抱 きこまれる商会
豊かさは貧富の差を生み、平穏は人の心を腐らせる。
アモルがパテッサという街を選んだのは、この街が程よく熟れ腐りかけていたからだ。
パテッサは地形と城壁によって魔物の被害が少ない土地で、加えて運河がもたらす交易により潤っていた。この街の経済はこの世界においては成熟している部類だろう。歴史のある商会が多く、その税収により政治も安定している。
逆に言えば、新参者が成り上がるチャンスの少ない街ともいえた。
若者は大商会に所属し、媚びへつらって一定の地位を得ることが出世の近道であったし、商会に紐付く組織に所属できなかった者は、貧しい暮らしを余儀なくされた。
しかし、この街において貧困層と呼ばれる者であっても、寄港する船の荷下ろしや農家の手伝いといった日雇いの仕事があるから、口に糊する程度の暮らしはできる。城壁だけは街に住む者を平しく守ってくれたから、魔物に殺される心配もなかった。
死にはしないが夢もない。そんな者たちの間で麻薬がはびこるのは当然の流れだったろう。豊かで安全なパテッサという街は、悪魔にとって香しいほどの饐えた臭いを放つ糞溜めでもあったのだ。
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「か、かね、金貸してくれ。ここなら、担保もなしに貸してくれるんだろ?」
「いいえ、そうではございません。当店ではお客様自身を担保にお金をお貸ししています。利子は10日で1割、お支払いいただけない場合は元本に加算され、お借入れの金額が金貨10枚になりましたら、10年間私どもが斡旋する職場で働いていただきます。お借入れの上限は金貨10枚。この場合は、3日目に初回の利息をお支払いいただきます。それで、如何ほどご入用で?」
アモルが運営するレクティオ商会の金融部門は、上げる利益もさることながら、取り扱う商品によって、新規参入の障壁が高いこの街に急速に浸透していった。
10日で1割、いわゆるトイチという金利は、まっとうとではないにしろ悪魔にしては良心的だ。人間の金貸しの方がよほど悪辣な金利を貸すこともある。
ここへ金を借りに来る連中は、担保にできるものなどとうに失い、雇い入れてくれる先もない、麻薬に蝕まれた肉体しか持たない者たちだ。
まっとうな者ならば、返せなければ10年間も強制労働させられる契約など、結びはしまい。けれど、家もなければ家族もいない者たちだから、そもそも返す気などない。
借りられる上限の金貨10枚を借りて街から逃げるか、麻薬漬けでまともな思考すらできなくなって、目先の金欲しさに契約を結ぶ者ばかりだ。他の金貸しが、借金を返せなくなった債務者を連れてくることさえある。麻薬漬けになった者など、まともに働けるはずがなく、強制労働させたとしても金貨10枚の価値もない。
「へ……へへ、10枚貸してくれよォ」
「畏まりました。では、こちらの書類にサインと血判を」
字の書けない男は、羽ペンを握って署名欄に“×”を掻き、横に血判を押す。
書類に何が書かれているのか、ちゃんと読もうとするものは皆無で、皆この契約書をただの紙切れだと思っている。
「すまねぇな、きっと返すからよ」
嫌らしくゆがんだ笑みを浮かべ、へこへこと頭を下げ後、店を出た男は小走りで街の暗がりへと消えていった。
今日の男は逃げる気だな、と金貨を渡した店員は思う。人の姿をしているが、当然ながら人間ではない。パテッサの街を担当する道化の悪魔の配下として付けられた下位悪魔だ。この契約書さえあれば、どこへだって取り立てに行けるし、強力な冒険者はともかくとして、この店で金を借りる羽目になるような人間にてこずるほど弱くはない。
案の定、男が利息を払いに来ることはなかった。
金を借りてすぐにこの街を出て、3日目までビクビクしながら男は過ごした。けれど、約束の3日の夜が更けても取り立て人は現れない。男は「逃げきれたのだ」と安心し、他所の街の路地裏で酒瓶を抱えて眠りに就いた。
そして、目覚めると見たことのない地下室にいた。
安酒からくる二日酔いどころか、そろそろ麻薬が切れる頃合いだというのに、気分はやけに爽快だ。目の前に金貸しの男がいなければ、これは夢だと思っただろう。
「金利をお支払い頂けませんでしたので、契約通り仕事を斡旋させていただきます。麻薬の中毒状態のままでは仕事に差し支えますので、こちらで治療させていただきました。サインいただいた契約書にも明記してございますが、かかった治療費分、労働期間が延長されます。エルフの貴重な秘薬を用いましたので、お客様には20年働いていただきます」
「20年だと!? そんなのおかしいだろ! くたばりやがれ、この野郎!」
この場合、一体どちらが悪いのか。
金貸しは悪魔ではあるけれど、債務者のゴネ得をゆるさず、肉体言語でオハナシし、仕事まで斡旋してやったのだ。麻薬中毒を治療したというオプションまでついている。債務者が20年間ただ働きな上、夜中にこっそり貨物船に運び込まれ、売られるように就職先へ運ばれたことなど些末なことだ。
彼らの就職先の多くは、この街の商会の馴染みの商船だったり鉱山だったり漁船だったりと過酷な場所ばかりで、とてもではないが20年も身体がもつ場所ではない。レクティオ商会はこういった職場に金貨200枚という破格な労働力を提供することで、この街で販路を広げることに成功している。もはやレクティオ商会からの人材が無ければ成り立たないほど抱き込まれた商会も少なくない。
人買いと金貸しが儲かるのはどこの世界でも同じことだ。
その両方を行っているレクティオ商会の業績は言うまでもない。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
レクティオ商会の商品その② 人材(20年縛り)




