く もつ *
レクティオ商会のパテッサの街での商売は順調だ。
ソフィアに湯水のように金を使っても、資産は増える一方だ。むしろ、“番頭が商会主の令嬢に貢ぎまくっている”という人間臭い行動が、特殊な商品を扱い急成長を遂げるこの得体のしれない商会を、身近に感じさせているらしい。
“アモルという超優秀な番頭が、病弱でおそらくは気弱な令嬢を垂らし込み、商会を丸ごと乗っ取ろうとしている。このパテッサの街に連れ込んで貢ぎまくっているあたり、既成事実でも作るつもりではなかろうか”という下世話な詮索が、レクティオ商会の異常性をうまく隠しているのだろう。こういう損得一辺倒の詮索が嫌いな層も、稀に見かけるソフィアの美しさを目にすると、“あの美しさなら番頭が必死になるのも無理はない”と、自分好みの美談として納得してしまうのだ。
(自分に都合のいい解釈を信じる人間の能力には、感心すら覚える。まぁ、疑念は抱かれないに越したことはないのだが)
今のところアモルは、エルフに対しても、金融部門の顧客に対しても、悪魔の物とは思えない生ぬるい契約しか結んでいない。悪魔にとって最も厄介な相手に、目を付けられないよう、細心の注意を払っているのだ。
(ソフィア様が成長あそばされるまでは、慎重を期さねば……)
成長、つまりは冠位を上げ、より高位のヴァンパイアに進化することだ。
『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』の世界であれば、魔物を倒すことで経験値が溜まって強くなった。
ではこの世界ではどうか。
悪魔が契約の対価に求めるものは、古典文学にあるものと変わらない。
純潔と命、そして魂。
受肉するための依り代として、肉体――死体の山が用いられることもあるが、これはあくまで顕現するための対価だ。悪魔を呼び出すために殺して死体の山を築いたのなら、命を捧げるわけだから対価となりうるが、戦争や何かでたまたま大量に発生した死体の山を捧げても、願いの対価には届かない。
悪魔が対価として重要視するのは、やはり純潔や命、魂なのだ。
(あちらの文献では魂はコレクションのように描かれていましたが、我らにとってはエネルギーの源。肉を喰らうために人が狩りをするように、悪魔もまた、食べるために勤勉に労働しているだけなのですがね)
もっともアモルは、あちらの世界の悪魔にとってのこれら対価が、どのような意味を持つか、文献以上の知識はない。電脳世界に構築された悪魔型NPCというプログラムに過ぎないアモルに、悪魔の真実など知りようがない。
けれど、今のアモルは間違いなく悪魔と呼ばれる存在で、魂を最上の契約対価として集める悪魔が、集めた魂をどのように利用するのか理解している。
この世界において、命も魂もエネルギーの塊だ。
命をエネルギーとみなすのは理解しやすい。生命力、ゲームでいうところのHPだったり、寿命などといった、生きるためのエネルギーを指す。肉体と密接な関係があり、多少減少しても、食事や休息を取れば回復するが、肉体が生命を維持できないレベルで破壊されれば、肉体に宿っていたエネルギー、すなわち命は奪った者の手に渡る。
モンスターを倒して手に入る経験値の正体はこの生命エネルギーだ。
悪魔が契約によって命を奪う行為は、冒険者などと自称する人間が問答無用で魔物の命を刈り取るのに比べ、対価を提供する分よほど紳士的な行為と言える。
それに対して魂というもの。
これは、一言でいうならば、高位次元のエネルギー体であるとアモルは認識している。
この世界には治癒魔法というものがある。本来ならば生命を保てない壊れた肉体も、修復することが可能だし、怪我で失われた“命”に当たるエネルギーまで補充できる。けれど、一度完全に“死んで”しまうと、肉体を完全に修復しても生き返ることはない。
生死というものは、魂が肉体に宿っているか否かで決まるのだ。死ぬというのは、魂が肉体から離れている状態で、生きるというのは魂が宿っている状態を指す。心臓が止まっていても魂が離れる前なら蘇生は可能で、魔力が高かったり身体能力が高かったりと、肉体と魂の結びつきが強固なものほど蘇生は成功しやすい。
魂の存在を知覚できる種族はこの世界でも多くはないから、蘇生魔法は成功率が低いとか、神に必要とされる強者のみの特権として認識されているけれど、魂の存在を知覚できるアモルからしてみると、魂こそが生き物の存在の根源、あるいはそのものであるように感じられるし、エネルギー体としてみるなら次元が違う。
単純にエネルギー量の差としてみれば、一人の命を刈り取って手に入るエネルギーを1とするなら、魂は10万を超える。徳を積み磨き上げられた美しい魂ならばそれ以上だ。まるで石炭とウラン鉱石の発電能力の違いのような差だ。
死んで肉体を離れた魂は、この世界よりより高位次元の世界に還る。その先の仕組みは分からないけれど、やがて再び生命として生まれるために世界へ戻ってくる。悪魔はその循環を知覚することができても、生きていようと死んだ後でも、魂に触れることはかなわない。
唯一、魂を手に入れる方法は、生きている間に魂の所有権を悪魔に移譲するという契約を結ぶことだ。
