魔王と老翁と氷牙将
「……ええと」
ようやく、森の木々に燃え移った炎を消し止め、ギャレマスの助太刀へと馳せ参じたスウィッシュは、目の前の光景に当惑した。
「これは……どういう状況なんでしょうか、陛下……」
「お、おう……スウィッシュか」
スウィッシュの声に振り返ったギャレマスは、苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「まあ……見ての通りだ」
「……見ても全く分からないから聞いているんですがそれは」
「……すまぬ」
スウィッシュのジト目を浴びて、タジタジとなるギャレマス。
――確かに、スウィッシュの言う通りだった。
「じゃ……じゃあ、もう一度いきますよ? い、命の危険を感じたら、右手を上げて下さいね、お爺さん!」
「おお! ドーンといこうや!」
「ほ……ホントにいきますよ、さっきよりも強めで! ホントに大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃお嬢ちゃん。ワシャ、こんな程度でポックリ逝くほどヤワじゃないわい!」
「……あ、光球雷起呪術っ!」
「お! おほおおおおおおおおおおおおお~っ! 効くぅぅぅぅうううううう~ッ!」
彼女が目にしたのは、顔を引き攣らせながら光球雷起呪術を放つサリアと、その雷球を背中を向けて食らいながら、歓喜と愉悦に満ちた声を感電で震わせている老人の姿だった。
スウィッシュは、異様な光景を前にして、頬を引き攣らせながら、もう一度ギャレマスに訊ねる。
「取り敢えず……順番に伺います。――まず、あそこで奇声をあげているヘンタ……変な老人は何者ですか?」
「か……彼は、ヴァートス殿。半人族たちを治める村長のような者だ」
「あぁ……あの人が」
ギャレマスの説明を聞いたスウィッシュは、小さく頷いた。
「何だか、さっき半人族から聞いた名と微妙に違う様な気がしますけど……」
「あぁ……それは、スッタバの発音の訛りとか何とからしい……」
「あ、なるほど……。まあ、それは別にいいです」
そう言うと、スウィッシュは周囲の木々を指さした。
「って事は、さっき火球で攻撃してきたのも、あのエルフの老人だったって事ですか?」
「うむ、そうだ」
「で――」
と、再び、不気味な歓声をあげながら悶絶しているヴァートスの方に目線を向けると、スウィッシュは眉間を深く顰めながら言葉を継ぐ。
「そこからどうやって、ああなったんですか……?」
「え……ええと……」
ギャレマスは、この複雑にして異常な状況と経緯を、どうやってスウィッシュに説明しようかと、頭を悩ませる。
と、その時、
「くぅ~、効くのオ~! 良い感じに肩のコリがほぐれたわ!」
そう、呑気な声を上げながら、こちらに向けて背を向けていた老人がすっくと立ち上がった。
そして、グルグルと両腕を回しつつ、首をグルングルン回し、やがて満足げに頷いた。
「ふぅむ。贅沢を言えば、もうチョイと強めでも良かったが……まあ、今日はこのくらいで勘弁しておいてやろうぞ、ヒョッヒョッヒョッ!」
「も……もっと強めって……。さ、最後の一発は、結構本気で撃ってたんですけど……」
ケロリとした顔のヴァートスとは対照的に、疲労困憊といった体のサリアが、肩で息を吐きながらぼやく。
そして、ヴァートスの吐いた最後の一言を思い出すと、表情を強張らせた。
「……って、『今日は』って――」
「おう、もちろん明日も頼むぞ、お嬢ちゃんや」
「ふ、ふええええ~?」
思わずウンザリした声を上げるサリアはそのままに、ヴァートスはギャレマスの方に向き直る。
そして、
「おう、待たせたのぅ……って、ん?」
彼の横に立つスウィッシュに気付いた。
そして、訝しげな表情を浮かべて、彼女の顔を凝視しながら尋ねる。
「えぇと……そこの蒼髪の娘さんは――」
「あ、ああ……ヴァートス殿、この者は――」
「……スウィッシュと申します」
顔にありありと警戒の表情を浮かべつつ、スウィッシュは慇懃な口調で名乗ると、ペコリと会釈した。
そして、更に言葉を継ぐ。
「こちらにおわします、真誓魔王国国王イラ・ギャレマス様に、側近としてお仕えしております。どうぞ、以後お見知りおきを――」
「側近? 何じゃ、そうなのか」
スウィッシュの自己紹介を聞いたヴァートスは、意外そうな表情を浮かべた。
それから、ニヤリと笑うと、小指だけを立ててみせる。
