの目には、彼女しか見えなくなっていた。
美女がたおやかな手をパートナーらしき男性に預け、馬車のステップを降りる。礼を告げているのだろうか、その顔がパートナーの男性に向けられ、……その瞬間、テレイアの心臓は、突き刺すような痛みを覚えた。
(な……んで、あいつが……)
美女をエスコートする男性は、あの城の悪魔だった。
「ヒッ……ヒッ……ヒハッ……。ッツ!」
恐怖に引きつり鳴る喉を、ガチガチと打ち合い音を上げそうになる歯を懸命に抑え、暗がりに身を隠す。
ほんの一瞬の出来事のはずだ。エントランスへはまだ距離があったはずだ。
(気付かれていない、気付かれていない、気付かれていない、気付かれていない)
テレイアは斥候だ。気配を隠すすべには長けている。けれど磨き上げてきた技術も、距離も時間も、あの悪魔の前では何の意味もなさないことを、テレイアは本能で理解していた。
どれほど時間が経っただろう。
テレイアにとって長く感じられた時間は、おそらくは十秒にも満たない束の間だ。
美女への感嘆に満ちた空気が和らいで、雑然とした雰囲気が辺りに戻ってきた。
衆目を集めた男女は立ち止まることもなく、劇場へと消えていった。テレイアなど彼女を見つめる有象無象の一人にすぎなかったのだろう。それとも単に今のテレイアには何の価値もなかったのか。
テレイアにとって幸いなことに、あの悪魔はテレイアを顧みることなくホールへと消えていった。
「おい、どうした? 病気か、酷い顔色だぞ。それに、それ汗か?」
踵を返し、更衣室へと走るテレイアに、すれ違った同僚の一人が声を掛ける。
ぎょっとする同僚の表情に、テレイアは自分の体が冷や汗でぐっしょり濡れていることに気が付いた。おそらく顔も憔悴し、ひどいものだろう。
「……辞めます。支配人に言っておいてください」
「は? おい、ちょっと……」
引き留めようとする同僚を振り切ると、テレイアは急いで荷物を回収し、劇場を飛び出す。あの悪魔がいるのなら、もうこの街にはいられない。
テレイアはここまで共に逃げ延びてきた仲間たちの元へと、がむしゃらに走った。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
テレイア「ギャーッ、黒いの、でたー!!!」




