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魔族と人間族と過去

 「いや……貴様の事を見直したのは本当だぞ。とは言っても、小指の爪の先くらいだけどな」


 ファミィはそう言って、ギャレマスに微笑みかけた。その表情には、彼に顔を向ける時にはいつも浮かべていた険は消えていて、彼女の美貌を更に魅力的に見せていた。

 その女性らしい美しさと優しさを湛えた微笑みに――ギャレマスは思わずドキリとする。

 ――と、彼女の顔がつと翳った。


「少なくとも――人間族(ヒューマー)の王などよりは、お前の方がよっぽどマシだ」

「おいおい」


 ファミィの呟きに、ギャレマスはムッとした顔で呆れ声を上げた。


「さすがに、それは余の事を侮り過ぎだぞ。人間族(ヒューマー)の長なぞよりも下だと思われておったのか、余は!」

「あ……そ、それは……ゴメン」


 憤慨するギャレマスの剣幕に気圧されて、ファミィは珍しく素直に謝った。

 そして、魔王におずおずと尋ねる。


「や、やっぱり……人間族(ヒューマー)の王の色々な評判は、魔王国(そちら)にも届いているのか?」

「当然だ!」


 ファミィの問いに、ギャレマスは眉を顰めながら頷いた。


「アルトゥーからの定期報告はもちろん、封鎖している国境越しからも、勝手に漏れ聞こえてくるわ。そのほとんどが、ロクでもない()()だがな」

「あ……()()()()、そうなんだ……」


 ギャレマスの答えに、ファミィは顔を引き攣らせつつも深く納得する。

 ファミィが浮かべた複雑な表情にも気付かぬ様子で、ギャレマスはますます渋い顔になりながら言った。


「聞くところによると、人間族(ヒューマー)の長は、民に対して様々な理由を付けて重税を課し、その上、得た税収を民に還元する事もせず、その多くを自らの豪奢な暮らしの為に費やしておると言うではないか! まったく……為政者の風上にも置けぬ痴れ者だ!」

「お……おう……」


 ますますヒートアップしていくギャレマスに、さすがにたじろぐファミィ。

 だが、彼の憤懣の発露は、まだ止まらない。


「――更に、その悪政で溜まりまくった民たちの不満のガス抜きの為に、我ら真誓魔王国の過去の行いをほじくり返し、一方的に侵略してくるとは――」

「そ……それは違うのではないか?」


 ギャレマスの発言を聞き咎め、ファミィは思わず口を挟んだ。


「そもそもは、貴様たち魔族が、人間族(ヒューマー)領に攻め込み暴虐の限りを尽くしたのが、ふたつの種族の対立の発端であろう! それを忘れたとは言わさんぞ!」

「……その話は、もう五百年以上も前の話だ。お主らが、その事件を引き合いに出すのなら、我々は738年前の『黄昏の茶会事件』を持ち出すぞ」

「そ……それは……」


 ギャレマスの鋭い反論を前に、思わず言葉に詰まるファミィ。

 『黄昏の茶会事件』とは、当時の人間族(ヒューマー)の王とエルフ族の族長が結託し、魔族の王を『親睦を深める為』と偽って茶会に呼び出し、主従ともども謀殺した上で、魔族の領内に一斉に攻め込んだ事件の事である。

 その際の人間族(ヒューマー)とエルフ族の卑怯な手口は、現在に至るまで語り継がれており、人間族(ヒューマー)とエルフ族両方の血を引くハーフエルフのファミィにとっては、最も忌まわしい歴史事件のひとつであった。


「……すまぬ、失言であった。別に、お主を責めるつもりでは無いのだ」


 暗い顔をして俯いたファミィの様子で、自分の吐いた言葉の鋭さに気付いたギャレマスは、慌てて彼女に詫びる。


「……いや、いい」


 ファミィは、力無くフルフルと頭を振った。

 そんな彼女を前に、一瞬躊躇する様子を見せたギャレマスだったが、拳を口元に当てて咳払いをすると、先ほどより落ち着いた口調で話を再開する。


「……何も、五百年前の魔族の所業を肯定するつもりは無い。……だが、かつて非道な真似をしたのは人間族(ヒューマー)たちも同じ――そう言いたかっただけなのだ」

「……うん。分かってる」


 ファミィが小さく頷くのを見て、ギャレマスは言葉を継ぐ。


「それから数百年の間、魔族と人間族(ヒューマー)は、互いの国境線を越える事は無かった。正式な講和こそ結ばなかったが、自然と互いへの干渉を避けるようになって、今まで上手くやってこれたのだ。……15年前、その暗黙の了解を破って、人間族(ヒューマー)軍が攻め込んでくるまでは、な」

