は い、かYESか
「この男を知っているね?」
「はい」
アモルという名の悪魔の問いかけを、ハイエルフの女――エリアーデはすぐさま肯定した。
普通のエルフから稀に生まれるハイエルフという先祖返りは、使える魔法も、その魔法によって行う勤めも特別で、エルフの里にとってなくてはならない。
それ故に、生まれた時から尊い存在として、特別扱いを受けてきた。エルフという種族は他の人間種に比べて選民意識の強い種族ではあるが、中でもハイエルフであるエリアーデは自らが特権階級であるという自意識が強い。気位が高く、利己的ではあるが、権利に見合った責任感を持っている。聖人ではないが悪人でもない、標準的なハイエルフと言えた。
だからこそ、この悪魔たちが森の結界を抜けてエルフの里を襲った時、村人の命と引き換えにおとなしく投降することを選んだのだ。
ハイエルフである自分が里のエルフたちを守らなければ、という意識はあった。そして、“自分は特別である”からこそ、人質としての価値は高いと考えていたし、“自分は特別である”からこそ、捕らえられてもさほどひどい目には合うまいと、甘い考えを持っていたのだ。
それが狭いエルフ社会の中だけの価値観であることを、エリアーデは悪魔に囚われて初めて知った。エルフたちが護る世界樹の子株のように、大切に守られてきたエリアーデは脆弱で、悪意と暴力の前に彼女の自尊心は容易く折れた。今では血や肉片で汚れた床に額を擦り付けて平伏することに、何のためらいもない。
連れてこられたエルフの中でも、心の弱いエリアーデが今まで生きながらえていられたのは、彼女が他のエルフより長く生きているハイエルフだったからだ。とはいえ、本人が思っているような、希少性や高貴な血とやらのせいではない。
長く生きたハイエルフの血は青臭くて不味いと、悪魔が主とかしずく者の味覚が、エリアーデの血を好まなかったためだ。
おかげで、青汁味のエリアーデが“加工室”と呼ばれるこの部屋に連れてこられた回数は他のエルフよりずっと少ない。けれど、この部屋で与えられた痛みの数々は、エリアーデにとっては耐えがたいものだった。
今日だって、引き摺られて連れてこられた“加工室”に先客がいなければ、みっともなく取り乱し、失禁さえしていたことだろう。
「顔を上げてよろしい」
ずっと床に額を擦り付けていた方が、恐ろしい物を見ずに済む。けれど、許されてしまったなら、顔を上げざるを得ない。ゆっくりと顔を上げると、部屋の様子がエリアーデの視界に飛び込んでくる。
“加工室”の真ん中には、この部屋とは不釣り合いな豪華な椅子が置かれ、そこにアモルという名の悪魔が座している。その左右には見慣れた男女の道化の悪魔。足元に転がされているのが、「この男」と言われたエルフの若者、ヤートだ。
悪魔たちの嗜虐嗜好は十分に理解している。「知らない」とうそぶけば、エリアーデがやめてくれと泣いて懇願するまで、ヤートのことをいたぶるだろうし、場合によっては、エリアーデにまで被害が及ぶかもしれない。それではこの悪魔たちに楽しい娯楽を提供するだけだ。
ヤートはエリアーデの次の“恋人”だ。その程度の情報ならば、この悪魔たちはとっくに聞き出していることだろう。
(優先順位を間違えてはいけないわ)
エリアーデは自らに言い聞かせる。
「話が早くて実に助かる」
アモルは友好的な笑顔でほほ笑むけれど、足元に転がされたエルフの男の血と泥に汚れた衣類を見るに、相当遊んだ後だと見て取れた。それでもまだ生かしているのは、何事か交渉したいことがあるのだろう。
(交渉したいということは、わたくしへの要望があるということ。知識か、それとも何かさせたい仕事があるのでしょうか)
どちらにしても、これはチャンスではないか。
