よ るの喜劇
「……というわけで、外のエルフたちは僕の計画が上手くいったものと信じて、この城を攻めているのです」
あまりにどうしようもない話を聞かされて、ソフィアは頭痛が痛くなってきた。朝のモーニングコーヒーが飲みたい。まだ夜だけど。
ヤートが割とドヤ顔で語った内容はというと。
森でソフィアに毒矢を射かけ解毒剤で脅そうとしたが失敗。ここに囚われていたらしい。卑怯な手段を知られないよう単独で行動していたため、ヤートにとっては不幸中の幸いなことに、仲間のエルフはヤートの失敗を知らない。だから、嘘で彼らにここを襲撃させて、その隙をついて、ソフィアをここへ呼び寄せたということらしい。
なんというか、あまりにひどい。
このエルフは頭も性格も悪いのだろう。
こんなのにうっかり呼び出されるとは、ソフィアは少々情けない気持ちになる。
「おまえ、私が来なければ襲撃の隙をついて逃げ出すつもりだったわね?」
咎めるようなソフィアの口調に、ヤートはきょどきょどと視線を泳がせる。
(仲間のエルフを犠牲にして、逃げ出すつもりだったのね……)
世間一般の価値観に照らし合わせれば、仲間を騙して犠牲にするなど、卑怯なことだと思う。けれど、ソフィアはヤートを責めようなどとは思わなかった。まだ、この段階では。
なぜならば。
「そこまでして、恋人を助けたかったのね……。安心して。貴方たちを森へ帰すわ」
今はソフィアに魅了されてしまっているけれど、ヤートは恋人のエリアーデを助けるために危険を冒したのだと思っていたからだ。
この地下室からも明らかなように、アモルと、そしてアモルを止められないソフィアもまた、ろくなものではない。このヤートというエルフが何を犠牲にしてでも恋人を救いたいと願ったのなら、その尊い献身に報いたいとさえソフィアは思った。
だというのに。
「あぁ、それは結構です。僕の血を吸い、貴女のしもべに加えてください」
ヤートの言葉は、ソフィアの甘い理想とはかけ離れたものだった。
「……なぜ? 彼女の為に、ここに来たのでしょう?」
「はい、まぁ、初めは。僕は愚かしくも知らなかったのです。世界樹の子株があるエルフの里が一番安全な場所だと思っていた。エルフこそが強く優れた種族だと信じていたのです。エルフの里の長となり安全に暮らすにはハイエルフが必要だ。だから連れ戻しに来ただけで、恋人なんてご機嫌取りの役割に過ぎませんよ。
あぁ、僕はなんて無駄な時間を過ごしてきたのでしょう。これほど近くに貴女のように美しく力ある存在がいたなんて! 貴女のしもべとなったなら、森の中でこそこそ隠れ住む必要なんてない。ハイエルフのご機嫌など取らなくとも、僕は自分の力でエルフたちを従えられる!」
「……そう。そうなのね」
ヤートの言葉に、ソフィアへの賛辞は含まれていない。これは魅了によって捻じ曲げられた思想ではなく、魅了にかかっていたからこそ零れ出た、ヤートの本心だ。
ソフィアは、先ほど口にしたワインの味を思い出す。いつものワインに少しだけ混じっていた雑味。
(あれは、自己愛と裏切りの味だったのね……)
自分が助かりたいがため、たくさんの仲間を犠牲にする。そのくせ、自分はよく見られたいから、相手が望む言葉をかける。ゆがんだ自己愛の味は、舌先に甘いが安っぽく、後味はひどく臭かった。
ソフィアは視線を北へと移す。その先で、アモルはエルフの襲撃に対処しているのだろう。どれほどの数で攻めてこようと、ソフィアにはアモルが負ける様子も傷つく様子も想像がつかない。アモルのことだ。きっとファタ・モルガーナ城の防御機構を活用し、エルフを蹂躙しているのだろう。
足元では、ヤートがしもべに加えてくれとうるさくせがんでいるが、ソフィアはもう、この男に何の興味も沸かなかった。ただ、こんな男に騙されて襲撃に加わったエルフたちがあまりに哀れだと思った。
「アモル、来て。今すぐに」
ソフィアは声に魔力を込めて、彼女の悪魔の名前を呼ぶ。
こうすれば、例え音の届かない距離でも、アモルは必ずやって来る。遠く離れたことはないけれど、もしもどこか遠くにソフィアが攫われてしまっても、アモルは助けに来てくれるだろう。そこにはヤートのような、打算や計算はないのではないかとソフィアは思った。そして、もしも逆にアモルが捕らわれたなら、ソフィアはどうするだろうか。
(そんなこと、決まっているわ)
背後にアモルの気配を感じる。夢幻回廊をわざと背後につなげるなんて、なんてこの悪魔らしいのだろう。
