の に山羊は鳴く *
不死者が地下室へ至ったのと同時刻。
しもべもまた、本能を満たす喜びに愉楽の時を味わっていた。
「くくくくく。我が荒野へよくぞ足を踏み入れた。本来ならば城にて歓待したいところだが、君たちはドレスコードを満たしていない様子。ここは、気軽な野外パーティーにておもてなししよう」
実に素晴らしい光景だと、アモルは歓喜する。
いつもは森の木陰に身を潜め、探すのも面倒なエルフが群れを成してやってきたのだ。その数は、百は下らないだろう。それも若い個体ばかりだ。
人より長い寿命を残した命の炎は、煌々と輝くばかり。極上の獲物がこんなにも、自らやってきてくれるとは。あの不快なエルフの男を生かしておいた甲斐があったというものだ。
ぱん、とアモルが手を打ち鳴らすと、森と城を囲む草原はごつごつとした岩が転がる荒野に変わる。同時に地面から幾つもの巨岩がせり出して、生命溢れる森との境界を壁のようにふさいだ。
草丈の高い草原に潜んでいたエルフは隠れる場所を失って、幾人かが慌てて森へ引き返そうとしたが、退路は見上げるほどの巨岩に断たれ怖気づく。
この悪魔に見つかった時点で、逃げることなどかなわないのだ。
「い、行け、行け! 攻撃するんだ! 奴は毒で弱っているはず!」
「そうだ! はったりだ! あの悪魔を抜いたら城門が開く! ヤートがそう言ってたじゃないか!」
「そうだ、進めぇ! 仲間を! エリアーデ様を助けるんだ!」
口々に雄たけびを上げ、得意の弓を引き搾るエルフたち。
放たれた弓は放物線を描いて、アモルの頭上に雨のように降り注ぐ。
けれど。
「<風よ>」
ほんの短く唱えただけで、南から強い風が吹き、矢はエルフたちの方へと押し返されて、先頭を走るエルフの頭上に降り注いだ。
ツトトトト。
頭を、顔を、腕を腹を脚を。百の矢に射抜かれて、先頭を走る数人のエルフが地面へと縫い留められる。瞬時にできた歪なオブジェに、エルフたちは足を止め、動揺が辺りを包んだ。
「な、なんだ? 何が起きた!?」
「風が……。魔法か?」
「あんな詠唱、聞いたことがない……」
「そんな、あれだけのエルフの矢を、落とすどころか射返しただと!?」
矢とは風を切り裂き飛ぶものだ。それがまるで風に吹かれて頭を揺らす穂先のように、風に運ばれ返されたのだ。
「……ありえない」
エルフたちの呟きに、アモルは笑みを深くする。
――あぁ、心のきしむ音が聞こえる、と。
「どうした? 草陰に隠れていなければ、恐ろしくて進めないか? 宴はまだ始まったばかりだ。楽しいダンスはこれからだ。さぁ、踊ってくれたまえ。君たちのパートナーを招こうじゃないか! <贖罪の雄山羊>」
まるでファンファーレを指揮するように、アモルが両の手を上げると、そこここに転がる岩の影が大きく伸びて立ち上がった。黒い闇を切り取ったような大きな影は、馬より大きな雄の山羊。
「くっ、来るな!」
その異様な雰囲気に、腰に差した剣で切りかかったエルフの切っ先は、まるで影でも切るような抵抗のなさで黒い山羊へと吸い込まれ、そのままずぶずぶと体の中に吸い込まれていった。
「ひっ、ひい、何だこいつは!?」
慌てて剣を手放して後ろに転んだエルフのほうへ、カツカツと蹄の音を響かせて闇の雄山羊は進む。
カツカツカツ。
「や、やめろ、来るな、来るな、来るなああぁ!」
カツカツ、ぼきぐしゃり。
「ぎゃああああ!」
まるで実態などないようにエルフの剣を飲み込んだのに、雄山羊の蹄は視認できる体格以上の重量を持って、尻もちをつきながら逃げるエルフの脚を踏みつぶす。
「ひぃ、に、逃げろ!」
「うわあああ!」
