魔王と火球と対処
「ファミィッ! スウィッシュ!」
木々の間を縫って飛来してくる大火球を目にしたギャレマスは、即座に叫んだ。
「――分かってる!」
「……もぉぉぉぉう~ッ」
一瞬遅れて火炎球に気付いたふたりは、凛とした声と、何故か恨みがましい響きの叫びで、ギャレマスの声に応じながら身構える。
『応うべし 風司る精霊王 風鎌放ちて 全て薙ぎ断て!』
腕を前に掲げたファミィが声を張り上げると同時に、甲高い音を立てながら発生した真空の鎌鼬が、木々の枝を斬り飛ばしながら大火球目がけて飛んでいく。
鎌鼬は接近してくる大火球と衝突し、真空の刃を突き立てる。大火球の表面が抉れ、真っ二つに裂けた――かのように見えた。
――だが、
「ダメだッ! 火の勢いが強過ぎる……!」
すぐに大火球がその火勢を強め、真空の刃を吞み込み、たちまちの内に掻き消してしまったのを見たファミィが驚愕の声を上げる。
「そんな……私の精霊術が、こんなに簡単に……!」
「ファミィッ! ボーっとしてないで、もっとこっちに寄って!」
「――ッ!」
思わず呆然とするファミィだったが、その耳朶をスウィッシュの絶叫が叩く。
ハッと我に返ったファミィは、慌ててスウィッシュたちの元に駆け寄った。
それを見たスウィッシュは、すぐさま手を広げて、氷魔術を発動する。
「球状氷壁魔術ッ!」
彼女の声に応じるように、地面から分厚い氷の壁がせせり立ち、瞬時にスウィッシュたちを覆い包む氷のドームを創り上げた。
そこへ、飛来してきた大火球が衝突する。
炎の球が発する高熱が、分厚い氷の壁をみるみる溶かしていき、周囲は膨大な水蒸気で包まれた。
「くぅっ……!」
ドームの内側では、スウィッシュが歯を食い縛りながら、必死で氷のドームの形状維持の為に理力を注ぎ込む。
だが、大火球の轟炎の勢いは衰える事無く、着実に氷の壁とスウィッシュの理力を削っていく……。
――そして遂に、
「も……もう、ダメ……かも……きゃあぁっ!」
スウィッシュの悲鳴と共に、球状氷壁魔術の分厚い氷壁は、大火球によって全て溶かされた。
さすがに先ほどよりは小ぶりになった火球が、呆然と佇むスウィッシュを灼き尽くさんと目前に迫る――!
と、その時、
「――熊手爪撃空波呪術ッ!」
低い男の声が、火球の高熱に炙られた空気を揺らした。
次の瞬間、凄まじい風の波動が、スウィッシュとファミィの間をすり抜けるように飛び、眼前に迫った火球に襲いかかった。
――バシュウウウウウッ!
というけたたましい音を立てながら、火球に五本の爪痕が刻み込まれる。
爪痕はどんどん広がり、まるで玉ねぎをスライスしたように、火球を六つに斬り裂いた。
そして、
ぶしゅわあああああ……。
という音を立てながら、火球は急激に炎の勢いを弱めていき、終に掻き消えた。
「「――ッ!」」
ファミィとスウィッシュは驚いた表情を浮かべながら、慌てて後ろを振り向く。
「ま、魔王――!」
「へ、陛下……ッ!」
彼女たちの目に映ったのは、敢然と仁王立ち――
「い、いちちちちち……ぐぅ……」
――ではなく、右手を振り上げた体勢で固まったまま、脂汗を滲ませ、蒼白になった顔面を苦痛に歪めているギャレマスの姿だった……。
「へ……陛下! ギックリ腰なのに、無理するから……!」
半分心配顔、半分呆れ顔でギャレマスの元に駆け寄り、その身体を支えるスウィッシュ。
そんな彼女に向かって、激痛を発する腰を擦りながら、ギャレマスは言った。
「そ……そんな事を言っている場合では……無い。見よ……!」
「……あ!」
ギャレマスが伸ばした震える指の先に目を向けたスウィッシュは、思わず声を上げる。
先ほど斬り裂かれた火球の残滓が燃え移り、ちろちろと舐めるように這う炎によって、森の木々の幹から黒い煙が燻り始めているのに気付いたからだ。
先ほどの火球の襲来に恐れをなして、木陰に隠れていたらしい半人族たちが、燃え広がりつつある炎を前に、為す術もなく右往左往している様子も見てとれた。
その光景を一瞥したギャレマスは、激痛で顔を歪めながらも、スウィッシュに向けて言った。
「す、スウィッシュ……! お、お主とファミィは、木々に燃え移った炎の消火と、半人族たちの避難誘導を行なうのだ……!」
「え……? で、でも……」
ギャレマスの命に、逡巡の表情を浮かべるスウィッシュ。
「さっきの火球は、明らかに敵意のある攻撃です。あたし達が消火と避難誘導に当たったら、攻撃してきた“敵”への対処は……」
「そ……それは、もちろん、余が……」
「い、いけません!」
スウィッシュは慌てて、よろけながらもひとりで歩き出そうとするギャレマスの事を押し止める。
「へ、陛下といえど、そのお身体で戦うのは無理です!」
「む……だが、そうは言っても……」
「じゃあ、避難誘導の方は陛下にお任せします! その間、あたしが敵と――」
「……それこそ無理な話だぞ、スウィッシュ」
スウィッシュの言葉を遮ったのは、ギャレマスではなくファミィだった。
彼女は、青ざめた顔でスウィッシュに言う。
「今の攻撃……炎の精霊術だ。しかも、かなり高位のな……。私の精霊術やお前の魔術とは格が違う」
と、悔しげな表情を浮かべたファミィは、ギャレマスの顔を睨みつけるようにしながら言葉を継ぐ。
「悔しいが……この場にいる者の中で、あのレベルの精霊術と張り合える術を持っているのは、そこのギックリ腰持ちだけだ。――お前もそう考えたからこそ、先ほどの指示を出したのだろう? 魔王」
「……まあ、な」
ファミィの言葉に、額に脂汗を浮かべながらも、ニヤリと微笑ってみせた。
そして、心配顔をしているスウィッシュの肩を軽く叩くと、そのまま歩を進める。
「なぁに、大丈夫だ。あの程度の炎精霊術、余にとっては打ち上げ花火のようなものだ。ここは大船に乗った気で、余に任せておけぃ!」
「……腰を擦りながら、よちよち歩いている奴に言われても、説得力皆無だけどな」
「……」
ファミィの辛辣にして的確なツッコミに、ギャレマスは無言のまま渋い顔を浮かべると、気まずげに目を逸らすのだった……。




