ダ ウト *
「どうしたのかね? そんな顔をしていては、せっかくの美貌が台無しというものだ」
「は、はい……」
「君たちエルフは、人間種の中では魔力に優れ未目麗しい優れた種族だ。美しい物には価値がある。そうは思わないかね? 私はね、美しいエルフという種族を、他の人間種と同列に扱うのはいかがなものかと考えているんだ」
悪魔の言い分は、エルフの多くが持つ認識だった。
人間は、愚かで残忍で魔力も弱い。地面をほじくり返して作物を育てたり、弱い魔物や動物を狩って何とか生活の糧を得ている。人間が寄り集まって暮らす村や町は、まるでゴブリンの巣穴ではないか。森で豊かな自然に囲まれて美しく暮らすことを許された自分たちと、同じ人間種にくくられること自体、不本意だと。
「どうだろう? ここで、君たちエルフが他の人間種を管理してみては?」
「そ……れは、どういう?」
心の平穏を失った者との交渉はたやすい。泥船を木のボートだと錯覚させて乗り込ませるなど、悪魔にとっては容易なことだ。
「優れた者が劣った者を管理する。それが自然な流れというものだ。街という名の狭い巣穴に暮らす人間どもも、同じ人間どうしでそのような仕組みを構築している。もちろん、この城では我々こそがルールだがね。だが、どうにも人間種というものは脆弱で、我々悪魔種が扱うとすぐに壊してしまうのだ。君も体験したとおり肉体の損傷なら治せるのだが、心というのは壊れやすいうえに、それを持ちえない我々には治すこともできない」
悪魔の提案とはつまり、“メイプル”と呼ばれる人間の“加工”を手伝うことだった。加工中および加工後に“メイプル”たちの心が壊れないように、魔法を使えと言っているのだ。
(でも、さきほどヤートにはまじないが効かなかったわ……)
エリアーデは目の前に転がされたヤートの顔を見る。表情は恐怖に歪み、目と口をふさがれてなお、整った顔立ちは美しい。居房の掃除に訪れる“虫”と呼ばれる人間の女と、同じ人間種だと思えないほどだ。
「君は優しく仲間思いだ。さきほどは、心を治すことでこの男が再びつらい目にあうのではと、魔法が使えなかったのでは? 実に美しい心根だ。さすがはハイエルフだと賞賛しよう。……だが、それがゴブリンであればどうだろう?」
「……ゴブリン?」
亜人種と人間種の線引きは、意思の疎通にあるという。例え二足歩行していても、人間種は人間だろうとエルフだろうと、ゴブリンと交渉しようとは考えない。百害あって一利もない魔物として、見つけたら即駆除することを考える。人に近い姿をしているかどうかは、人間種であるかどうかの判断材料とはならないのだ。
「そうだ、ゴブリンだ。君たち人間種は、意思が疎通できるかで人間種と亜人種を、区別するのだろう。だが、言葉が通じるからと言って、本当に意思の疎通が図れていると? あの愚鈍な人間や、獣のような獣人と果たして本当に? 人間は国によってはエルフを奴隷にしている。エルフの美しい姿をもてあそび、人間の獣欲を満たすために。そこに本当に意思の疎通があると? 同じ人間種だと君は思えるのかね。
それに人間という種は互いに殺し合いをする。規模の小さいものでは野盗が村や旅人を襲い、大きいものでは国と国とが民を使って殺し合う。言葉が通じているはずなのにだ。人間という種族に、本当に意思の疎通があるのか疑わしい限りじゃないか。そして、あれほど殺し合っても、湧くがごとく増え続ける。その様は、まるで」
まるで、ゴブリンのようではないか。
そう囁く悪魔の声は、大層耳障りがよく、エリアーデの脳に甘く響いた。
「人間種という括りなど、かりそめの和平を結ぶための言い訳だ。――問おう。君たちエルフは、人間と同じ種なのかな?」
「ち……がい、ます」
「あぁ、君はやはり賢い。さすがはハイエルフ。エルフの中でも特別な存在だ」
ちり、とアモルの言葉がエリアーデの心の火種を掻き起す。それはこの地下室で踏みにじられた自尊心というものだろうか、それとももっと仄暗い感情だろうか。
「それならば、できるだろう?」
