姫と炎と雷
「な……何じゃあ?」
今まさに、火炎の大剣を振り下ろそうとしていたヴァートスは、突然目の前に蹲っていた男が眩く光り、奇声をあげながら痙攣し始めた事に驚き、思わず手を止めた。
「あが、あががががががあっ!」
バチバチと音を立てながら電光が走る尻を両手で押さえ、身体を海老のように反らせながら絶叫するギャレマス。その様は、滑稽を遥かに通り越し、見ているヴァートスに恐怖と狂気を感じさせる凄絶さであった。
ヴァートスは、顔を引き攣らせながら、悶絶するギャレマスの事を観察していたが、その時、
「きゃあああっ! お、お父様、大丈夫ですかぁ~っ!」
木々の向こうからの甲高い女の悲鳴が、ヴァートスの耳朶を打つ。
「む……?」
訝しげに声のした方に目を遣るヴァートス。
その眼に、真っ赤な長い髪を振り乱しながら、全速力でこちらの方に向かってくる少女の姿が映った。
「――ッ!」
自分の方に向かって突進してくる少女の鬼気迫る表情に、本能的に危険を察知したヴァートスは、慌てて手を前に翳し、炎の精霊術の霊句を詠唱する。
『赤き炎 司りし 精霊よ 我が前にて 炎壁を成せ!』
「キャッ!」
ヴァートスの詠唱と同時に、何も無いはずの地面から、夥しい炎が天に向かって吹き出した。
その火勢に煽られた少女は悲鳴を上げ、慌ててその場で足を止める。
正に猪突猛進といった勢いで急速接近してきた少女を、すんでのところで止める事が出来たヴァートスは、細く息を吐くと、彼女に向かって叫んだ。
「――何じゃ、小娘! 今の攻撃は、お前がやったのかッ?」
「こ……小娘なんかじゃありません! サリアはもう立派な大人のレディですっ!」
吹き上がる炎に髪を煽られながらも、サリアは毅然と言い返す。
その答えを聞いたヴァートスは、口元を歪めながら哄笑った。
「フン! 齢三百のワシから見りゃ、お主なぞ、おむつの取れない赤子と大差ないわ!」
「お……おむつなんてしてないもんッ! むしろ、おむつが必要なのは、お爺さんの方じゃないんですかッ!」
「ぶっ! 無礼な事を申すでないわ! ワシャ、この年齢までブレ―一筋じゃ! もちろん、自分で用も足せるわい!」
サリアの言葉に激昂したヴァートスはそう叫ぶと、突然纏っていたローブの裾を持ち上げようとする。
「信じられんのなら見せてやるわ! 待っとれ!」
「きゃ、きゃああああっ! な、何を見せる気なんですかぁッ! ややや止めて下さい! このヘンタイお爺さんんんっ!」
炎の壁越しでも分かるくらいに赤面したサリアが悲鳴を上げ、ヴァートスの頭に上った血も一瞬で下がった。
「……」
彼は頬を赤らめながら、上げかけたローブを下ろし、いそいそと裾を調える。
そして、ゴホンと咳払いすると、サリアにビシリと指を突きつけ、毅然とした態度で叫んだ。
「え、えー……む、娘っ! 今の攻撃は、お主が放ったのかッ?」
「……シレッと、さっきのやり取りを無かった事にしましたね?」
「よ……良いから、サッサと答えんか! 年寄りは気が短いんじゃぁ!」
サリアのツッコミの声を掻き消すような大声で怒鳴るヴァートス。……だが、その額には嫌な汗がじんわりと浮かんでいる。
そんな彼の顔をジト目で見てから、サリアは小さく頷いた。
「……確かにそうですけど、それが何なんですか?」
「いやはや! 最近の女子は怖いのう!」
サリアの答えを聞いたヴァートスは、大げさに身震いしてみせ、眼前に蹲ったままのギャレマスを指さしながら言葉を継ぐ。
「この男がワシと戦っておると見るや、隙ありとばかりに背後から撃つとは……。そこまでこの男に恨みがあったのかや?」
「はい――?」
ヴァートスの言葉を聞いたサリアは、一瞬ポカンとした表情を浮かべた後、慌てて首を横に振った。
「ちょ、ちょっとお爺さんっ? 何を勘違いしてらっしゃるんですか? サリアがお父様を撃つ訳が無いです! これは、手が滑って――」
「なんと! この男はお主の父親か! 実の父を躊躇いなく撃つとは、何という非情な娘じゃ……」
「だからぁっ! そうじゃなくって……今のは手が滑ったからなんですってぇ!」
サリアは、頬をリスのように膨らませ、地団駄を踏みながら叫ぶ。
そして、ヴァートスの顔をキッと睨みつけると、その両手を激しく打ち合わせた。
「雷あれ!」
そう叫ぶと、彼女は打ち合わせた両掌を大きく横に広げる。
左右の掌の間で、青白い光を放つ数条の雷光がバチバチと音を立てている。
そして彼女は、炎の壁の向こうのヴァートスの姿を睨みつけると、両掌を彼へと向けた。
「死なない程度に痺れて頂きます! 舞烙魔雷術ッ!」
彼女の絶叫と同時に、その掌に蓄えられていた雷光が一斉に解き放たれ、彼女の前方に聳える炎の壁に激しく激突した。
ぶつかり合った炎と雷は、互いを食い合うかのように絡み合い、白と赤の光を放ちながら巨大な渦を巻く。
そして――、
「そ……相殺された?」
互いを食い尽くし、炎壁と稲妻が跡形もなく消え去ったのを目の当たりにしたサリアは、呆然とする。
「ウソ……。サリアの全力の舞烙魔雷術だったのに、炎の壁を抜く事も出来ずに消えちゃうなんて……」
「ヒョッヒョッヒョッ! 残念じゃったのう、小娘!」
「っ!」
いかにも小馬鹿にしたかのような高笑いを耳にしたサリアは、ハッと顔を上げる。
彼女の紅玉のような瞳に、一抱え程もある巨大な火球を頭上に掲げたヴァートスの姿が映った。
「あ――」
「ワシの“精霊炎の隔壁”と相討ちとは、お主の雷呪術もなかなかのモンじゃのう! だが、それだけの大技、そうそう連発は出来まい!」
「う……」
「じゃが、ワシは違う! まだまだ、このくらいの火球を捻くり出すくらいは朝飯前じゃ!」
そう言うと、ヴァートスは見せつけるように火球を更に高く掲げ上げてみせる。
そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「今度はコッチの番じゃ。なぁに、ワシャ敬虔なふぇみにすとじゃからの。ちんまい娘っ子のお主を殺しはせぬわ。――まあ、ちいと熱い思いはしてもらうがのぅ!」
そう、ヴァートスは勝ち誇った声で叫ぶと、
「食らえぇいっ!」
躊躇いなく、サリア目がけて巨大火球を投げつけたのだった――!