魔王とクシャミと野宿
古龍種ポルンと別れた魔王一行は、山の裾野に広がる広大な森林の中に入り、とりあえず北西に向かって歩き出し――はや数時間。
「……もう、日が暮れてしまいましたね」
鬱蒼と茂る木々の間から覗く空が、オレンジ色から藍色へと色を変えつつあるのを見て、スウィッシュは溜息を吐いた。
「……今日は、この辺りで野宿にした方がいいかもしれないな」
疲労の色を隠し切れない様子で、ファミィも大きく息を吐き、先頭を歩く背中に声をかける。
「おい、魔王よ。日が暮れた後に森を歩き回るのは危険だ。今日は、この辺りでテントを張った方がいいのではないか?」
「……そ、そうだのう。そうす……るふぇっくちっ!」
ファミィの言葉に頷きかけたギャレマスだったが、その言葉は、盛大なクシャミへと変わった。
そのくしゃみに、後ろから二番目を歩いていたサリアは、慌てて自分の纏っていた防寒服のボタンを外そうとする。
「お、お父様、大丈夫ですか? やっぱり、サリアの防寒服をお使い下さい! そのままじゃ、本格的にお風邪を召してしまいます……」
「い、いや、大丈夫だ」
ギャレマスは、唇を真っ青にしてブルブルと震えながらも、娘の申し出を固辞した。
「こ……これから夜になる。陽が沈んだら、森の中は一層冷える……。防寒着は、お主がそのまま着ておれ。お主が風邪をひいたら、それこそ大変だ……」
「で、でも……」
ギャレマスのかけた優しい言葉に、サリアは今にも泣きだしそうな顔をして俯いた。
「でも……お父様がそんなに凍えていらっしゃるのは、もとはといえば、サリアとポルンちゃんのせいで……」
「は……はははっ! 気に病む事なぞ無いぞ!」
責任を感じて落ち込むサリアを前にしたギャレマスは、慌てて高笑いしてみせた。
「あ……あれしきの超高度飛行程度で、この真誓魔王国国王イラ・ギャレマスが風邪などひくものか! 凍気なら、この前スウィッシュから食らった究極氷結魔術の方が、何倍もきつかったぞ! はっはっはっはっはっ!」
「ぐふぅあっ!」
サリアを慰める為に吐き出されたギャレマスの言葉に、違う方向から苦悶の叫びが上がる。
ギャレマスたちが、絶叫の上がった方に目を向けると、胸を手で押さえたスウィッシュが、ガックリと膝をついていた。
「あ……あの時は……誠に……申し訳ございませんでした……。事故とはいえ、主を氷結させてしまうなんて……やっぱりあたしは、四天王失格……」
「あ……す、すまぬ、スウィッシュ!」
ガックリと項垂れるスウィッシュに、慌てて声をかけるギャレマス。
「つい、要らぬ口を叩いてしまった……! べ、別に余は、あの時の事を責めておるわけではないのだ! つ、つい、言葉の綾で……」
「いえ……いいんです。陛下を氷漬けにしてしまったのは事実ですから……」
ギャレマスの言葉にも、スウィッシュの消沈っぷりは直らない。
そんな彼女にかける言葉を探しながら、オロオロと狼狽えるばかりのギャレマスだったが、不意に鼻をひくつかせると、顔を顰めて大きく息を吸い込み、
「ふえ……ふぇっくちぃっ!」
またひとつ、盛大なクシャミをした。
と、
「まったく……何をやっているのだ、お前たちは!」
下ろした背嚢から丸めたテント布を取り出しながら、ファミィは呆れた表情を浮かべ、落ち込んでいるスウィッシュに向けて声を荒げる。
「そんな事でグジグジと言い合っている暇があったら、さっさと野宿の準備をしろ! ――ほら、スウィッシュ! お前らしくもなくメソメソしてないで、私と一緒にテント張りを手伝え! 少しでも早く、風邪をひきかけているお前の主が休めるように、な」
「う……りょ、了解!」
ファミィの叱咤交じりの指示に、スウィッシュは大きく頷き、腰を上げる。
次いで、ファミィはサリアにも指示を飛ばす。
「サリアは、そこらへんに落ちている枯れ枝を集めて、火を熾す準備をして!」
「あ、うん! 分かったよ、ファミちゃん!」
サリアは、ファミィの指示を受けると、弾かれるように駆け出した。
「……よし」
「あ……あの……」
動き始めたふたりを見て満足そうに頷くファミィに、ギャレマスがおずおずと声をかける。
振り向いたファミィは、怪訝そうに首を傾げた。
「何だ、魔王?」
「あ、いや……」
訊き返されたギャレマスは、目をパチクリさせると、鼻水を啜り上げつつ、恐る恐るといった様子でファミィに問いかける。
「その……よ、余は、何をすればよい?」
「……何で、魔王であり、このパーティのトップであるお前が、私の指図を受けようとしているんだ?」
「あ……いや、確かにそうなのだが……何となく……」
再びファミィに真顔で問い返されたギャレマスは、困った顔をして、目を宙に泳がせる。
そんな魔王の様子をジト目で見たファミィは、
「……はぁ~」
と、大きな溜息を吐くと、自分の防寒着の一着を脱ぐと、ギャレマスの肩に羽織らせた。
「……取り敢えず、それを着込んで暖かくして、そこらへんに座っていろ」
「い、いや、そういう訳にもいかぬ」
防寒着の暖かさに身を包まれ、思わずほっこりした表情を浮かべながらも、ギャレマスは大きく首を横に振った。
「アルトゥーが居らぬ今、男手は余だけだ。それなのに、女のお主らにばかり働かせて、男の余が置き物のようにボーっと座っておるというのも……」
「……お前は、どこまでもシュータ様とは違うのだな」
「ん? 何と言った?」
「あ……いや、独り言だ」
問い返した魔王に慌てて頭を振ると、ファミィはわざとらしく眉を吊り上げてみせながら言葉を継ぐ。
「……とにかく! お前は風邪のひき始めだ! 本格的に風邪をひいて、こんな森のただ中で寝込まれでもしたら、それこそ大変だ。だから、今はしっかりと休んで、身体を温めるんだ、いいな!」
「だ……だが……」
「だがもだっても無い!」
「あっハイ」
なおも抗弁しようとしたギャレマスだったが、鬼のような形相になったファミィに一喝されると、その迫力に気圧され、思わず素直に頷いた。
ギャレマスは、躾けられた子犬のような表情になると、従順な態度で膝を折り、叢の上にちょこんと座る。
そして、女たちがてきぱきとキャンプを設営していく様を、ひたすらボーっと眺め続け、ぼそりと独り言つのだった。
「や、やっぱり――落ち着かぬなぁ……」
 




