魔王と半人族と村
それから――
更に半時間ほど歩いた後、
「ほれ、見えたぞい。あそこじゃ」
そう言って、おもむろにヴァルトーが指さした先に目を向けたギャレマスたちは、一様に目を見張る。
「光だ……!」
ギャレマスが呟いた通り、鬱蒼と茂った森の木々の間から、闇に浮かび上がる橙色の淡い光が見えた。
「じゃあ……あそこが?」
「左様」
スウィッシュの問いに、ヴァートスは満足げに頷く。
「あの灯りは、ワシと半人族の村のもんじゃ。もう一息じゃぞ」
「ふえぇ……やっと着いたんですかぁ」
ヴァートスの言葉に安堵の声を上げたのは、サリアだった。
彼女は、ローブの上から太股を擦りながら、辟易とした声を上げる。
「森の中を歩くのって大変ですね……。サリア、脚が棒みたいになっちゃいましたよ……。っていうか、おじいさんは平気なんですか?」
「ふぉっふぉっふぉっ! この程度で音を上げる程、足腰が弱ってはおらんわい!」
サリアの問いかけに、ヴァートスはいかにも上機嫌そうな笑い声を上げながら答えた。
「ワシャ、もう百何十年もこの森で生活しておるからのう。何時間も森の中を歩く事なぞ、もう慣れっこじゃて! ……それにな」
そう言うと、彼は自分の肩に手を置き、ゴリゴリと音を立てて揉みしだきながら、更に言葉を継ぐ。
「さっき、お嬢ちゃんにやってもらった電気マッサージのおかげで、すこぶる身体が軽くてのう。軽くあと三往復くらいは出来そうじゃぞ、フォッフォッフォッ! この調子なら、そのうち空も飛べそうじゃ! 明日も頼むぞい、お嬢ちゃん!」
「ふぇええ……やっぱり、明日もやるんですかぁ~?」
思わずうんざりした声を上げるサリア。
そして、頬を膨らませると、ヴァートスに抗議の視線を向ける。
「……っていうか、あれは“電気マッサージ”なんかじゃなくって、サリアのれっきとした必殺技なんですけど……」
「ふぉっふぉっふぉっ! あれしきの静電気じゃ、到底ワシの事は殺せんわい!」
不満顔のサリアの事などお構いなしに、ドヤ顔で豪語してみせるヴァートス。
そして、そのままズカズカと大股で歩き出す。
「まあ、そんな話は後じゃ後! もう夜も遅い。さっさと村に入って、さっさと寝ようぞ。夜更かしは、お肌と寿命の天敵じゃからな、ひょっひょっひょっ!」
そう言いながら、集団の先頭に立って歩くヴァートスの背中を見てから、ギャレマスたちは互いの顔を見合わせた。
そして、少しだけ不安げな表情を浮かべながら頷き合うと、疲れで痛む足に喝を入れて、老エルフの後を追うのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「へぇ~……」
てっきり、“半人族の村”を、森を切り開いて、ぽっかりと開けたスペースに小屋が建っているのだろうと勝手にイメージしていたギャレマスたちだったが、目の前に現れた光景を目の当たりにして、思わず声を上げた。
「すごい……木の上に家を建てて住んでるんですね……」
スウィッシュが、感嘆混じりに呟く。
彼女たちの目の前には、ゆうに三抱え以上もありそうな太い幹をした数本の大きな木が聳えるように生えており、その幾重にも枝分かれした太い枝の間に跨る形で、粗末な藁ぶき屋根の小屋がいくつも建っていた。
大木の幹に大きな梯子が立てかけられており、その梯子を伝って、樹上の小屋と地上との行き来をしているらしい。
「なるほど……森の木々を切り開くよりも、木の上のスペースを利用する方が、労力は省けるな。身体が小さくて身軽な半人族ならではの方法だろうがな」
「それだけではないぞい」
感心するギャレマスに対し、満足げに白髭を撫でながらヴァートスは言った。
「こんな深い森の中じゃ。こんなに小さくて非力な半人族が地上に居を構えれば、たちまち狼や虎に襲われて食われてしまうからの。木の上に住んでおれば、そんな危険は大分減るんじゃ」
「そっかぁ……そこまで考えてるのかぁ」
ヴァートスの説明に、サリアは感嘆しきりに頷いている。
と、スウィッシュが尋ねた。
