な げきの時代
西暦2420年、人類は緩やかに絶滅に向かっていた。
2200年代から顕著になった生殖能力の低下、出生率の減少に加え、2300年代には原因不明の病が蔓延した。
手足のしびれから始まって全身の筋肉が減少し、ついには心臓が停止する症状は、筋萎縮性側索硬化症と似ていたが、この死病は初期症状である手足のしびれから心臓の停止までわずか数年という短期間で罹患者に死をもたらした。
学者たちの必死の調査にも関わらず治療法は見つからず、一定の有効性が見いだされたのは、成長過程にある子供はほぼ発症しないという事実と、発症した場合、症状の現れた肉体の部位を切除することで、わずかばかりの延命が図れるという、治療とも呼べない処置方法だけだった。
この病の原因は、百年以上前に猛威を振るったウィルス感染症による、人類の遺伝子変異。人類は、その設計図から滅びるべく作り替えられていた。
感染したレトロウイルスの遺伝子がゲノムに組み込まれることは、ゲノムの多様性を飛躍的に広げる側面もあるけれど、このウィルスがもたらしたのは、他の個体との接触で変異遺伝子が活性化し、発症状態に至るという最悪な運命だった。
風邪のように唾液などの飛沫だけでなく、肌を介した他者と触れ合いによる汗や皮脂からでも発症状態に至ってしまう。発症率は極めて低く、接触による発症のしやすさ――相性と呼べるものも確認されたけれど、それが何の慰めになろうか。
握手どころか、くしゃみ一つでも運や相性が悪ければ発症する。
そんな状態では社会生活すら営めない。まして種の繁栄など、望むべくもないではないか。
――種としての寿命が来たとしか思えない。
人類の大半がそのように考えていたけれど、時の国際社会は、人類の存続を最優先かつ最重要の課題とし、人工授精卵を培養槽で育成することで人類を誕生させることに成功した。そうして、何とか種を維持しつつ解決方法を模索したこの100年余りは、人類にとって刈り取られ枯れるのを待つ花のような、儚い時代と言えた。
この時代に、激減した人類の代わりを担ったのは、高度に発達したAI技術だった。単純な頭脳労働だけでなく、細かな指示を与えなくとも食料を始め人間の暮らしに必要なものを自動運転機械が生産してくれたおかげで、人類は文化的な生活を何とか維持することができた。
こんな状況に陥っても、人類とは社会的な動物である。食いつなぐだけでは充足した人生など送れない。社会に所属し、貢献し、あるいは自己を表現することで承認されたいと願う。
ソフィア達人類は、その場を電脳空間に求めた。
現実世界よりよほど現実的な電脳空間にフルダイブし、そこで働き、あるいは遊ぶ。
様々な電脳娯楽が提供され、その中の一つ、ファンタジー系のMMORPGにソフィアは夢中になっていた。
この『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』もその中の一つで、一世を風靡した超大型タイトルだった。少ない人口を補うために導入されたのが、人気の引き金ともなった “エンキドゥ・システム”と呼ばれるAI思考型のNPCたちだ。
少し話したくらいではプレイヤーと見分けがつかないエンキドゥスは、プレイヤーを助ける仲間として、あるいは敵対するプレイヤーの代わりを担うことで、電脳娯楽を盛り上げた。
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おとぎ話に出てくるような瀟洒なファタ・モルガーナ城。
その中にある、水晶の薔薇が咲き乱れる夜の庭園。
ソフィアには、現実の世界――電脳世界へのコンソール・ベッドシステムと最低限の家具しかない狭い自室などより、この幻想的なゲームの世界のほうがよほど楽園に思えた。
「AIって子供のころは人間みたいに感情を持つものだと思ってましたけど、結局はプログラムなんですよね」
「今の時代、AIも人間も変わらないんじゃないかなぁ? 特にエンキドゥスは。どっちも社会を維持するための使い捨ての部品に過ぎないと思うわけよ」
ギルドハウスである白亜の城でのお茶会の話題は、見目麗しく愛らしい――おそらく中身も女性である、女性二人のものとは思えないほど乾いたものだったが、ソフィアにとってギルドマスター、シビュラとの会話はとても楽しいものだった。
「シビュラさんはAI開発とかしてるんでしょう? この前貰ったMODもすごかったし。名前もない“量産品”の私とは違うわ」
“量産品”とは、コンピューターが選び出した“発症しにくい組み合わせ”で掛け合わされ、生み出された、親を持たない人間の俗称だ。
この時代、血、あるいは家を残すために有力者同士が血縁関係を残すことは、莫大な資産を有する少数の者に許された特権だった。当然のことながら、血縁関係を持つ子供を設ける場合も、子供は妊娠、出産という過程ではなく培養槽で誕生するのだが、子供を持ち、一族の人間として相応しい教育を施すには多額の資産が必要になる。その代わり、彼、彼女らには積んだ金に相応しい支配者階級としての将来と、21世紀の先進国の人間にあったという様々な権利、いわゆる人権というものが与えられた。
そうでない、親を持たない大多数の人間は、人類という種を維持するための道具ともいえた。それを象徴するように、“量産品”と蔑称された人間は、製造No.の他に個人を特定する名前を持たない。
両親がないから姓はなく、名付けてくれる者がいないから名もないのだ。
量産された子供たちは、病の発症率がほぼゼロとされる幼少期を施設で過ごし、性的に成熟し教育課程を修了する16歳になると、次世代を“製造”する原料として、生殖器の一部――卵巣や精巣を摘出される。
