魔王と部下と気遣い
「陛下、おはようございます……」
サリアに招き入れられたギャレマスを迎えたのは、萎れた顔をしたスウィッシュだった。
「おはよう……どうしたのだ、スウィッシュよ?」
その元気のない様子に、怪訝な表情を浮かべながら、ギャレマスはスウィッシュに尋ねる。
ギャレマスの声を聞いたスウィッシュは、躊躇いがちに目を伏せた後、主に向かって深々と頭を下げた。
「その……申し訳ございませんでした、陛下!」
「ん、んん? な、何がだ?」
突然の謝罪に、戸惑いの声を上げるギャレマス。
そんな彼に、スウィッシュはおずおずと言う。
「そ……それはもちろん……主である陛下を野宿させて、臣下のあたしが屋根の下で寝てしまったという事が――」
「あ、ああ……そんな事か」
スウィッシュの謝罪の意味をようやく理解したギャレマスは、苦笑を浮かべながら、軽く首を横に振った。
「良い。そんな事は別に構わぬ。お主が気にする必要はないぞ」
「で……ですが……」
「その事は、みんなで話し合った結果であろう。昨夜も言ったが、あれは『女子を外に追い出して寝ても目覚めが悪いから』というチンケな男の見栄から出た、他ならぬ余の意向だ。お主が気に病むいわれはない」
「陛下……」
「それより、お主らはちゃんと眠れたか?」
「あ……、は、はい」
ギャレマスの問いかけに、スウィッシュは大きく頷く。
「おかげさまで、あたしもサリア様もぐっすりと眠れました。……ファミィに至っては、まだ爆睡中です」
「ははは。そうか、ならば良し!」
スウィッシュの答えを聞いて、ギャレマスは満足げに頷いた。
そして、ニヤリと笑って、言葉を継ぐ。
「……とはいえ、もう日も高い。そろそろ、ファミィも起こしてやった方が良いだろうな」
「あ、はい! ちょっと、今すぐに叩き起こしてきます!」
ギャレマスの冗談交じりの言葉に、スウィッシュもいつもの彼女らしい元気な声で答えた。
そして、早速奥の部屋に向かおうとしかけたが、クルリとギャレマスの方へと振り返り、彼に向かってニッコリと笑いかけた。
「陛下、ありがとうございます!」
「ん? あ、おう」
彼女の笑顔に、少しだけ胸を波立たせながら、ギャレマスは頷き返す。
すると、スウィッシュは、その頬をほんのりと赤らめながら、「あの……陛下――」と言葉を継いだ。
「な……何だ?」
「――あたし、お仕えしたのが陛下で、本当に良かったです!」
「! あ……お、おう……」
スウィッシュの弾んだ声に、思わずギャレマスはたじろぎ、返す言葉を見失う。
――と、その時、
「……お楽しみのところ、誠にスマンのじゃが!」
「「――ッ!」」
唐突に背後から上がった怒気を含んだ声に、ギャレマスとスウィッシュは驚いて振り返った。
そこには、憮然とした表情を浮かべたヴァートスが立っていた。
彼は、戸口の前でしわがれた声を張り上げる。
「ずっと立ちっ放しは、老人の腰には堪えるんじゃ! そろそろ、ワシも中に入れさせてはもらえんかのう! と言っても、そもそもココ、ワシの家なんじゃけどのぅ!」
「あ……! す、すみません!」
「こ……これは、気付きもせずに、申し訳ない……!」
ヴァートスの怒声に、スウィッシュとギャレマスは慌てて脇に寄った。
スペースが空いて、ドスドスとわざとらしい足音を立てながら、
「……フン!」
と、荒い鼻息を立てながら小屋へと入る。
そして、すれ違いざま、恐縮している二人に向けて一瞥すると、
「……とっとと爆発せぃ」
とぼそりと呟く。
「……へっ?」
「ファッ?」
不吉な呟きを耳にしたふたりは、思わず驚きと当惑が入り混じった声を上げる。
と、その時、
「――も~! せっかくいい感じだったのにー!」
ヴァートスの後に続くようにして小屋に入ってきたのは、ぷうと頬を膨らませたサリアだった。
「何で邪魔しちゃうんですか~ッ? もうちょっとだったのに……」
「うるさいわい! 邪魔じゃったんだから、しょうがないじゃろうが!」
サリアの抗議の声に、あからさまに不機嫌なヴァートスが怒鳴り返す。
と、サリアがニヤッと笑って言った。
「あれぇ? ひょっとして……お父様の事、ちょっと羨ましいと思っちゃってるんですか、ヴァートスさん?」
「ん……んな訳無いじゃろうが! ……ただ、いい年こいた中年オヤジが、若い娘と言葉を交わして顔を真っ赤にしておるのがみっともないのぅと――」
「ほら、やっぱりちょっとシットしてるじゃないですかぁ! お父様とスーちゃんが仲良くしてるのを見て、邪魔したくなっちゃったんでしょ?」
「し、嫉妬ォ? た、たわけた事を言うでないわ! ……言うたじゃろう、ワシャ待たされ過ぎて、腰が痛うなってしもうたんじゃ! だから――」
「あ……じゃあ、やっぱりしてあげます? 電気マッサージ!」
「あ……そ、それは別に、いい……」
そんな事を言い合いながら、小屋の奥へと行くふたりの背中を見送りながら、ギャレマスは首を傾げた。
「……一体、何の話をしておるんだ、あのふたりは? のう、スウィ――」
「ひゃ、ヒャイッ!」
「ッ?」
スウィッシュの名を呼ぶ自分の声を食い気味に上がった、声の裏返った返事にギャレマスは驚く。
思わず覗き込んだ彼女の顔は、茹だったエビよりも真っ赤に染まっていた。
その異常ともいえる顔色に、ギャレマスは慌てて声をかける。
「お、おい、スウィッシュ……大丈夫か? 顔が真っ赤だぞ? もしや、風邪でもひいてしまったのか――」
そう言いながら、ギャレマスは手を挙げ、何の気なしにスウィッシュの額に当てた。
「? ――ッ!」
「……ふむ。どうやら、熱は無さそうだが――」
「ひ、ひ、ひゃあああああああっ!」
「ッ?」
突然甲高い奇声を上げたスウィッシュに驚き、ギャレマスは思わず手を引っ込める。
一方のスウィッシュは、目をグルグルと回しながら、ギャレマスの前から跳び退いた。
そして、瞳を目まぐるしく動かしながら、上ずった声で言った。
「い……いけないっ! は、早く、あの寝坊助エッルフをおおお起こしてやらないとッ!」
「お……おう……」
「って事でッ! ししし失礼します、陛下ッ!」
スウィッシュはそう告げると、ギャレマスの返事も聞かずにくるりと踵を返し、部屋の奥へとダッシュし、そこに敷かれたままの布団へとダイブする。
「おおおおおおらああああ! このエッルフ! ささささサッサと起きなさあああああああいっ!」
「きゃ、きゃああああああっ!」
理不尽なボディプレスの奇襲を食らった布団の下から、くぐもった悲鳴が聞こえた。
その悲鳴を聞きながら、玄関口に取り残されたギャレマスは、ひとり頭を抱える。
「し……しまった……。つい、サリアと同じ感覚で、す、スウィッシュの額に手を当ててしまった……」
彼は、自分が無意識に行なってしまった行為で、スウィッシュに幻滅されたのではないか――いや、セクハラ魔王として認識されてしまったのではないか……と、玄関口に立ったまま、本気で悩むのだった。