なるべく好条件を引き出すべきで、“ヤートを痛めつけるのを止める代わりに”なんてカードの使い方は勿体ない。ヤートはあくまで次の“恋人”。長いハイエルフの生を生きるための娯楽の一つで、替わりの利く役割に過ぎない。
「わたくしに、なんの御用でございましょうか?」
「その前に、彼を返してあげよう。君の恋人なのだろう?」
どうぞとアモルが手を差し出すと、そばにいた女のピエロがヤートの体をポンと蹴る。ゴムのボールを蹴るような軽い動作だったのに、ヤートの肉体は跳ね上がり、エリアーデの真ん前へ落下した。目隠しに口枷、手足を縛られたヤートは、よく見ると小刻みにカクカクと全身を震わせている。放り出された衝撃で、というわけではないだろう。恐慌をきたしているのだ。
「君の恋人には、蛮勇の代償を請求したのだがね、まだ半分にも満たないというのにこのありさまなのだよ。……どうかしたかね、感動の再会というやつだろう? 折角正気が残っている間に返したのだ、壊れる前に助けてはやらないのかね?」
「……怖れながら、わたくしの魔法は願いによって働きかけるものでございますので……」
エリアーデはヤートの様子を一瞥した後、再び額を地面につけた。
ハイエルフであるエリアーデは他のエルフにはないお役目があり、特殊な魔法が使える。この世界の何処かには、世界樹と呼ばれる大樹がありエリアーデのような先祖返りとは違う、純血種のハイエルフが暮らしている。世界樹は1本しかないけれど、根の深いところで繋がっているとされる子株は世界のあちこちに生えていて、エルフたちはその周りに里を作って暮らしている。
ハイエルフには世界樹に願いを届ける力があって、安全を願うことで里は魔物を寄せ付けない結界で守られる。エリアーデはこの辺りに複数あるエルフの里を数年おきに巡回しながら、里の平和を願ってきた。
彼女の魔法は、願いを届け、相手に働きかける精神感応系のものだ。植物さえ操れる強力な魔法ではあるが、術者が願い、望まなければ効果を発揮できない。
「つまり、彼を助けたくないと?」
「は、はい。……申し訳ございません」
アモルは先ほど「ヤートは代償を支払っている途中だ」と言った。エリアーデがヤートの精神を安定させれば、再び“代償の支払い”とやらを再開するのだろう。
指を一本一本切り落とすのか、賽の目に肌を割き、一欠けらずつ皮膚と肉を剥がしていくのか。それとも腸をずるずると引っぱり出して、端から入れた肉食の虫が、体に向かって這い進む様子を見せつけて楽しむのだろうか――。
エリアーデは自分が受けた、数々の恐怖を思い出して身震いをする。
束の間の恋人とは言え、情はある。あんな体験を繰り返すなら、このまま壊れてしまった方がヤートにとっては幸せではないか。そう思っている以上、エリアーデの魔法は効果を発揮できない。
「これは困った。残った代償を誰に請求するべきか。あぁ、でも君はそれの恋人だったね。代わりに君にお願いしようか?」
「!! お許しを! <恐怖の落葉>! <恐怖の落葉>!」
あんな目に再び合うくらいなら。
エリアーデにとってヤートの価値はこの程度なのだ。我が身の安全が確保された状態で、いくらかの情を持ち合わせる程度だ。
自分に被害が及ぶと知って、エリアーデは慌ててヤートに恐怖を払う魔法をかける。けれど、心を占める感情は己が助かりたいがための利己的なもので、相手を願ったものではない。ハイエルフのまじないは、そのような願いを叶えたりはしないのだ。
「ふむ。これでも無理ですか」
「お許しください。どうか、どうか!」
もしもヤートが冷静な状態で、エリアーデのこの様子を見ていたならば、どんな顔をしただろう。
(こういった催しもたまには良いものですね)
アモルは笑みを深めると、心の平穏を失ったエリアーデに、提案を持ち掛けた。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ハイエルフの逆ハーレム系エリアーデは青汁味。