「ワシャてっきり、お主のコレなんじゃないかと思うたぞ」
「コレ……?」
「ちょちょちょちょちょちょちょおおおおおっとっ?」
ヴァートスの仕草を見ても、その意味する事が解らず首を傾げるギャレマスとは対照的に、顔をホオズキよりも真っ赤にしたスウィッシュが、素っ頓狂な声を上げた。
「ちょ……いいいいきなりな、何言ってんですかぁっ! あ……あたしと陛下が……そ、そんな訳無いでしょうがぁっ!」
「違うのか?」
必死で否定するスウィッシュに訊ねるヴァートス。
「いや、この男、確かに冴えないツラだが、一応魔族の王なのだろう? であれば、侍らす女の十や二十は居るもんじゃないのか?」
「そ、そそそそそんな訳ないでしょうが! 陛下は、確かに冴えないお顔かもしれませんが、そんな破廉恥な方ではありませんッ!」
ヴァートスの言葉にひどく憤慨しながら、スウィッシュは叫ぶ。
「……」
しれっと、『冴えないツラ』の点をスウィッシュに肯定されてしまったギャレマスは、思わず渋い表情を浮かべた。
だが、一方のヴァートスは、彼女の剣幕にも気圧される様子も無く、目をパチクリさせながら小首を傾げる。
「いやいや……破廉恥とかそういう話ではなく、な」
そう言うと、老人はしわがれた手を伸ばし、枯れ木のような指でギャレマスの顔を指さしながら言った。
「こやつは一国の王なのだろう? であれば、世継ぎを作る事が、こやつの一番大事な仕事ではないのか?」
「そ……それは、確かにそうですけど……」
ヴァートスに正論を突きつけられたスウィッシュは、思わずたじろぐ。
そんな彼女を尻目に、ヴァートスは更に言葉を継いだ。
「なのに――」
「……分かっておる」
ヴァートスの疑問の声を遮り、ギャレマスは苦さを含んだ声を上げる。そして、ぎゅっと唇を噛むと、フルフルと首を横に振った。
「その事は……世継ぎの件は、余も十分に分かっておる。だが……まだ、余はルコーナ以外の女子の事を――」
「……お父様……」
「へ、陛下……」
ギャレマスの砂を噛むような声で紡がれる言葉に、サリアは瞳を潤ませ、スウィッシュは言葉を失う。
さっきまでとは打って変わった重たい空気が、彼らの周囲に垂れ込めようとする――。
と、
「……どうした、お前たち? 何だか、妙な空気だけど……」
重い雰囲気を察して、おずおずといった様子で現れたのは、ファミィだった。
彼女は、戦いが終わって火が消えた事を確認して、避難させていた半人族たちを引き連れて戻ってきたのだ。
「お、おう、ご苦労だったな、ファミィ」
ギャレマスは、自分の話題で重たくなった雰囲気を払拭しようとするかのように、殊更に明るい声を上げてファミィの事を迎える。
「あ、お、お帰りぃ! ファミちゃん!」
「お、お疲れ様、ファミィ」
サリアとスウィッシュも、ギャレマスに倣って、ぎこちない笑顔を浮かべてみせた。
「……? あ、ああ……ただいま」
ファミィは、三人の様子を目の当たりにして、訝しげに小首を傾げながら応える。
「……ん?」
そして、もうひとりの存在に気付く。
「その尖耳……。老人よ、お前が、先ほど炎の精霊術を放った者だな」
そう言いながら、エルフの老人の事を厳しい目で睨みつける。
「あのレベルの精霊術を操るとは、かなり高位の者と見るが……一体、何故こんな深い森の中で、高位エルフが半人族と暮らしているんだ? ええと……確か、“バトシュ”とかいう――」
「違わい!」
ファミィの言葉を中途で遮り、ヴァートスは禿頭の先まで真っ赤にし、地団駄を踏みながら怒鳴った。
「ワシャ、そんな間の抜けた名前な訳が無いじゃろうが! ヴァートスじゃヴァートス! ヴァ・ア・ト・スッ!」
「……ヴァートス?」
ヴァートスの言葉に、ファミィは形のいい眉をピクリと上げた。
そして、ハッとした表情を浮かべて口を掌で覆うと、しげしげと老人の顔を覗き込む。
「な……何じゃ急に? そ……そんなにお主のような若い別嬪さんに顔を近付けられると、すっかり涸れたワシの情熱的な部分が……」
「もしかして……ッ!」
さっきまでとは別の意味で顔を赤らめ、もじもじと品を作るように身体を蠢かせるヴァートスを前に、ファミィは驚愕の声を上げた。
そして、その蒼い瞳を飛び出さんばかりに見開きながら、言葉を継ぐ。
「おま……いや、貴方様は……あの“無責任族長”――ヴァートス・ギータ・ヤナアーツォ様……ッ?」




