魔王とギックリ腰と迎撃
「が……あ……ふぅっ……ぐぅむ……」
「ちょっ! お、お父様っ?」
真っ青を通り越して真っ白になった顔で、パクパクと口を開閉しながら、言葉にならない声を上げるギャレマスのただならぬ様子を見たサリアは、驚きの声を上げながら彼の許に駆け寄った。
「ど、どうしましたの、お父様ッ? て、敵の攻撃ですかッ?」
「い……い、や……、そうではなあああああああああっ!」
「お父様ぁ――ッ!」
額に脂汗を滲ませながら、苦悶の絶叫を上げるギャレマスを案じ、激しく取り乱しながらその身体を抱きかかえるサリア。
と、
「――大丈夫ですよ、サリア様。大事ありません」
そう言いながらギャレマスの背中を支えたスウィッシュは、そのまま慎重に、彼の身体を草の上に横たえた。
そして、手慣れた様子で丸めた毛布をギャレマスの腰と地面の間に挿し入れる。
テキパキとした彼女の処置を、不安げな表情で見ていたサリアは、恐る恐る尋ねかける。
「ね……ねえ、スーちゃん……。お父様……大丈夫? し、死んじゃったりしない……?」
「死……? あ、いや、全然そんなんじゃないですよ」
サリアの問いかけに、スウィッシュは苦笑を浮かべながら頭を振った。
「これは――ただのギックリ腰です。命にかかわる程の事じゃありません」
「そ……そうなの? で、でも……お父様、ものすごく痛そうなんだけど……」
「そりゃ、“魔女の一撃”と言うくらいだものな。メチャクチャ痛いらしいぞ」
そう、半笑いで言ったのは、ファミィだった。
「ぷぷ……、それにしても、“地上最強の生物”として世界に畏れられる“雷王”が、ギックリ腰持ちだとは。これは傑作だな」
「もう! 笑い事じゃないわよ!」
ギャレマスの腰に手を翳し、極小の氷魔術で患部を冷やしながら、スウィッシュは咎めるように言った。
「しょうがないでしょ、陛下はね、もういいお年なの! 身体の色んな所にガタが来はじめているのよ! さしもの“雷王”様といえど、老化には勝てないわよ!」
「い……いや、余はまだ……そこまで衰えては――」
「陛下も陛下です!」
「あ、ひゃいっ!」
弱々しい声で反駁しようとするギャレマスを、スウィッシュは眦を上げて一喝する。
「陛下も、もうお若くは無いのですから、少しはご自身のお年を考えて行動して下さい! もう人生の下り坂に差し掛かった体だという事を自覚して下さいませ!」
「う……うぐぅ……」
ギャレマスが上げた苦悶の声は、痛む腰のせいか、はたまたスウィッシュのドストレートな諫言によるものか……。
――と、その時、
ザザザ……
周囲から一斉に葉擦れの音が鳴り始め、その音を耳にしたファミィの表情が険しくなる。
「マズい。半人族どもが包囲を狭めてきた! 来るぞ!」
「……もう!」
周囲を見回しながら身構えるファミィの声に、スウィッシュは忌々しげに叫び、ギャレマスの腰に翳していた手を離した。
そして、
「……小氷塊創成魔術」
そう囁くように唱えて、小石程度の小さな氷塊を数個創り出すと、ポケットから取り出した桃色のハンカチで包み込んだ。
そして、氷を包んだハンカチをギャレマスに差し出して言う。
「陛下……あたしたちがあいつらを片付けるまでの間、これで腰を冷やしておいて下さい」
「い、いや、余も戦おふううううん!」
スウィッシュの言葉に、慌てて立ち上がろうとしかけたギャレマスだったが、無理矢理腰の下に突っ込まれた氷の冷たさに悲鳴を上げた。
「うひょおおおお……!」
「――ご安心ください」
スックと立ち上がったスウィッシュは、悶絶する魔王に向けてニコリと笑みかけた。
「半人族程度、わざわざ陛下の御手を煩わせるまでもありません。あたしとファミィのふたりで充分です」
「い……いや、だが……」
地面の上に横たわったまま、心配げにスウィッシュとファミィを見上げるギャレマス。
だが、そんな彼の事を、柔らかな温もりを持った掌が優しく制した。
「さ……サリア?」
「大丈夫ですよ、お父様」
サリアはそう言いながら、ギャレマスの傍らに膝を折って座ると、父親の頭を持ち上げて自分の太腿の上に乗せた。
「――敵の事は、スーちゃんとファミちゃんに任せておけば間違いないです。サリアとお父様は、ここでおとなしく見ていましょ、ねっ!」
「……し、しかし……あのふたりは……」
サリアに諭されても、なお不安を隠せない様子のギャレマス。
その視線の先には、包囲を狭める半人族に対し、並んで立つスウィッシュとファミィの姿があった。
「じゃ、いくわよ、ファミィ! あたしの足を引っ張らないでよね!」
「その言葉、そっくりそのまま返してやる。どさくさに紛れて、私の事も凍らせるなよ、スウィッシュ」
「は――? バカ言わないでよ! あたしがそんなへまをするとでも思ってんの?」
「確か、二回ほど魔王を凍りつかせたんじゃなかったか?」
「な――あ、あれは……」
「くくく……言い返せないだろ?」
「う……うるッさい、このエッルフ! アンタがピンチになっても、絶対に助けてあげないからっ!」
「私が、魔族如きの助けを必要とすると思うか?」
「実際に、ヴァンゲリンの噴火の時に陛下に助けてもらってたじゃないの、もう忘れたの? エルフの脳味噌は、鶏と同じなのかしら?」
「ぐっ! あ……あれは――!」
「……のぅ、サリアよ……」
ギャレマスは、近付いてくる半人族そっちのけで口論を始めたふたりの姿を見て、困惑の表情を浮かべながらおずおずと尋ねる。
「……本当に大丈夫か、あのふたり?」
「え……えーとぉ……」
ギャレマスの問いかけに対し、サリアも曖昧な苦笑いを浮かべる事しか出来なかった……。