「もしかして……それもあなたが?」
「ふぉっふぉっふぉっ、当然じゃ」
スウィッシュの問いかけに、ヴァートスは自慢げな表情を浮かべてみせた。
「さっきも言うたじゃろ、『住まいの建て方を教えてやった』と。それまでずっと洞窟に隠れるようにして暮らしておったこやつらを見かねて、色々と仕込んでやったんじゃ。その成果が――これよ」
彼がそう言うのと同時に、大樹の上の小屋の粗末な扉が開き、中から何人もの半獣人たちが出てきた。
そして、順番に梯子を伝い、次々と地上に降り立ち、ヴァートスとギャレマスたちの元に集まってくる。
まだあどけない顔つきの子どもや、乳飲み子を抱きかかえた者もいる事から、男たちの留守を守っていた女子供達だという事が分かった。
「イ―ッ! イ―ッ!」
彼女たちは満面の笑みを湛えて、返ってきた男たちやヴァートスに、甲高い声をかけている。
ギャレマスたちには、彼女たちの言葉の意味は分からなかったが、帰ってきた者たちへの労りと、ヴァートスに対する思慕の情が籠もっている事は分かった。
「ひょっひょっひょっ! もう夜も遅いのだから、起きて待っておらんでも良いと言うておったであろうに。ワシらの事はもう良いから、早く寝ろ! ホレ、デンズの坊主は立ったまま寝ておるぞ。早よ寝床に連れて行ってやれ、フォッフォッフォッ!」
そして、出迎えられたヴァートスも、その皺くちゃな顔を更に緩めながら、半人族に優しい声をかけている。
その表情は、先ほどの偏屈爺の面影はすっかり陰を潜め、正に好々爺と言って差し支えない慈愛に溢れたそれになっていた。
「……ふふ」
そんな微笑ましい様子を見て、思わず表情を緩めるギャレマスだったが、
「……魔王」
「ん?」
不意に背後から声をかけられ、ゆっくりと振り向いた。
「どうした、ファミィ?」
「あ……いや……」
訊き返されたファミィは、戸惑う素振りを見せながら、おずおずと口を開く。
「わ……私が幼い頃に聞いていた“無責任族長”の言い伝えでは、彼はエルフの伝統を無視して傍若無人な振る舞いを繰り返していた乱暴者――という話だったんだけど……」
「……うむ」
「でも……実際に本人と会って、半人族相手にあんな笑顔で笑っているのを見ると……今までの私が、いかに何も考えずに、ただただ聞かされた事をそのまま鵜呑みにしていたのかという事が思い知らされて……」
そう言うと、ファミィはギャレマスの顔を、その蒼い瞳でじっと見つめた。
「――あの人の事だけじゃない。魔王……お前や魔族の事も、私は何も知らずに……本当に愚かだった――」
「ファミィよ。知らぬ事は、決して愚かな事では無いぞ」
「……!」
キッパリと言い切ったギャレマスを、驚いた顔で見るファミィ。
そんな彼女に、ギャレマスは静かに言う。
「愚かな事とは、知らなかった事を知った時に、今まで信じていた己の常識が揺らぐ事を怖れて目を背ける事や、不都合な事実を曲解して自分の誤りを改めぬ事だ」
「……」
「だが、お主は違う」
そう言うと、彼はファミィに優しい微笑を向けた。
「お主は、知らぬ事を知り、己の間違いに気付き、それを認める事が出来た。それを愚かだとは、余は断じて思わぬ。むしろ、この上なく賢明な事だと思うぞ」
「ま……魔王……」
「ファミィよ」
ギャレマスは、目を潤ませるファミィの目を真っ直ぐ見ると、大きく頷きながら言う。
「お主は、知らぬ事も多い。まだ若いのだから当然だ」
「で……でも――」
「良いか――知らぬ事を恥じるな。知る事を躊躇うな。知った事で自分を変える事を怖れるな。その事を肝に銘じて、これからも生きていけば良いのだぞ」
「魔王……」
ギャレマスの真剣な言葉と視線を受けて、ファミィの頬がほんのりと紅く染まったが、村の篝火の弱い光の中で、それを気付かれる事は無かった。
彼女は、キュッと唇を結ぶと、ニコリと笑いながら小さく頷く。
「うん……分かった」
そして、自分の答えを聞いて穏やかな笑みを浮かべる魔王に聞こえぬように、
「――ありがとう」
と、そっと呟くのだった。




