魔王と共通語とジェスチャー
天に向かって高々と立ち上った氷竜巻がようやく収まり、夜闇に覆われた森の中は、元の静寂を取り戻した。
だが、氷竜巻が巻き起こった場所とその周辺だけは、以前と様相が一変している。
鬱蒼と生い茂る木々は、緑の葉の尽くを吹き荒れた轟風によって散らされ、丸坊主にされてしまっている上、木の葉の代わりに鋭い氷柱を何十本も枝から吊り下げている状態にされていた。
下草にもびっしりと霜と氷が纏わりつき、地面は真っ白に染まっている。
そして、地面のそこかしこには、痛みと寒さに体を苛まれている半人族たちが転がり、呻き声を上げていた。
「だ……大丈夫か?」
少し離れた所で横になり、事の顛末を見ていたギャレマスが、前に立つふたつの背中に向けて、おずおずと声をかける。
「あ……はい!」
彼の声を聞いて、スウィッシュがクルリと振り返り、はにかみ笑いを浮かべながら頷いた。
「あたしは全然大丈夫です! こっちのエッルフは、服を破られたみたいですけど、怪我は無さそうですね……生憎と」
「おいっ、聞こえたぞ! 何だ、『生憎と』って!」
スウィッシュの最後の一言を聞き咎めたファミィが声を荒げるが、ギャレマスは「いや、そうではなくて……」と、首を横に振る。
「――『大丈夫か』と訊いたのは、お主たちではなくて……半人族たちの方なのだが……」
「あ……そっちですか……」
ギャレマスの言葉に、スウィッシュはあからさまに落胆して、一瞬口を尖らせかけたが、すぐに気を取り直すと、首を縦に振った。
「敵も……大丈夫です。あたしもファミィも、一応手加減しましたから、死んだりはしてないと思います!」
「……あれで手加減しておったと言うのか……」
ファミィの答えに、思わず頬を引き攣らせるギャレマスだったが、地面に散らばっている半人族たちが呻き声を上げながら蠢いているのを見て、彼女の言葉が正しい事を悟る。
彼は、小さく溜息を吐くと、寝転がったままスウィッシュとファミィに言った。
「まあ……ご苦労であった。では、ご苦労ついでに――あそこに散らばっている半人族を、一ヶ所に集めてくれ。あやつらに訊かねばならぬ事があるのでな」
◆ ◆ ◆ ◆
「さて……と」
表面にびっしりと白い霜が下りたままの大木の幹に凭れるように座ったギャレマスは、スウィッシュとファミィによって集められ、地面に座らされた半人族を見回した。
どうやら、猛烈な冷気と轟風に晒されたことで、凍え切った身体をガタガタと震わせていたり、吹き飛ばされた際にどこかに頭をぶつけて、額に大きなたんこぶをこしらえている者などもいるが、命にかかわる様な重傷を負っている者は居ないようだった。
その事に安堵しながら、ギャレマスは厳かな声を上げ――ようとして、ハタとある事に気付いた。
彼は、目をパチクリさせながら、ファミィとスウィッシュに尋ねかける。
「……そういえば、半人族に“共通語”は通じるのか?」
「……あ」
「そういえば……」
ギャレマスの問いに、ふたりもハッとした表情を浮かべた。
――この世界では、人間族・魔族・エルフ族・獣人族は、共通の言語で会話をしている(各種族独自の言語もある)。その為、四大種族の間では、言語の壁は存在しない。
だが、目の前に座らされている半人族――“原初亜人”は別である。
彼らは、四大種族に比べて知能が劣る上、声帯の作りにも差異があると言われており、更に生息範囲も全く異なっている。その上、四大種族と接触する機会などもめったに無い事から、“共通語”を習得する能力も機会も理由も無いのだ。
と、いう事は――、
「……困ったな。せっかく殺さずに屈服させたのに、言葉が通じぬのでは、森から出る道筋を訊く事も、道案内を命じる事も出来ぬではないか……」
ギャレマスは、眉尻を下げて頭を抱える。
そんな彼に、ファミィが呆れ顔を向けて言った。
「まったく……何をやっているのだ、魔王。そんな根本的な事も考えずに、私たちに『殺さずに倒せ』とかいう無茶をさせたのか?」
「……そういうあなたも、さっき『そう言えば……』って漏らしてたじゃない。言葉が通じない可能性に思い至ってなかったのは、あなたも同じでしょ。……あたしもだけど」
自分の事を棚に上げてギャレマスを責めるファミィに、スウィッシュが苦言を呈する。
と、
「大丈夫ですよ、お父様!」
相変わらず楽観的な声を上げたのはサリアだ。
