老エルフと女エルフと関係
「だ――誰だッ!」
突如聞こえたしわがれた声に驚いた兵士たちは、慌てて得物を構え直して、周囲を見回した。
「ヒョッヒョッヒョッ! こっちじゃこっち!」
「――ッ!」
再び、人を食ったような笑い声が聞こえ、兵士たちは一斉に声のした方向に顔を向ける。
すると、
「――ヒョッヒョッヒョッ!」
甲高い笑い声を立てながら、背の低い草の間からひとりの老人が、ひょっこりと禿げ頭――もとい、顔を出した。
「うおっ! な、何だ貴様はッ!」
唐突に姿を現れた老人に度肝を抜かれた人間族兵たちは、思わず声を上ずらせながら誰何する。
すると、老人は長い顎髭を撫でつけながら、その皺くちゃの顔に不敵な笑みを浮かべた。
「……『何だキサマは』? 何だキサマってか!」
「……ッ?」
「――そうです! ワシがエルフなオジイさんですッ!」
「「「……は?」」」
突然声を張り上げて、意味不明な事を喚き出した老人を前に、思わず兵士たちは戸惑いの声を上げる。
そんな兵士たちの反応も無視して、その長く尖った耳をぴょこぴょこと動かしながら、エルフの老人は奇妙な踊りを舞い始めた。
「あ! エルフなオジイさんッ! エルフなオジイさんッ! エルフなオジイさんったらエルフなオジイさんっ!」
「? ……?」
奇妙なステップを踏みつつ、掌をパンパンと二回打ち合わせてから、片方の手を前に伸ばすという珍奇な動作を交互に繰り返しながら、老人は妙な抑揚を付けた掛け声を上げ続ける。
まったく状況が理解できぬまま、そんな彼の奇行を呆然と見つめ続ける兵士たち。
――と、唐突に老人は踊るのを止め、顔を奇妙に顰めながら勢いよく前に伸ばし、
「だっぷんだっ!」
と絶叫した。
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
夕暮れの草原に、完全な静寂が齎される。
兵士たちは、ぎこちなく首を巡らせ、互いの顔を見合わせた。
と、その時、
「か――ッ! ノリが悪いのぉっ! こういう時は、一斉にズッコケるのがコントの様式美じゃろうが! ……まあ、お主らは知らんじゃろうが、それでも空気を読まんかいッ!」
二重の理由で頭の先まで真っ赤にした老人が、兵士たちにダメ出しする。
「まったく嘆かわしい! お主ら、それでもコメディアンか、アァンッ?」
「……いや、俺たち……兵士なんだけど……」
「言い訳すんなコノヤローッ!」
「あ……す、スンマセ――って!」
老人の剣幕に気圧されて、思わず謝りかけた兵士たちだったが、すんでのところで我に返り、首を大きく横に振りながら怒鳴った。
「ち、違うわっ! こ、こっちは、テメエが誰だって訊いてるんだよッ!」
「……『テメエは誰だ』? テメエは誰だってか! そうです、ワシは――」
「「「「「それはもうエエわッ!」」」」」
再び踊り出そうとした老人を慌てて止める兵士たち。
そして、その中のリーダー格の男がスラリと剣を抜き放ち、エルフの老人の鼻先に突きつけながら、居丈高に言った。
「真面目に答えろッ! 素直に答えんと、この場で斬って捨てるぞ!」
「おお怖い怖い」
夕日を受けてギラリと輝く刃を向けられても、老人にたじろぐ様子は毛ほども無かった。
「おうゴラ! 誰の毛が無いじゃとぉッ!」
「わっ! な、何だいきなり?」
突然空を振り仰いで怒鳴った老人に、兵士は驚きの声を上げる。
そんな兵士をジロリと睨んだ老人は、もう一度上空を睨みつけると、吐き捨てるように答えた。
「気にすんな! ただのメタネタじゃわいコノヤロー!」
「め……めたねた……?」
「もう良いわ! 一向に話が進まんわい!」
話の進行を遅らせている張本人は、自分の事をすっかり棚に上げて、不機嫌な声で言い捨てる。
そして、ゴホンと咳払いをして、話を戻す。
「……ワシは、この近郊に隠れ住んでおった、しがないエルフじゃ。――ちなみに」
老エルフはそこで一旦言葉を切ると、ニヤリといやらしい薄笑みを浮かべてから、先ほどから呆然と立ち尽くしたままだった女エルフの事を指さした。
「何を隠そう、そこの女子はワシの嫁じゃ、ヒョッヒョッヒョッ!」
「「「は?」」」
老人の言葉に驚くあまり、思わず間の抜けた声をあげる兵士たち。
だが、
「は……はああああああぁぁぁ~っ?」
兵士たち以上に驚愕したのは、老エルフに指をさされ、『嫁』と呼ばれた女エルフ自身だった。
彼女は、その目を飛び出さんばかりに大きく見開き、まるで池の魚のように口をパクパクさせながら、老人を睨みつける。
「ちょ……ちょっと! そ、そんな事、いきなり付け足し――」
「ヒョッヒョッヒョッ! こんないい男の嫁じゃという事実をバラされたからって、そう照れるでないわ、まいはにーよ!」
「ま、まいはにぃぃぃぃッ?」
老エルフの言葉に、思わず身震いしかける女エルフだったが、彼がしきりに目配せしている事に気付くと、ハッとした表情を浮かべた。
そして、兵士たちに向けてぎこちない微笑を向けると、小走りで老エルフの許に駆け寄ると、その腕にしがみついた。
「も……もう! ど、どこに行っていたんだ! あ、あい、会いたかったぞ、ま……ま、まいだーりん!」
「ヒョッヒョッヒョッ! 寂しい思いをさせてすまなかったのう、まいはにーよ!」
そう言い合いながら身を寄せ合う老エルフと女エルフ。
ふたりがいちゃつく光景を目の当たりにした兵士たちは、呆然自失となりながら、
「な……何……だと……?」
「そんな……」
「あんな皺くちゃのジジイに、あんな別嬪な嫁……だと?」
「それに比べて、オレ達は……」
「おかしい……こんな事は許されない……」
などと、うわ言のような呟きを漏らすのだった――。
…………
一方、
「……おい」
夫に抱きついて、仲睦まじいフリをしていた女エルフは、彼の耳元に口を寄せると、ドスの利いた声で囁きかけた。
「ん? 何じゃい?」
「ひ……一先ず目配せに従ったけど……本当に必要なのか? こんな……私とアナタが夫婦だなんて演技……」
「ヒョッヒョッ……もちろん、超必要じゃわい」
細めた目の奥で、油断なく兵士たちの様子を観察しながら老エルフは微かに頷く。
「まあ黙って見とれ。ワシの華麗なる計略をのぉ」
「……本当かなぁ」
自信たっぷりの老人の言葉にも半信半疑で首を傾げる女エルフ。
と、老エルフは女エルフの目を覗き込み、ニッカリと笑いかけながら言う。
「……ほれ。あそこでバカ面を並べとる兵士共に疑念を抱かれんよう、もっと仲睦まじい夫婦っぷりを見せつけてやるんじゃ」
「な……仲睦まじいって……これ以上何を――」
「なぁに、簡単な事じゃ。例えば――ワシのほっぺに、熱いチューをするとか……」
「――今すぐ未亡人になろうかな?」
「……あ、ちいと調子に乗り過ぎた。あの……スミマセンでした」
首筋に当てられた、鋭く冷たい感触に老エルフは顔面を引き攣らせると、慌てた様子で女エルフに向けてペコペコと小刻みに頭を下げるのだった……。