温 もりは束の間で
「チミ、採用ね。明日から来てくれたまえ」
「ホントかい!? ありがとう!」
「あー、本当だがね。周りの従業員を見習って、その口の利き方は直してくれたまえよ。チミの仕事は警備だがね、お客様に何か聞かれることがあるかもしれんのだからね」
「あっ、ハイ」
「これだから、冒険者とかいうやつは。いいですかな、チミが粗相をすれば、チミを紹介した方の顔に泥を塗ることになるのですよ」
「ハイ、スンマセン」
「“すんません”ではなく、“すみません”! いえこの場合は、“申し訳ございません”です。リピート・アフター・ミー」
この男、殴ってやろうかな、と冒険者の女、テレイアは手が出そうになるのをこらえながら「モウシワケゴザイマセン」と返事をした。
一昔前の自分なら、間違いなくぶんなぐっていたし、そもそも劇場の警備員などという仕事に就こうなどとは思わなかった。さして稼げるわけでもないのに、こんな風に偉そうに指図されるなど我慢ならないからだ。激しい気性に見合った戦闘能力を持っていたテレイアは、冒険者としてそれなりの名声と稼ぎを手にしてきた。
けれどテレイアが及びもつかない化け物がこの世にいることを知った今となっては、この安全なパテッサの街で定職に就けることが何よりもありがたい。
テレイアは、アモルによって悪魔の城の地下に捕らえられていた女性たちの一人だ。
悪魔の城からどうして解放されたのか、テレイアは知らない。訳も分からないまま装備を返され、外へ出された。解放されたことを理解したのは森へ逃げ込んだ後で、自由になったテレイアたちは悪魔の手下に成り下がり、自分たちを苦しめたエルフたちに復讐を果たした。
人を殺めるのは初めてではなかった。護衛の仕事で盗賊と戦った経験は一度や二度ではない。自分に刃を向けた者を倒すのは当たり前のことで、何度も自分たちを切り刻んだエルフたちが、逆に切り刻まれ殺されたのも当然の報いだと考えている。
だから罪悪感もなければ後悔もない。けれど、達成感や快感の類もテレイアは覚えなかった。あの悪夢の根源はエルフたちなどでなく、毎夜靴音と共に悪夢をもたらしたあの悪魔だと理解していたし、あの悪魔には復讐など望むべくもないことは明らかだからだ。
自分たちを苛んだエルフたちも被害者で、これは八つ当たりや代償行為の一種だと理解できていた者が何人いただろう。
エルフの血に誘われて魔物が集まって来る前に、テレイアの呼びかけに応じてあの場を離れた者は、テレイアを合わせてたったの4人しかいなかった。あの場でエルフの血にまみれていた他の者たちが、その後どうなったのか、テレイアは知らない。
テレイアの呼びかけに答えたうちの一人はプリメラという商人の娘だった。あの地下室では“虫”と呼ばれ、自分たち“メイプル”の世話をしてくれていた。“虫”は加工場で血を抜かれない代わりに、入れ替わりが激しかった。なのにプリメラだけは、長く生き残っていたからよく覚えている。
残りの二人は獣人のカニスとダークエルフのスース。カニスは犬だか狼だかの獣人で、人間に近い目鼻立ちをしているが体どころか顔まで毛で覆われている。「毛が入る」「獣臭い」という理由で“加工”の頻度は少なかったから、恨みも浅かったのだろう。テレイアの声に反応し、魔物が集まってきている状況を理解して復讐より逃走を選んだ娘だ。
逆にダークエルフのスースは、執拗なほどに“加工”され、少しおかしくなっている。テレイアも経験したが、“加工”の最中は心が折れたりしないよう、ハイエルフが呪いをかける。だから発狂はしていないのだけれど、正気とも言い難い。“メイプル”たちがエルフに復讐している間も、自らは何もせず、にたりと笑いながらじっと見ていた。テレイアの呼びかけに応えて付いてきたけれど、ほとんど何もしゃべらず、白昼夢でも見ているかのように時折ニタニタ笑うのだ。
そんな4人の逃避行は、意外なことに順調だった。
戦えずお荷物と思われた商人のプリメラは、物知りで街の情報に詳しかったし、路銀の調達に長けていた。ダークエルフのスースは何を考えているのか分からなかったが、森の中での移動や食料調達が得意だ。斥候から前衛まで器用にこなすテレイアと、身体能力にたけたカニスが上手く立ち回り、ようやく辿り着いたのが、霧の町として有名なパテッサだった。
この街を選んだ理由はシンプルだ。あの城の悪魔たちが恐ろしかったのだ。
路銀は心もとなかったけれど、あの城から近い場所は却下した。いつ、あの悪魔たちが襲って来るかもしれない場所で暮らせるはずがない。
途中、もっと冒険者に適した、適度に魔物が生息する街もあったけれど、わずかばかりの路銀を稼いだ後、この街までやってきた。
魔物の少ない、安全な街。
知り合いも実績もない者が街の中で就ける仕事など、酒場の警備や、運河を渡ってきた船の荷下ろし程度しかない、冒険者にとっては稼げない街だったけれど、夜中まで街中に繰り出す住人の暢気さに、テレイアたちはようやく安全な場所に逃げ込めたのだと安堵した。
金はない。ツテもない。そんな者たちに、この街はろくな仕事を与えてくれない。
だから使えるものはなんでも使った。
「テレイア、あの男、あなたに気があるみたい」
「よしてくれプリメラ。あんなの駆け出しの冒険者じゃないか。よくみろよ、立ち姿から見てわかんだろ? 弱っちい男なんてあたいの趣味じゃないんだ」
「テレイアこそよく見なさいよ。駆け出しなのにあの装備、きっと悪くない家の3男か4男ね。家を継げないから冒険者になったくちじゃないかしら」
「家を継げねぇんじゃ意味ないだろ?」
「あなたこういうのには疎いのね。冒険者なんて目指す子供にあんな装備を買い与えるのよ? 子供には甘いのよ。仲良くなれば働き口を紹介してくれるかもしれない。いい? 先輩面しちゃだめ。テレイアの場合は、そうね、とにかく褒めておだてればいいから。ちょっとはスースを見習って!」
「いや、スースは、ありゃ駄目だろう。あんなとっかえひっかえ来るもの拒まずってのは。アイツやっぱどっか壊れちまってんだよ……」
プリメラの人を見る目は驚くほど確かで、テレイアはプリメラが勧めるままに何人かの男と親しくなったおかげで、劇場の警備の仕事にもありつけた。
あの悪魔たちに比べれば、人間なんて皆弱い。今までのテレイアなら歯牙にもかけない男たちではあったが、あの悪魔たちに比べれば自分と男たちの差など無いに等しい。そう思えば、テレイアの肩の力は抜けて、弱った心を束の間預けることさえできた。
悲鳴やすすり泣きの代わりに誰かの寝息が聞こえる夜は、彼女らに癒しと安堵を与えてくれた。
逃げ延びた4人の女たちの暮らしは、二人部屋を四人で使い、食べ物を分け合うような貧しいものだったけれど、獣の仔が巣穴で身を寄せ合うような日々に恐怖の記憶は薄くなっていった。
幼獣がやがて成獣となるように、彼女たちがいくらかの意欲と力を取り戻したころ、その噂を聞いたのだ。
「明け方に霧が出る夜は人が死ぬ。今までなかったことだ。……あの霧は、魔物ではなかろうか」
今夜もまた、パテッサの街に霧が出る。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
悪魔の城から逃げのびた4人、不運にもパテッサに滞在中。