悪魔にとって人間を殺すことなど造作もないが、たった一人と契約するだけで、十万を超える殺戮以上のエネルギーが手に入るのだから、悪魔はあの手この手を駆使して人間を篭絡し、魂を奪おうとする。契約の為に使ったエネルギー――労力や金、魔力などは、契約さえしてしまえば微々たるものなのだ。
ちなみに純潔が対価になるのは、何者も触れていない魂に接触できる唯一のチャンスだからで、魂から命の半分程度のエネルギーをかすめ取ることができるし、臭い付けの意味もある。今後魂をいただくための、初回特典的な意味合いが強い。
(“悪魔の誘惑”などというが、この街は悪魔にとっても誘惑が多い)
人間たちはとても愚かで、魂の何たるかを分かっていない。目先の金欲しさに、簡単に魂を売り渡してくれるだろう。ご馳走や財宝を前にした人間たちの気分とは、おそらくこういうものなのだろうなとアモルは思う。悪魔にとっては、こういった人の住処は、まるで甘い蜜壺だ。
この甘い蜜に、アモルたち悪魔が飛びつかないのには訳がある。
悪魔が存在するこの世界には、その対となるモノ、抑止力として働くモノもまた存在する。そして、最も厄介なのは、それらを束ねる上位存在――、神と呼ばれる存在だ。
彼らは人間を守護する立場をとってはいるが、個々の存在に頓着していない。
悪魔が誰かを不幸にしようと殺そうと、その数が数百程度なら何かを感じることもない。魔物が人を喰い殺すのも、悪魔が人間を食い物にするのも、彼らにとって違いはなく、この世界から魔物が駆逐されていないように、悪魔にも特段関与してこない。悪魔が不幸を振りまけば、人々の信仰が深まるから、必要悪でさえある。
ただし、魂を大量に狩るとなると話は別だ。
悪魔にとって人間の魂に価値があるのと同様に、彼らにとっても魂というものは重要な意味を持つ。
(今のソフィア様が、もし奴らに狙われたなら……)
想像するだけで恐ろしい。だからこそ、アモルは今まで慎重に、けれど着実に計画を進めてきたのだ。ソフィアはトゥルーブラッド。ここからはずっと多くのエネルギーが必要となる。何者にも、ソフィアにも気付かれずにソフィアという器を満たすために、アモルはこの街へやってきたのだ。
■□■
運河と街が交わる場所に、城壁から運河側にはみ出すように、高い塀に囲まれた要塞のような建物が建っている。万一魔物が襲って来た時は、魔物を集め、撃退できるよう設計されたこの塔は、この街の監獄として使われている施設だ。
満員とはいかないまでも、専用の施設が必要な程度に収容されていた囚人や看守は今や一人もおらず、代わりに看守に化けた数人の悪魔がこの塔を管理している。
この監獄の街側にあるホールで、アモルは巨大な魔法陣を展開していた。
魔法陣の中央には手足を縛られ、猿轡をはめられた6人の男たちが転がっている。皆、レクティオ商会金融部門の債務者のうち、金貸し悪魔の話し合いに応じなかった男たちだ。捕縛され、地下室で目覚めた時点で、全力で逃げた自分たちを容易に捕縛した金貸しが一体何者なのか、少しでも考えていたなら今頃は運河を渡る商船の船底で、粗末ながらも食事にありつけていただろうに。麻薬の影響から解き放たれても、ろくに頭を使えなかった者たちは、悪魔と交わした契約を破る意味を身をもって知ることになった。
「<弱きもの、薄きもの。覆い隠し、惑わし、癒さざるもの。広がり漂い沸き立つ水魔よ。我が求めに応じ顕現せよ>」
魔法陣に手をかざすアモルの命に従って、魔界の門がわずかだけ開く。
ここは人の街。神の結界に守られた場所だ。今はまだ、奴らに気取られるわけにはいかない。余計なモノを招かぬために、開く扉は家屋の隙間ほどのわずかだけ。そんな隙間を通れるような些末なものでも、使い方によっては十二分に役に立つ。
「ごああぁっ……」
あごが外れるほどに開かれた口から、生贄たちの叫びが響く。
断末魔の叫びというより、体内から噴き出す大量の霧に喉が鳴っていると言った方が正しいかもしれない。
人間の体はその6割ほどが水分でできている。
アモルが呼び出したモノたちによって、それが一気に体の外に放たれたのだ。
肉体の持つ水分が変質した霧は、口や鼻からだけでなく、鼓膜を破り、眼球を押し出して生贄の穴という孔から噴き出していく。ポンッと軽快な音を立てて飛んでいったのは眼球だろうか。骨ばった男が口と尻から勢いよくガスを噴き出し、体をコマのように回転させている様子は、いっそコミカルでさえある。
変貌はほんの十数秒で、後には濃厚な霧の下、萎びた死体が横たわっていた。
悪魔の城の地下室で切り刻まれた者たちに比べれば、短い時間で死に至れたのは、犠牲者たちにとって幸運なことだったろう。
――我ら妖霧、御身の前にまかり越しました。
「よくぞ来た、霧の魔よ――」
魔界から召喚された6体の妖霧は、アモルの命令を拝受すると、運河から立ち上る霧に紛れて街へ広がる。
いつからか、パテッサの霧は一層濃く、日が昇ってもしばらくの間、街を覆うようになっていた。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
アモル「妖霧召喚!」