肉が潰れ、骨が砕ける音をスターターピストルの合図のように、エルフたちは一斉に森へ向かって走り出した。
「ま、まって、待ってくれ!」
脚を折られたエルフに手を差し伸べる者は誰もいない。誰もかれもが自分が逃げ延びることに必死で、彼を振り返りさえしない。
そんな中、唯一彼の顔をのぞき込んでいたのは。
「あ、あ、あ……」
何処に目があるかもわからない闇の山羊。
獣の形をしたそれは、彼の顔を覗き込んで確かに笑った。
「メ゛ェ」
開かれた口の中は、やはり漆黒の闇の世界で、けれどその中には誰とも知らぬたくさんの視線が、彼をのぞき込んでいた。
「いやだ、いやだぁ、怖い、怖い、助けて。たすけ……」
それでおしまい。これでおわり。
体を捻じり、逃げようともがくエルフの姿は、闇の雄山羊に踏まれた場所から漆黒に染まる。仲間へと伸ばされた指の先まで黒く染まると、ずるんと水袋の水が抜けるように形が崩れて闇の雄山羊に飲み込まれていった。
「喜びたまえ。君たちは、影に隠れるのが好きなのだろう?」
アモルが笑う。
めぇ、めぇ、めぇ、めぇ。
ゴロゴロと岩が転がる荒野には、岩の数だけ影があり、その陰から雄山羊も笑う。
逃げ惑うエルフたちは、無数に湧く黒山羊に踏みつぶされ、あるいは喰われ、飲み込まれていく。闇の雄山羊に剣も弓も魔法さえ意味はなく、エルフたちにできるのは、森と荒野を隔てる巨岩に辿り着き、何とか森まで逃げ延びることだけだ。
めぇ、めぇ、めぇ、めぇ。
鳴き声が聞こえる。
(くそ、ヤート、ヤートはどこだ!? 言ったじゃないか、毒を飲ませて弱らせたと!)
森に向かって一直線に走るエルフは、最後までヤートの言葉に懐疑的だった男だ。だからこの城攻めは最後尾に付いていたし、おかげで真っ先に逃げてこられた。
男はヤートの言葉を思い出す。あの男は植物を介した通信魔法でエルフたちにこう言ったのだ。
「計画は順調だ。悪魔たちには毒を飲ませて弱らせてある。今なら城を落とすのもたやすい。折を見て城門を開ける。悪魔たちを殲滅するためにも、なるべく多くの同胞たちを呼び集め、この城を攻めてくれ」
(悪魔に脅されたのか!? だとしても、危険を伝える術はあったはずだ!)
ヤートの呼びかけには、ハイエルフであるエリアーデの声も添えられていた。ヤートの性格であれば隠すだろう、“毒を飲ませた”という告白と、攫われたはずのエリアーデの声に、ヤートに対して懐疑的だったエルフでさえ、真実だと信じてこの戦いに参加したのに。
めぇ、めぇ、めぇ。めえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛。
耳元で、黒い雄山羊があざ笑う。
(どうして! どうしてあんなことを言ったんだ、ヤートオオオォォォォォ!!!)
「今が最初で最後のチャンスなんだ! 今だけやり過ごせたとして、悪魔たちを放っておけば、僕たちは悪魔に生贄を捧げる日々を生きることになる。僕たちの未来の為に、僕たちの子供たちに穏やかな生活を送らせるために、どうか力を貸してくれ!」
そんなヤートの声に応えて、このあたり一帯のエルフの集落から若者たちが集まったのに。
これだけの数のエルフが揃ったならば、きっと悪魔を打ち滅ぼして、子供たちの未来を守れるだろうと信じたというのに。
メぇエ゛え゛え゛え゛え゛え゛!!!
同胞の手により捧げられた生贄たちをあざ笑うかの如く、闇の雄山羊の笑い声が、ただただうるさく耳元で響いた。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
エルフたち「悪魔狩りらくしょー♪ って、あれー?」
アモルのペット「ぱくぱくもぐもぐ」