魔王と寒村と馬車
その後、魔王たち一行は順調に街道を北に進み、一週間後にオヘアネスの町に到着した。
オヘアネスは、人間族領と真誓魔王国との国境線ともなっているウンダロース山脈の麓にあり、山に棲む鹿や野兎の肉や毛皮を主な収入源とする事で成り立っている、寒村といってもいい寂れた小さな町だった。
彼らが街に辿り着いた頃には、もう既に日はウンダロース山脈の尾根の向こうに沈んでおり、魔王はこの街で宿を取る事にする。
そして、
「うわぁ……」
スウィッシュが先行して街に入り、見つけてきた宿の前に乗合馬車を停め、いち早く降り立ったサリアが、思わず声を上げた。
「何か、すごい……雰囲気が……」
「あ……申し訳ございません、サリア様……」
あまりにボロ……歴史を感じさせる佇まいの宿を見上げて、表情を引き攣らせたサリアに、恐縮顔で頭を下げるスウィッシュ。
彼女は、蝶番が外れかけた窓の鎧戸や、あちこちに長い亀裂が入った壁、蜘蛛が巣を張りまくった軒下など、見る者に『どっちかというと廃墟に近いのでは……?』という思いを抱かせるような外観の宿屋を横目に、おずおずと言う。
「この街に、いくつか宿屋はあったのですが、その中でも一番状態が良さそうだった宿が……ここでして……」
「あ……そうなんだ……」
「申し訳ありません……」
「う、ううん! スーちゃんが謝る事じゃないよ! ごめんね……」
「サリアの言う通りだ。別に、お主のせいでは無かろう、スウィッシュよ」
サリアの声に、更に身を縮こませるスウィッシュに、ギャレマスは慰めるように声をかける。
「このオヘアネスは、一年の半分が雪に覆われていて、旅人なども滅多に訪れない町だ。宿を経営しようにも、宿泊客が滅多に来ないのであれば、こうなるのも仕方がない。地理的に人間族との国境に近いのは確かだが、今は国境封鎖で往来が途絶えておるし……」
「まあ……たとえ、平時で国境が開かれていたとしても、わざわざウンダロースの険しい嶺を越える道を選ぶような物好きは、そうそういないだろうしな」
ギャレマスの言葉に頷いたのは、馬車の御者台に座ったままのアルトゥーだった。
「こんな宿でも、ベッドはあるだろう。狭いテントで寝袋に包まるよりは、いくらかマシだ」
「確かにそうだな」
アルトゥーの言葉に頷いたのは、最後に馬車から降りて来たファミィだった。
彼女は、スウィッシュを一瞥すると、フンと鼻で嗤って言葉を継ぐ。
「狭い中で、寝相の悪い小娘に足を蹴られながら寝るのに比べれば、全然いい」
「だ! 誰が寝相が悪いですって! このエッルフ!」
ファミィの言葉に、たちまち顔を真っ赤に染めたスウィッシュが声を荒げる。
「こっちこそ、図体の大きなアナタに場所を取られて迷惑してるんだからね! ていうか、足がぶつかるのも、あたしの寝相が悪いんじゃなくて、アナタの身体と態度が大きいから!」
「分かった分かった。せいぜい、その寝相の良さで宿のベッドから転げ落ちないように気を付けるんだな」
「この……ッ!」
「何? やる気?」
「こ、こらこら。ふたりとも、もう止めんか! こんな街の真ん中で……」
いつもの様に口喧嘩を始めるスウィッシュとファミィを、呆れ顔で止めるギャレマス。
魔王に窘められて、頬を膨らませながらも大人しく引き下がるふたり。
そんなふたりを見ながら、サリアはニコニコと笑いながら言う。
「ホントに仲が良いよね、スーちゃんとファミちゃん」
「「仲なんて良くない!」です!」
サリアの言葉に、期せずしてハモるスウィッシュとファミィの声。
ふたりは思わず顔を見合わせ、「フンッ!」と互いにそっぽを向いた。
「……」
ふたりの事を呆れ顔で見たアルトゥーは、大きな溜息を吐くと、馬の手綱を取る。
そして、ギャレマスに向けて言った。
「では……王よ。己は町の駅家に馬車を返してくる」
「うむ。頼む」
「えっ?」
アルトゥーとギャレマスのやり取りを聞いたサリアが、驚きの声を上げる。
「か、返すって、馬車を返しちゃうんですか? じゃあ……明日から、私たちはどうやって移動するんですか?」
「おや……言っていなかったか?」
サリアの言葉に、首を傾げるギャレマス。
彼は、町の西側に高々と聳え立つ、尾根付近に真っ白な根雪が被った山脈を指さしながら言った。
「この町で、馬車を乗り捨てて、ここからは徒歩での移動だ。あのウンダロース山脈を越えて、人間族領へ侵入するのだ」
「えええええ? あ、歩いて……ですか?」
ギャレマスの説明を聞き、サリアは目が飛び出るほどに驚く。
「あ、あの……サリアは、てっきり馬車に乗って国境を越えるのだと……」
「ウンダロース山脈は、舗装された道など無い険しい山だ。馬車で通り抜ける事など不可能だぞ」
サリアの声に思わず苦笑いを浮かべながら、ギャレマスは言った。
彼の傍らに控え、その言葉に小さく頷いたスウィッシュは、「まあ……」と続ける。
「もっとも、肝心の馬車がこんな状態じゃ、普通の道でもそんなに長くは保たないでしょうけどね……」
そう言って彼女が指さした乗合馬車は――ひどい状態だった。
あちこちに傷や凹みが見られ、片輪は外れかけ、車軸は一度折れたのを応急処置で無理矢理接ぎ合わせている有様。スウィッシュの言う通り、これ以上走らせ続けたら途中で分解してしまいそうだ。
そんな、全壊一歩手前といった体の乗合馬車を一瞥しながら、ファミィは顔を引き攣らせる。
「ここに来るまでも……脱輪したり、通りすがりの大猪に体当たりされたり、急に橋が崩れて水没しかかったりとか、色々あったからな……。逆に、良くここまで辿り着けたというか、何というか……」
「言われてみればそうだね。何だか、大変だったよねぇ」
「「……」」
ファミィの言葉に、まるで他人事のような口調で大きく頷き返すサリアの事を見たアルトゥーとスウィッシュは、微妙な表情を浮かべて互いに顔を見合わせる。
(多分……サリア様がいらっしゃらなければ、もう少し平穏に……)
一瞬、そんな言葉が脳裏を過ぎるが、声に出すのは大人と臣下の分別でグッと堪えるスウィッシュだった……。