そしてその日を境に、“量産品”は労働力として成人となり、文字通り社会を構成する部品の一つになった。
それでも、一定水準の学力と電脳空間適正があり、電脳空間内の様々な職種に就ける者は、まだ勝ち組と言えた。それさえも持ちえなかった者たちは、自動化が困難な、社会の隙間に生きるほかなかったのだから。
「私みたいな量産品、こうやって電脳空間で美味しいものを食べられるだけでもありがたいんですけどね」
赤から白、桃色から紫を経て再び赤の層を織りなす美しい苺のムースケーキを、ソフィアはフォークで切り分け口に運ぶ。口いっぱいに広がる甘さは現実世界で食べられるどの食品よりも美味しい。娯楽を担う電脳空間で楽しめる味覚付き食品データはいわゆる課金アイテムで、共通フォーマットで配布されているから、ほぼすべてのゲームやアプリで楽しむことができる。それでも所詮はプログラムで、現実の果実にさえ劣る単調な味なのだけれど、そんな高級品は手に入らないソフィアにとっては十分にご馳走だ。
友人とおしゃべりしながら美味しい物を食べる。そんな贅沢ができるのも、“電脳職”に就けたおかげだ。
幸いにも高い学力と電脳適性を有していたソフィアは、量産品としては悪くない会社に就職し、悪くない生活環境を手に入れることができた。それでも、現実世界の彼女の住処は、電脳空間に接続するためのコンソール・ベッドが置かれ、出入りすら制限された狭い部屋だったけれど。
“量産品”たちにとって社会というのは電脳空間に広がるもので、持って生まれた肉の体は誰とも触れ合うことがないまま狭い空間に隔離されて暮らすのだ。
「ストレスたまってそうだね、ソフィア。今は私自慢のプロテクトが効いててログも取られないから、好きなだけ愚痴っていいよ。“われわれはー、生身でのハグを要求するー”とかね」
「あはは、それ、逮捕案件」
テテテと駆け寄ってきたシビュラがギュウとソフィアに抱き付いてきた。10歳くらいの少女の姿をしたシビュラは透き通るようなプラチナブロンドのストレートロングの髪とアメジストの瞳を持つ美少女だ。首に巻いた金色のフォックス・ファーがフカフカとして気持ちいい。
しかし、この姿に騙されてはいけない。ゲームの枠を超え、電脳空間全体で実施しているログ取得をプロテクトできるなど、並みのプログラマーではありえない。
成人となった“量産品”が失うのは、肉体の一部だけではない。電脳空間における彼らの言動は、すべてサーバに蓄積され、AIの学習サンプルとして利用されるのだ。
プライバシーなどというものは、親が多額の費用を支払って誕生させた、少数の支配層の為のものだ。それ故、量産品の中には、反社会的な思想を持つ者も少なくないが、監視の目のある電脳空間以外で人と接触できないこの時代の人類に一体何ができるだろう。
抑圧に対する不満をそらす目的で、『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』のような暴力的な要素を含む娯楽が取り入れられ、この時代に生きる人類のほぼ全員が、乱立する電脳コンテンツに依存して生きていた。
ソフィアのような“量産品”にかりそめの自由が与えられるのは、『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』のようなゲームの世界の中だけだった。
「それにね、ソフィア。私も量産品なんだよ。私の方がソフィアよりずっと部品っぽく働いてるからね。もう、組み込まれ方エグイのなんの」
ソフィアをよしよしと撫でながら、シビュラがほほ笑む。
シビュラの種族はデュラハンで、体の上に載せた首を支える狐の毛皮が彼女のサポートNPCだ。“オプション設定と課金パワー”で創ったというが、どこをどうしたら剥がれた毛皮のNPCができるのかソフィアには想像もつかない。ちなみにこの毛皮、性格はドMでしゃべると煩いらしく、普段は口輪をはめられただの毛皮と化している。
「え、うそ……」
シビュラの「自分も量産品だ」という発言に、ソフィアは大いに驚いた。
フレンドリーな口調を好むが、アバターを通して伝わってくるシビュラの神秘的な雰囲気や垣間見える知性はただ者ではなく、彼女は名家の出に違いないと思っていたのだ。
『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』の世界では、頭脳の明晰さや電脳空間との親和性――“頭脳特性”が優れていれば、チートじみた性能を発揮できるスキルがある。集団戦におけるシビュラがまさにそれで、彼女の強さは伝説保有者としてランキングの殿堂入りを果たしている。シビュラの頭脳はおそらく天才と言っていい。
ちなみに仕事はAIの研究・開発をしているらしく、プログラミングにも明るい。いつ寝ているのかと思うほど忙しいのに、MODやツールを片手間にバンバン作ってくれたりもする。
その、シビュラが量産品とは。
量産品にこれほどの人がいたのか――。
量産品である自分を、どこか劣った者と認識していたソフィアにとって、シビュラも量産品であるという事実は衝撃で、同時に自分の人生を前向きにとらえるきっかけともなった。
ソフィアはシビュラを尊敬したし、慕っていた。仕事の愚痴からアモルの文句まで、いろんな話をしたものだ。
(シビュラさん、どうしてるかな。元気だといいんだけど……)
シビュラがログインしてこなくなって、どれだけ時間が経っただろう。最後に交わした会話は何だったか……。
「ソフィア様、今日は良い月夜でございますよ」
アモルが寝室の窓を開け、気持ちの良い夜風がソフィアの思考を運んでいった。