魔王と神官と言伝
【イラスト・くめゆる様】
“伝説の四勇士”のひとり・エラルティスは、その怜悧な美貌に一片の感情も浮かべぬまま、ソファに深く身を埋めた魔王ギャレマスの事を冷ややかに見下ろした。
負けじと、魔王も気だるげな表情を浮かべて、彼女の顔を見上げてみせる。
深緑色のロングヘアーが、室内の燭台の光に照らされて輝き、彼女の纏う神官服の青白色と相俟って、いかにも聖職者らしい清楚な雰囲気を醸し出している。――色合いだけは。
だがしかし、「残念ながら」と言うか、それとも「ありがとうございます」と言うか……ゆったりとした神官服越しからでもハッキリ分かる、彼女のメリハリの利いた煽情的なボディラインと、むんむんとした色気を醸し出している美貌は、“純潔”や“清廉”といった、一般的な女性神官のイメージとはかけ離れたものだった。
……正直、種族が違うギャレマスですら、彼女の美しさにはドキリとさせられる。
だが――今無言で魔王を見下ろしているエラルティスの翡翠色の瞳に宿るのは、まごう事無き嫌悪と憎悪だった。
……もちろん、神を信仰し、魔族を敵対視している神官ならば、魔族の首魁たる魔王にそのような感情を抱くのは無理からぬ事。
更に、魔王を討滅する事を宿命づけられた……という“設定”の“伝説の四勇士”のひとりであれば、猶更であろう。
――とはいえ、匂い立つほどの色気を放つ美女から、そのように蔑みに満ちた視線を浴び続けるのは……正直辛い。
ギャレマスは大きな溜息を吐くと、威厳に満ちた声で、彼女に言った。
「いつまでそのまま突っ立っておるつもりだ? 斯様にいくら睨まれたところで、余はキサマを客人として歓待する気は無いぞ」
「ふん……!」
ギャレマスの言葉に、エラルティスは眉を顰めて鼻を鳴らしてみせた。
「歓待? そんなもの、こちらから願い下げです。薄汚い魔族どもの城など、一分でも一秒でも早く退散したい所なのですよ、わらわとしては」
「……なれば、さっさと用件を片付けて帰るが良いぞ。――片付けずに帰っても、余としては一向に構わぬがな」
憎悪でコーティングされた彼女の言葉に、負けじと敵対心をマシマシに盛った言葉をぶつけるギャレマス。
魔王の言葉を聞いたエラルティスの頬が引き攣る。が、彼女はすぐに細く長い息を吐いて平静を取り繕うと、神官服の隠しから一枚の紙を取り出した。
そして、四つ折りにした紙を、魔王の前で大仰に広げてみせる。
「……それは?」
つい気になって、彼女に問い質すギャレマス。
するとエラルティスは、僅かに口角を上げた、そして、静かな口調で彼の問いに答える。
「これは……シュータ殿から預かった、貴方宛ての言伝です。……いえ」
そこまで言うと、エラルティスは一旦言葉を切り、ギャレマスの様子を窺う。
そして、彼の顔が強張ったのを確認すると、サディスティックな薄笑みを浮かべ、言葉の続きを舌に載せた。
「――もっと分かりやすい言葉で言えば――“ダメ出し”ですね」
「だ……ダメ出し?」
彼女の口から発せられた穏やかならぬ単語に、魔王は更に顔を引き攣らせる。
そして、その額に脂汗を滲ませながら、おずおずとエラルティスに訊いた。
「そ、それは……今日のメラド平原での事でか?」
「他に何があります?」
「い、いや! ちょっと待てぃ!」
当然の如くコクンと頷いたエラルティスに、ギャレマスは抗議の声を上げる。
「きょ、今日の戦いでは、余はダメ出しされるような事をした覚えは無いぞ!」
そう、彼は声を荒げると、懐からクシャクシャになった紙切れを取り出した。
「今日は、先日渡されたこの台本をキチンと暗記した上で、部下たちに見つからぬようにこっそり練習し、万全の状態で本番に臨んだのだ! その甲斐あって、セリフを噛んだりもしていなかったではないか、この前とは違って!」
「ああ、そうでした」
魔王の弁明に、エラルティスも頷いた。
「確かに、今回は台本通りのセリフと動きをしてくれましたわね。――酷い棒読みでしたけど」
「……いや、それは……」
エラルティスの歯に衣着せぬ辛辣な言葉に、ギャレマスは思わず憮然とした表情を浮かべる。
「それは……この台本の余のセリフが、あまりにも……その、痛々しい感じだったからであって……」
「あら? それはつまり、『自分が棒読みになったのは、シュータ殿が直々に手掛けた台本のセリフが、表現過多で大時代的でとにかく難しい単語を羅列してとけばカッコ良くなるだろ的な、口にするだけで恥ずかしさで顔から火を噴き出して周囲を悉く焼き尽くしてしまいそうな程の痛い感じだったのが原因だから、自分は一切悪くない。むしろ被害者』って言いたいんですね。分かりましたシュータ殿にその様にお伝えし――」
「ちょ、ちょ待てぃ!」
ギャレマスは、一気に捲し立てたエラルティスを慌てて止める。
「よ、余は、そこまで酷い事は言っておらぬぞ! か、勝手に余計な文言を付け足して、シュータに伝えようとするでないっ!」
「あら? わらわは、貴方の言葉を聞いて、言外にそういうニュアンスを含んでいると判断し、より伝わりやすいように補足してあげようとしただけですわ」
「補足すなッ!」
顔を真っ青にしながら、ギャレマスは叫んだ。
一方、慌てふためく魔王の様子を見たエラルティスの美貌に、嗜虐的な笑みが浮かぶ。
彼女は、薄笑いを浮かべ、ゆらゆらと首を左右に振りながら、わざとらしく困った様に言う。
「うーん、どうしましょうねぇ。シュータ殿には、感じた事をありのままを報告しろと言われてますから、キチンと役割を果たさないといけませんしねぇ……」
そうブツブツと大きな声で呟きながら、エラルティスはチラッチラッと、ソファ脇のサイドテーブルに視線を送る。
「……」
そんな彼女を前に、ギャレマスは眉間に深く皺を寄せ、ギリギリと歯を食い縛った後で、大きな溜息を吐くとサイドテーブルに手を伸ばした。
そして、一番上の引き出しを開け、大きな紅玉が嵌められた腕輪を取り出すと、しぶしぶといった様子でエラルティスに差し出す。
「……はるばる、こんな所までご苦労であった。これは……ささやかなる……礼――」
「あらあらぁ! お気遣いありがとうございます~♪」
ギャレマスの掌に載った腕輪を、目にも止まらぬ速さで搔っ攫ったエラルティスは、さっきまでの困り顔が嘘の様に、輝くばかりの満面の笑みを浮かべた。
「まあ、大きな紅玉ですわ~。……これは、質屋に流せば、いくらくらいになりますかしらぁ……」
「……」
ホクホク顔で腕輪の品定めを始めるエラルティスにジト目を向けながら、ギャレマスは思わず呟く――、
「……この、生臭神官めが……」
「――何か仰いましたぁ?」
「イ、イエ……何デモナイデス……」
彼の呟きを耳聡く聴き取ったエラスティスに凄惨な笑顔を向けられた魔王は、その圧に背筋が凍りつくのを感じながら、ぎこちなく首を左右に振るのだった――。