「ソフィア様。お召しに従い参じました。が、なぜこのような場所に?」
聞きなれた、高くもなく、低くもない、穏やかで落ち着く声。
この声を聞いた時、ソフィアの心は一つに決まった。
ヤートにとっては、身の毛もよだつ悪魔の声だったらしく、夢見るような心地であった愚かなエルフを現実に引き戻した。見上げ、口説いていた女ヴァンパイアの背後に、彼女の影から湧き出たように立つアモルを見て、無様にも悲鳴を上げる。
「ひっ、ひあっ、あ、悪魔!」
「まさかコレが、ソフィア様を呼びつけたのですか? ……まさか、まさか、貴様、血を!?」
珍しく、ソフィアの前でアモルが声を荒げた。
アモルの瞳はソフィアではなく、それまで路上の石ころほどの注意しか払っていなかったヤートを見据え、その体からは怒りが溢れ出している。
眼孔に燃える黒い炎が身の内から溢れ出し、体じゅうから炎が立ち上っているかのようだ。その迫力に、腰を抜かしたヤートはバタバタと足を動かして、後ろへ逃れようとしながら、そのまま股間に水たまりを作っていた。
「ひっ、ひぃ、おた……お助け……」
どれほど醜態をさらそうと、どれほどみじめに命乞いをしようと、悪魔の怒りを鎮めるのに足りるはずはないのだけれど。
「アモル、部屋に戻るわ。案内して」
「ソフィア様!?」
アモルは怪訝そうな表情で、主であるソフィアを見る。こんな人間を助けようというのかと、ソフィアに問いかけたいのだろう。
「アモル、この地下室は私には必要ないわ。こんな不快なものをこの城に作らないで。この地下室にいる者も、襲撃してきたエルフたちも、生きている者は全員解放してちょうだい」
「…………はい。畏まりました」
アモルの怒りに怯むことなく目をじっと見据えてソフィアは言う。こういう時のソフィアが決して意見を変えないことをアモルは承知している。
渋々と言った様子で、頷いたアモルはごみを見るような視線でヤートを一瞥だけし、その首筋に擦り傷ほどの傷もないことを確認すると、踵を返して上階への階段へソフィアを先導した。
「……道化ども、いつまで寝ている。<起きたまえ>」
異常状態解除の呪文ではなく、魔力を叩きつけるような乱暴なやり方で、アモルは寝こけた道化の悪魔たちをたたき起こす。完全に八つ当たりだ。起こされた道化の悪魔たちは、バケツの水でもかけられたかのような様子で、慌てて飛び起きる。
「フアッ、ハッ、ヘ!?」
怒りが抑えられないと言った様子のアモルを見止めて、慌てて居住まいを正し。
「キャッ、ヒッ、ハ!?」
その後ろでほほ笑むソフィアを見止めて、ヤバイとばかりに平伏した。
道化というものは、機微を読むのに長けている。二人の道化師はソフィアの姿を見たことがなかったが、アモルの後ろでほほ笑む女性が何者かを瞬時に察し、これ以上、その姿を見ないように頭を下げた。不機嫌な自分たちの支配者に、その主へ不躾な視線を送ったと、目玉をくり抜かれてはたまらない。
「道化ども、この地下の者どもを全員外へ解放しなさい。あぁ、いいかね、これ以上傷つけないように。持ち物もちゃんと返してやりたまえ」
「エッ!? アッ、ハハァ! 委細承知でゴザイマス!」
「ヘッ!? ハッ、ハイィ! 受け賜わってゴザイマス!」
意識を失っている間に、一体何が起こったのか。今までの努力を思うと全く納得できないけれど、二人の道化は自分たち以上に不満そうなアモルの様子に二もなく肯定の意思を示した。悪魔の世界は階級社会で弱肉強食。上位者が黒を「白だ」と言ったなら、黒も白に変わるのだ。
「面白い部下がいるのね」
「……お気に召しましたか?」
“これ以上、アモルの機嫌を悪くするような発言はやめてくれ。”
二人の道化は初めて祈りというものを捧げたかもしれない。
「えぇ。だから、八つ当たりなんてしては駄目よ?」
「ハイ。ソフィア様。………………………………………………………………チッ」
小さな舌打ちを一つ残して、悪魔とその主が階段の先に消えた後。
「……タスカッタ? ボスのボスがサイキョウダ!」
「……タスカッタ! 裏のボスにバンザイダ!」
道化の悪魔は安堵のため息を吐くと、アモルの命令通り地下室の後片付けに取り掛かるのだった。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ヤート 「わんわんわん! 飼ってくださいわん!」
ソフィア「アモル、捨ててらっしゃい!」
アモル 「駄犬め」(イライラ)