穴 だらけの策の果て
「……私を呼んだのはおまえ?」
ソフィアが辿り着いた先は狭い居房だった。そこに囚われているらしいエルフの男は、開け放たれた扉の向こうで、あっけにとられた表情でソフィアを見つめていた。
この地下室で、随分血を流したのだろう。白い肌は血の気を失ってさらに青白く、ソフィアの目には血管さえも透けそうに見えた。植物から作られた衣類は血に染まり、黒く変色してしまっている。
痩せた体つきや衛生的とはいいがたい居房の様子から、男の待遇は見て取れたが、男にとって自慢であり武器の一つであろう整った顔と首筋だけは、綺麗に整えているようだ。その様子に、男の目的が見て取れた。
ソフィアの呼びかけに、まるで雷に打たれたかのように男は口を開く。
「おぉ、麗しきヴァンパイアの女王よ。このような場所へのお越し、心より感謝いたします。僕はヤート、近隣のエルフの里の長となる者にございます」
ヤートと名乗った男は、開いた扉から這いずり出ると、ソフィアの足元に近づいて首筋を見せつけるように懇願する。
「女王よ、伏してお願い申し上げます。どうか、このヤートを貴女のしもべにお加えください!」
どうか、と両手を広げると、ヤートの衣類がぱりぱりと音を立て、固まった血が粉となって宙に舞い、ヴァンパイアであるソフィアにだけ分かる微かな血臭を漂わせた。
この血の匂いは覚えている。
初めて嗅いだのは森の中、そして初めて味わったのは――。
「なるほど。そういうことだったのね」
「おぉ、お分かりいただけましたか!」
ソフィアの言葉を自らの提案への肯定だと捕らえたヤートは、歓喜の表情をうかべる。
そんなエルフの男の様子を、ソフィアは笑みを崩さず、けれど冷ややかな目で眺めていた。
■□■
(本当に来た――)
薄暗い居房の扉が開き、目の前に現れた美しいヴァンパイアを見て、ヤートは自分が賭けに勝ったのだと確信した。
(僕の、僕の血に、惹かれて! この、美しいヴァンパイアが!)
同時にヤートの心はかつてないほどに高揚し、美しいヴァンパイアから目を離すことができなくなった。
心を奪われるほどの美しさというものが、この世に存在するのだと、ヤートはソフィアに出会って初めて知った。まるで、最高の芸術作品を前に圧倒されるような、そんな感動だ。エルフというのは美男美女が多い種族だ。ハイエルフのエリアーデは美しい女だと思っていたし、そのエリアーデに“恋人”として選ばれた自分の容姿にも、ヤートは少なからず自信を持っていた。
けれど、この女ヴァンパイアを見た瞬間に、自分たちの美しさなど、野に咲く花の優劣を競うようなものだと思い知った。野に咲く花には自然を生き抜く美しさがある。けれど、単に美しさだけを競うのならば、より優れた品種を何代にもわたって掛け合わせ、土を、肥料を、温度を、日に当たる時間さえも管理し、一匹の虫さえ近づかないように手間暇かけて育て上げられた花に勝てるものではないだろう。咲き誇る花だけではない。茎の長さも傾きも、葉の一枚に至るまで、完璧なバランスでもって創られた、そのような美しさをこのヴァンパイアから感じたのだ。
(これが、ヴァンパイア! なんと、なんという美しさ……。これこそが、我らエルフを統べるにふさわしい、完成された姿だ。僕も、このようにありたい。いや、僕が、僕こそが……!)
何のことはない。精神の脆弱なエルフの男が、高位のヴァンパイアになすすべなく魅了されただけの話だ。
仲間を犠牲にしてでも逃げ出すというヤートの最後の計画は、ソフィアの姿を見た瞬間に、ソフィアのしもべのヴァンパイアになってエルフを統治する、という欲を欲で塗り固めたものに修正されてしまった。
「この城を襲撃しているのはおまえの仲間のエルフたちね。おまえが呼び寄せたのかしら?」
「はい! その通りでございます。僕の呼びかけに答え、随分たくさん来たようですが心配はございません。僕が命じれば、すぐさま女王への恭順を誓うでしょう!」
ソフィアの質問に、大喜びで答えるヤート。犬であれば千切れんばかりに尻尾を振っていそうな、大歓喜の状態だ。仲間を勝手に呼び寄せたのであって、“取ってこい”ができたわけではないのだが。
(あー……、コレ、魅了されてるよね? えぇー……。私、魅了した覚えないんだけど? 魅了って常時発動なの?)
基本的にはパッシブだ。美人が人目を惹くのと同じだと考えれば分かりやすい。アモルや城の悪魔たちは、種族特性上耐性があることと、普段から見慣れているため魅了にかかっていないに過ぎない。もちろん、意図的に使うことで今のソフィアなら同性の侍女悪魔すら虜にできてしまうのだが。
悪くなかったはずのヤートの頭脳は、魅了という名の色ボケで、もはや完全にポンコツと化している。もっとも魅了された当人にその自覚がないために、このヴァンパイアのしもべ化計画は、ヤートにだけは完璧なものに思えている。
(はぁー。何? この状況。いや、冷静になってみると、何? この地下室……)
ソフィア自身、血への渇望に踊らされ、なんだか盛り上がってしまっていたが、それ以上にヤートがハッチャケてくれたおかげで、正気に戻ることができた。
血なまぐさい地下室に、捕らえられている何人もの女と森で矢を射かけてきたエルフ。そして今、この城を襲撃しているのはこのエルフの仲間らしい。
(……これ以上聞かなくても、一連の首謀者わかっちゃったんだけど。まぁ、もとから一人しかいないけど)
とりあえず話を聞いて状況を整理するべきだろう。ソフィアの思い描く“首謀者”は、中途半端に追及しても、うまくかわして逆にソフィアを丸め込んでしまうだろうから。
「……状況を話しなさい」
「はいぃ! 喜んでぇ!」
(頭が痛くなってきた……)
眩暈を覚えるソフィアに対し、ヤートは言葉の通り大喜びで事の次第を話し始めた。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ヤート 「ソフィア様、わんわん!」
ソフィア「ないわー」