魔王と待機と仮眠
夜闇に包まれた森の中を歩き続けて、もうどのくらい経っただろうか……。
「……あ! あそこ――」
太い木の根が張ってデコボコした獣道を歩けども歩けども、いつまで経っても鬱蒼と生える木々しか見えない事にうんざり顔をしていたサリアが、その紅玉のような瞳を輝かせて、前方を指さした。
「あ――」
彼女の声につられて前を見たファミィも、思わず声を上げる。
真黒な夜の帳の中に、チカチカと揺らめく赤い点が、いくつも見える。
「光……いや、火か何かか? という事は――」
「アイ」
ファミィの声に、前方を歩くスッタバが頷いた。
「アのヒカりは、スッタバたちノいえノヒカりデス」
「ふえ~、やっと着いたんだねぇ」
スッタバの答えに、サリアは安堵の表情を浮かべた。
「遠かったよねぇ。サリア、着く前に夜が明けちゃうかと思った……」
「結構大変でしたね……。もう足がパンパンです……」
サリアの言葉に、スウィッシュもふくらはぎを擦りながら同意する。
「でも……これでやっと休める――」
「……いや、そうとは限らぬ」
と、スウィッシュの楽観的な声を遮ったのは、担架の上で身を起こしたギャレマスだった。
彼は、前方の光に注意深く目を向けながら、押し殺した声で言う。
「半人族たちの長である、バトシュとかいうエルフの男の答え次第では、我らは追い返されてしまうやもしれぬのだからな」
「あ、そうでした……」
ギャレマスの言葉に、緩みかけた顔を引き締めるスウィッシュ。
「のう、スッタバよ」
と、魔王はスッタバに向けて声をかける。
振り返ったスッタバは、おずおずと頭を下げながら、魔王の声に応えた。
「アイ、おうサマ。なンでショウ?」
「――済まぬが、一足先にあそこに行って、お主たちの主であるバトシュに伝えてきてはくれぬか? 余たちの存在と、我々がお主たちに危害を加える意志が無いという事をな」
「アイ。モチろんデス」
ギャレマスの言葉を聞いたスッタバは気安い様子で頷くと、彼らの言語で、周囲で待機していた半人族の内の数人に声をかけて、自分の周りに集める。
そして、もう一度ギャレマスの方に向き直って言った。
「じゃア、スッタバたちガ、バトシュさマとはなシをしてクルから、おうサマたちはココでまってイテくだサイ」
「うむ。頼んだぞ」
「アイ」
魔王の声を受けて力強く頷いたスッタバは、周囲の半人族に合図をすると、生い茂る草を掻き分けながら、光の方に向かって歩き始める。
ギャレマスは、その小さな後姿を見送りながら、
「ふぅ……」
ようやく緊張を緩ませ、長い息を吐くのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「……遅いな」
ファミィは、太い木の幹に凭れかかって、半人族の村の光を見つめながら呟いた。
「確かに、遅いわね……」
彼女の声に、担架に横たわるギャレマスの腰に当てていた氷塊を新しいものに変えながら、スウィッシュも眉を顰める。
彼女たちの言うように、スッタバたちが村に向かってから、かなりの時間が経過していた。それにもかかわらず、彼らがこちらに戻ってくるような気配は無い。
「あたしたちの事を伝えて、返事をもらうだけだから、そんなに時間は要らないと思うんだけどなぁ……」
「……バトシュというエルフや、村の者たちを説得するのに手間取っておるのかもしれぬな。まあ、致し方あるまい」
首を傾げるスウィッシュを宥めるように、ギャレマスが言った。
「半人族たちから見れば、余たちは得体の知れぬ闖入者以外の何者でもない。余たちを受け入れるかどうかの判断は慎重にならざるを得ぬだろう。ここは、スッタバたちが上手く説得してくれる事を信じて待つ事としよう」
そう言うと、ギャレマスは周囲で休んでいる半人族たちを一瞥し、それからスウィッシュとファミィに向けて、顰めた声で指示する。