「は……い。ですが、エルフには……」
「分かっているとも。彼女たちには君の手足となって“加工”を手伝ってもらいたい」
「か……加工」
この悪魔は一体何を言っているのか。加工とは自分たちを苛んだ、あの残酷な仕打ちのことではないのか。
エリアーデはその提案に、初めてアモルの顔を見た。
「魔力が高いエルフには価値がある。“メイプル”はとても貴重だ。エルフたちにはこれまで通り“メイプル”として働いてもらった方が生産量は安定する。君が助けてやれなくとも、あと何回かは加工できるだろうしね。だが、……魔力の高い“メイプル”は、ダークエルフでも代用は可能だ」
ダークエルフ。世界樹をまつろわぬ、エルフたちの成れの果て。獣の肉を喰らい、人間と慣れあうダークエルフは、髪も肌も穢れに黒く濁っている――。
そのように、エルフたちは言い伝えており、エルフとダークエルフは古くから敵対している。実際は、生活環境の違いによって、外見に差が出たに過ぎないのだが、排他的で選民思想を是とするエルフたちは、その根拠のない言い伝えを真実として歴史に刻んできた。
この地下室にも、ダークエルフが二人いる。
エルフも、ダークエルフも、人間も、獣人も。皆等しく“メイプル”として、扱われている。ハイエルフであるエリアーデでさえも。その事実は、ハイエルフであるエリアーデには受け入れがたいものだった。
「生き方を選べるというのは幸運なことだ。違うかな?」
それは、まさしく悪魔の囁きだったのだろう。
「畏まりました」
エリアーデは、その日、悪魔と取引をした。
そもそもエルフは格上で、中でもハイエルフである自分は特別だ。その考えをアモルという悪魔は肯定し、役割によって体現せしめた。“虫”と呼ばれる人間たちは、エルフたちの下に付き、エルフと“メイプル”たちの身の回りの世話を変わらずに担当する。
エリアーデが当然と考える序列が、地下室に囚われた者の中で構築された。恋人であるヤートは命を救われ、エリアーデの隣の居房に移された。壁で隔たれてはいるが会話はできるし、時には会うことさえできるという特権さえもエリアーデには与えられたのだ。
「<恐怖の落葉>」
彼女が呪文を唱えると、“メイプル”たちの恐怖は、色付いた葉が木々からはらりと抜け落ちるように軽くなり、体の震えが治まった。肉体の損傷は、道化の悪魔が何度だって治してくれる。これならば、何度も“加工”が可能だ。
“加工”を任されたエルフたちは、今はまだ、怖がり泣き出してしまうけれど、それは慣れない仕事に戸惑っているだけだ。誰だって狩りの獲物を初めて解体するときは、怖がったり手間取るものだ。その程度のことで、じきに“可哀そう”だなどと感じなくなる。
エルフたちを励ますエリアーデが、心から、そう望んでいるのだから。
「素晴らしい」
エリアーデたちの働きぶりに、アモルは感嘆の声を上げる。
エリアーデたちエルフは悪魔に比べて力が弱い。だから“メイプル”の皮をはぐのも指を折るのもずっと時間がかかるし、“メイプル”に与える痛みも強い。なにより“メイプル”が“折れて”使えなくなることが明らかに減っていた。
加工された“蜜”の品質は申し分ない。
「ねぇ、アモル。ワインの銘柄かえた? なんだか複雑な味がするわ」
「お気に召しませんか?」
「いいえ、美味しいんだけれど。これ、高いやつかしら?」
ソフィアはエルフたちが加工した“蜜”をそのように評価していて、アモルも大いに満足している。
(憎しみが血ににじみ出たのでしょうかね)
アモルは“蜜”の味の変化を、そう推測する。
おなじ犠牲者だった人間たちにできた明確な序列。
それはアモルの撒いた憎しみの種だ。エルフたちは、その種を大切に育てることだろう。
自分たちは、育て、刈り取る側の生き物で、樹木が自分たちに敵意を向けているなど、想像さえせずに。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
エリアーデ「我こそは、選ばれしケツバッター」