「……『五百年前の報復』を大義名分としつつ、実のところは、民の不満の鉾先を自分たちから逸らす為に、魔族を悪役にして戦争を仕掛けた――そういう事だと言うのか?」

「まあ、そんな所だ。……だが、今の脆弱な人間族(ヒューマー)軍がいくら攻めかかって来ようが、我が真誓魔王国の精鋭にとっては、じゃれついてくる猫のようなものだったがな」


 そう言うと、ギャレマスは自慢げに鼻を鳴らした。が、突然その表情を曇らせると、頭を抱えて悶え始める。


「なのに……お主ら“伝説の四勇士”が来てからは滅茶苦茶だ……。特に、あの男……!」

「あ……シュータ様……」

「……あの男が現れてから、歯車が狂いっ放しだ。前の四天王は全滅し、我が国の内政軍事機構に大きなダメージを与えられるわ、その混乱に乗じて、調子に乗った人間族(ヒューマー)軍が、ここぞとばかりに国境を越えてくるわ……」


 と、興奮した様子で一気に捲し立てたギャレマスだったが、目の前でファミィは居心地悪そうな顔をしているのを見て、慌てて咳払いをした。


「あぁ……すまぬ。また、お主を責めるような物言いになってしまったな」

「……いや、しょうがない。責めるも何も、事実だからな……」


 ファミィは、沈痛な表情を浮かべながらも、気丈に(かぶり)を振った。

 そして、小さく息を吐くと、街道沿いに広がる田園地帯に目を向けながら、静かに言う。


「考えてみれば……私は今まで、お前たち魔族の事を、“形を成した悪”そのものとしてしか見ていなかったように思う」

「……」

「だが……ヴァンゲリン砦でお前に助けられ、お前の城で傷の手当てを受けて……。お前や、お前の娘や……ついでに、あの生意気な氷使いの小娘と、その他にもたくさんの魔族の者たちと言葉を交わしていく内に、だんだんと分かってきたんだ……」


 そう言いながら、彼女は、各々の作業に没頭するサリアとスウィッシュに穏やかな目を向け、そして、ギャレマスの顔をじっと見つめた。


「――お前たち魔族は、決して冷血非情な悪の権化などではなく、ちゃんと温かい体温を持った、我々と同じ存在なのだな……ってな」

「そうか……」

「……だから――」


 つと、彼女の表情が強張った。その表情は、悔悟と嫌悪と恐怖とが混ざり合っている。

 ファミィは、唇をグッと噛み締めると、震える声で言葉を継いだ。


「だから……、昔の人間族(ヒューマー)とエルフ族によって捻じ曲げられた伝承を鵜吞みにして、お前たち魔族を単なる“悪”だと断じて、魔族を尽く討伐する事こそが正義だと信じて疑わなかった以前の私が……許せな――」

「もう良い」

「……!」


 優しい声が耳に届き、ファミィは驚いた表情を浮かべて、顔を上げる。

 彼女の蒼く澄んだ瞳に、穏やかな表情を浮かべた魔王の顔が映った。


「ま、魔王……」

「そう、昔の自分の事を責めるな。もう、お主は充分に悔いた。これ以上、己の過去を責めるだけでは何の進歩も無いし、責めたところで昔の所業がゼロになる訳でも無い。それより、過去の経験を糧にして、明日からの自分の意識を変える事こそが大切なのだ」


 そう言うと、ギャレマスはファミィの肩に優しく手を置いた。


「お主の過去の行いは、決して忘れるな。忘れずに、再び同じ事を繰り返さぬよう、常に心に留め置いておけ。それが……お主に出来る唯一の事だ。分かったな?」

「……魔王……」


 ファミィは微かに目を潤ませながら、コクンと頷いた。

 それを見たギャレマスは、口の端に微笑みを浮かべ、彼女に頷きかける。――と、彼は、自分の手がファミィの肩に乗っている事に気付き、その顔を青ざめさせた。


「あ……! す、すまぬ! つい……」


 そう上ずった声で言って、魔王は慌てた様子で手を引っ込める。

 次いで、『こ……このセクハラ色ボケ大魔王がぁっ!』といった罵声が飛んで来ると覚悟するギャレマスだったが、


「あ……い、いや……別に、いい……」


 予想と反して、ファミィは俯いてフルフルと首を横に振るだけだった。


「お……おう、そうか……。それは……良かった……」


 ファミィの反応に拍子抜けして、当惑の表情でぎこちなく頷くギャレマス。


「……」


 無言のまま、こくこくと首を縦に振るファミィの頬は、夕暮れの光に照らされて、紅く染まっていた。

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