「……とはいえ、最悪の事態は想定しておくべきだな。何があってもすぐに応戦できるように備えておけ」
「もちろんです」
「……分かっている」
ギャレマスの言葉に、スウィッシュとファミィはそれぞれ頷いた。
と、ファミィが呆れ顔を浮かべて、ギャレマスの傍らに目を遣る。
「……それにしても、良くこんな状況と場所でグースカ眠れるな、サリアは」
「むにゃ……」
彼女の呆れ声の通り、ギャレマスの担架の半分を占拠して、サリアが涎を垂らしながら熟睡していた。
その言葉に、スウィッシュは苦笑いを浮かべる。
「まあ、今日は歩きづめで大変だったし……しょうがないわよ」
「確かにそうだけど……何か起こったら……」
ファミィの心配顔は晴れない。
彼女は、チラリとサリアの横の男の顔を見ると、大げさに溜息を吐いた。
「……ただでさえ、ギックリ腰の足手纏いが居るというのに」
「……すまぬ」
ファミィの冷たい視線を受け、思わず首を竦めるギャレマス。
彼は、しきりに目を瞬かせながら、「そ、そうだ!」とファミィとスウィッシュに言った。
「お、お主らも、もし眠いのであれば、仮眠を取るが良いぞ。その間、余が起きておるから……」
「え……!」
「何だ? 気を遣っているのか、魔王のクセに」
ギャレマスの申し出に、スウィッシュはハッと目を見開き、ファミィは鼻で嗤う。
「私は大丈夫。むしろ、お前の方が寝るがいい、魔王。どうせ、腰を痛めて戦力にならないんだから」
「ぐぅっ! よ、余は、好きで腰を痛めた訳では……」
「あ……あの、陛下!」
辛辣なファミィの言葉に、思わずムッとして反論しようとしたギャレマスに、妙に必死な響きの声がかけられる。
ギャレマスは、訝しげに声の主の方に顔を向けた。
「どうした、スウィッシュ?」
「あの……」
スウィッシュはモゴモゴと口ごもって逡巡する様子を見せた後、手を口に当て、「ふ、ふわぁああ~……」と、ぎこちないあくびをする。
そして、もじもじしながら、上目遣いでギャレマスの顔を見つめ、躊躇いがちに口を開いた。
「そ、その……実はあたし、ちょおおおおおっと眠くなっちゃって……。出来れば、か、かか仮眠を取りたいなぁ……と」
「お、そうか」
スウィッシュの申し出に、ギャレマスは鷹揚に頷いた。
「構わぬぞ。何かあったら起こすゆえ、それまでゆっくりと寝るが良い」
「で……で、なんですけど……」
心なしか、頬を赤く染めながら、スウィッシュはおずおずと言葉を継ぐ。
「で……でででで出来ればなんですけど……そ、その担架の……へへ陛下の、とととととな……」
「……とととととな?」
スウィッシュが口走った言葉の意味が解らず、ギャレマスは首を傾げた。
「はて……何が言いたいのだ? 良く分からぬ」
「はひっ! すすすすみません!」
「いいから。もっと落ち着いて話せ」
「はははひぃっ!」
ギャレマスの言葉に、スウィッシュはピンと背筋を伸ばした。
そして、彼女は大きく息を吸うと、言いたい事を一気に言い切る――
「あ、あたしっ! 陛下の横で寝た――」
「「「「「イ――ッ!」」」」」
「――ッ!」
――前に、一斉に上がった半人族たちの叫び声に掻き消された。
その声に、ギャレマスも意識を向ける。
「何だ? どうした――」
「イ―ッ! イ―ッ!」
「イィー!」
彼の声に応えるように、半人族たちが口々に何かを叫びながら、前方の一点を指さした。
半人族たちのただならぬ様子に、眉を顰めたギャレマスだったが、すぐに異常に気付く。
自分の足元から、黒い影が伸びている事に。
月の光も届かぬ真夜中の森の中で、こんなにもクッキリと影が浮かび上がるという事は
「……これは――!」
慌てて振り返ったギャレマスの目に映ったのは――、
オレンジ色に煌々と輝く、巨大な火炎球だった!