彼女は、訝しげな表情を浮かべて自分の方を見る三人に向けて、自信満々に言った。
「心さえ通じ合えば、言葉や種族が違っていても、ちゃんと分かり合えます!」
「いや……そうは言っても、さすがに原初亜人とは……」
「大丈夫ですって!」
言い淀むギャレマスに、サリアは力強く頷き、自分の事を指さしながら声高に叫ぶ。
「現に、サリアとポルンちゃんがそうじゃないですか! ポルンちゃんとは、言葉でお話は出来ませんけど、お互いの考えてる事が手に取るように分かるんです。だから、この半人族の人たちとだって――」
「あ……う、うむ……そ、そうだな……」
サリアの熱弁に、頬をひくつかせながら曖昧に頷くギャレマス。
「とは、言ってもなぁ……」
魔王は、ポリポリと頭を掻きながら、地面に座る半人族たちの顔を見回した。
怯え、反感、恐怖……様々な感情の色が乗った沢山の目が、彼の事を見返してくる。
「え~……ゴホン」
ギャレマスは口元に拳を当てて咳払いをすると、おもむろに自分の事を指さした。
「えぇ……余たちは」
次いで、腕を伸ばして周囲を指し示す。
「この森で……」
そして、腕を組むとコクンと首を傾げてみせる。
「……迷っておる」
それから、半人族たちの事を指さし、
「だから……お主たちに――」
両腕を振って歩いているというジェスチャーをして、
「道案内を……」
最後に両掌を合わせて、軽く頭を下げた。
「頼みたいのだ」
「……」
ギャレマスのジェスチャーが終わった後、周囲は水を打ったように静まり返る。
沈黙が続き、不安になったギャレマスは、恐る恐る目を上げた。
先ほどまでとは違う光を浮かべた多数の目が、彼の事を瞬くもせずに見つめている……。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「…………余の言っておる事が、解った……かの?」
「「「「「「「…………?」」」」」」」
ギャレマスの問いかけに対する半人族のリアクションは、言葉が解らずともハッキリと分かるほどの、大きな「?」だった。
――どうやら、『解らない』という感情を表す表情は、種族の差を越えて共通らしい……。
「……やっぱり、そうだろうなぁ」
「……ぶぷっ!」
渾身のジェスチャーの甲斐なく、半人族たちと全く意思の疎通ができなかった事に落胆して、ガックリと肩を落としたギャレマスの様子に、ファミィが思わず噴き出す。
思わずムッとした顔でファミィの事を睨んだギャレマスだったが、気を取り直して、今度は表情込みでジェスチャーしようとした。
「えぇと……余たちは……この森で……迷ってお――」
「ブフゥ――ッ! か、顔……っ! その顔が……ブプッ!」
再び、ファミィが噴き出した。どうやら、今のギャレマスの表情が、彼女の笑いのツボに入ったらしく、口元と腹を抑え、身体を捩らせて爆笑し始める。
さすがに無礼だと、声を荒げようとしたギャレマスだったが、ふと横を見ると、スウィッシュとサリアも顔を背け、顔を真っ赤に染めながら、必死で笑いをこらえているのが目に入った。
「……」
それを見たギャレマスは、これ以上ないしかめ面を浮かべながら、無言で口を結ぶ。
――と、その時、
「……モシ」
「……ん?」
ふと、何かが聞こえたような気がして、ギャレマスは顔を上げた。
訝しげな表情を浮かべて、耳を欹てる。
「……モシ。スミませン……」
「――!」
今度はハッキリ聞こえた。少し妙なアクセントだったが、それは確かに共通語の発音だった。
驚いたギャレマスは、目を見開いて声の主を探す。
「誰だ? 今、共通語を喋った者は? 出て参れ!」
「……ア、はイ……」
彼の呼びかけに応じて、ひとりの半人族が立ち上がった。
それは、顔一面に白髭を蓄えた、やや年配の男だった。
彼に向かって、ギャレマスは恐る恐る尋ねる。
「お主……共通語が分かるのか?」
「ア、はァ……チョ、チョトダけ、ワカリまス……」
「あ……そうなのか……」
半人族の男が、怯え交じりに呟いたのを見て、ギャレマスは大きな息を吐いた。
その溜息には、『共通語が分かる者がいて良かった』という安堵の気持ちが半分、
(いるんだったら、もっと早く名乗り出てきてくれれば、余がファミィたちに笑われる事も無かったのに……)
……という恨み言が半分、混じっていたのだった――。




