族長と過去と事情
「まさか……御老人が、かつてのエルフ族の族長殿だったとは……」
スッタバの先導で、彼ら半人族の村へ向かう道の途中で、ギャレマスは感慨深げに呟いた。
彼の前を歩いていたヴァートスが、その声を聞いて、ピクリと尖耳を動かしながら振り返る。
「まったく……お主、魔族の王のクセに、そんな事も知らんかったのか?」
「あ……いや……」
ヴァートスにジト目で睨まれたギャレマスは、タジタジとした様子で頭を掻きながら答えた。
「何せ……『黄昏の茶会事件』と、それに続いて起こった長い戦争の後、我が真誓魔王国は、人間族及びエルフ族とほとんど交流を断っておったからな。あまり詳しい情報を持っておらぬのだ」
「だからといって、敵の族長の名前くらいは周知しておくもんじゃないのかのう?」
「いやぁ……まあ」
不満顔のヴァートスに鋭いツッコミを入れられ、困ったように目を逸らすギャレマス。
と、彼の傍らを歩いていたスウィッシュが助け舟を出す。
「――そうは言っても、エルフ族の族長の座に就いて僅か三年で逐電した者の名前まで、魔王国はいちいち記録に残してはいませんよ。第一、あなたが族長だった頃は、魔族とエルフ族が最も没交渉だった時代ですし」
「だからといって……」
「あ、でも、あなたの事自体は、ちゃんと魔族の記録にも残ってますよ。あなたが族長という立場と責務を放り出して、エルフ族の前から消えた事と、それによって同胞に付けられた“無責任族長”という二つ名は……」
「フン! な~にが“無責任族長”じゃ!」
スウィッシュの言葉に、ヴァートスは憤慨した様子で声を荒げる。
「ワシに言わせりゃ、むしろ逆じゃ! ワシじゃなくてエルフ族の方が、やれ『純血』じゃ、やれ『神に最も近い種族』じゃとお高く止まるばかりで、将来の事などまるで考えとらん“無責任種族”だったんじゃい!」
「む……無責任種族?」
聞き慣れぬ言葉に、サリアが目を丸くする。
そんな彼女に、ヴァートスは「そうじゃ!」と大きく頷いた。
「族長になったワシが、険悪じゃった人間族との協和と融和を進めようとしたら、頭の固い長老どもがこぞって反対しおってな。ワシのやろうとした事にことごとくケチをつけて邪魔をした挙句、若い衆の中でも過激な奴らを集めて焚きつけ、物理的にワシを排除しようとしたんじゃ」
「へぇ……そうだったんだぁ。何だかひどいねぇ」
「なーッ! ひどい奴らじゃろう~?」
呆れ声を上げるサリアに向けて、大げさに肩を竦めてみせたヴァートスは、更に言葉を継ぐ。
「まあ、そんな若造どもがいくら束になってかかって来ようとも、ワシの敵では無かったんじゃが、そこまでされたのに族長をやってるのが無性にバカらしくなってしまってのう。それで、あやつらのお望み通り、自主的に族長を辞めてやったんじゃ。それから――」
「そ……そんな事……っ!」
ヴァートスの言葉を遮り、上ずった声を上げたのは、ファミィだった。
彼女は、その白皙の顔をますます白くして、ヴァートスの胸倉を掴まんばかりの剣幕で言った。
「そんな事……私が聞いていた伝承と全然違う! っていうか、エルフ族の長老が、そんな卑劣な事……」
「……『そんな卑劣な事なんてしない』かの?」
「う……」
ヴァートスに問い返されたファミィは、何故か言葉を詰まらせる。
そんな彼女の顔をじっと見つめたヴァートスは、ふっと目を細め、静かに口を開いた。
「……お前さん、純血のエルフでは無いじゃろう? その耳の形で分かるぞい」
「――!」
普通のエルフよりも幾分か丸まった、ハーフエルフ独特の耳の先をヴァートスに指さされたファミィは、無言のままで唇を噛む。
黙りこくった彼女の様子を前に、ヴァートスは一瞬だけその皺くちゃの顔に憂いを過ぎらせる。
が、すぐにその表情を消すと、ゆっくりと言った。
「ならば……ハーフエルフであるお前さんならばこそ、先ほどワシが言った事が、虚言かそうでないか――解るじゃろうて」
「……」
ヴァートスの言葉に、ファミィは沈黙したままだったが、それが何より雄弁な“答え”だった。
そんな彼女の横顔を、ヴァートスは気遣う様な目で見つめていたが、
「……と」
他の三人からの視線に気付くと、わざとらしい咳払いをしながら口を開く。
「ヒョッヒョッ。エルフの内輪事など、お主ら魔族には関係の無い事であったな。すまんすまん、ワシの事に話を戻すとしようかの」
「あ…………う、うむ」
「は、はい」
「……そうですね」
ヴァートスの話に、内心で興味津々だった三人だったが、彼の態度から、これ以上踏み込むべきではないと察して、しぶしぶ頷いた。
三人の反応に、心なしかホッとした表情を浮かべたヴァートスは、白髭をしごきながら首を傾げる。
「はて……どこまで話したかの?」
「ええと、あなたがエルフ族の族長を辞めたってところまでですね」
「おお、そうじゃったそうじゃった」
スウィッシュの言葉に、ヴァートスはニッコリと笑ってから、言葉を継いだ。
「あの頃のワシは、ちょうどお主と同じくらいの年齢での。まだバリバリのイケイケじゃったんじゃ。だから、エルフ族を離れた後は、誰も立ち入らないこの森の奥に籠もって、悠々自適な隠居生活を送ろうとしたんじゃが……」
そう言うと、彼は前を歩く半人族たちを一瞥し、しみじみといった口調で言った。
「何でか知らんが、こいつらの先祖がワシにまとわりついて来てのう。ワシも暇じゃったから、狩猟道具の作り方や耕作、住まいの建て方やらを教えてやったんじゃ。そうしたら、やけに懐かれて……」
「……それで、今度は半人族の村の長になられたという訳か」
「左様」
ギャレマスの言葉に、ヴァートスはニヤリと笑いながら、得たりとばかりに大きく頷いたのだった。