魔王と理由と誤魔化し方
“勇者シュータ”――。
ファミィの口から出たその名に、大広間に居合わせた者たちは一様に息を呑んだ。
「ゆ……勇者シュータが? エルフ族の収容所に……?」
スウィッシュは、戸惑った様子で目を見開きながら、ファミィに訊き返す。
「それは……確定した情報なの?」
「いや……そういう訳では無いのだが……」
スウィッシュの問いかけに対し、ファミィは曖昧に首を振った。
「――だが、人間族の王が、イワサミド鉱山の再稼働の為に、エルフ族をアヴァーシに集めているのなら、シュータ様に護衛を命じるくらいの事はすると思う」
「――ミスチール鋼か……」
「ああ……」
イータツが漏らした呟きに、ファミィは小さく頷き、言葉を継ぐ。
「鍛えられたミスチール鋼は、元々の硬度の高さもさることながら、人間族の術者が“祝福”をかける事で、魔族に対して極めて有効な武器防具の材料となる……」
「そっか……。イワサミド鉱山の再稼働が実現すれば、人間族兵全員に“祝福”済みのミスチール鋼で作られた武具が行き渡って、大幅な戦力増強になるって事なんだ……」
ファミィの説明に、スウィッシュはようやく合点がいったという表情を浮かべた。
「……魔族よりも能力的に劣る人間族にとっては、是が非でも実現したい事業――という訳だな」
「そうだ。そして、計画の実現を確実なものにする為、人間族が保持している最強の戦力であるシュータ様たち“伝説の四勇士”をアヴァーシに送り込む――私は、充分に有り得る事だと思うぞ」
ファミィは、アルトゥーの言葉に賛意を示すと、首を廻らせて、階の上を見上げた。
「――貴様も、そう考えておるのだろう? 魔王よ」
「……まあ、な」
それまで玉座に黙って座っていたギャレマスは、ファミィに問いかけられると、鷹揚に頷く。
そして、魔王の言葉を聞いてもなお、不安げな表情を浮かべているスウィッシュに向けて、諭すように言った。
「スウィッシュよ、ファミィの申した通りだ。あの勇者シュータが出張ってくる可能性がある以上、エルフ解放計画を成功させる為には、余が自ら出るべき――いや、出なければならぬと判断した。……それが、お主の問いに対する答えだ」
「で……でも……」
「……ん?」
「でもっ!」
スウィッシュは、首を傾げるギャレマスに真剣な表情を向け、上ずった声で叫ぶ。
「も、もし、万が一……いえ、億が一にでも、陛下が勇者シュータに斃されてしまう様な事が起こってしまったら――!」
「あ……そこか……」
スウィッシュの必死の声を聞いたギャレマスは、ハッとした。
彼女が、こうも不安げな表情を浮かべている理由が分かったからだ。
「ええと……それは……」
ギャレマスは、眉尻を下げて困ったような表情を浮かべると、言葉を探すように視線を中空に彷徨わせる。
「それは……要らぬ心配だ……」
「何故ですか? 何で“要らぬ心配”だなんて断言できるんですか? だって……そこに居るエッルフや勇者シュータたち“伝説の四勇士”に、あたしたちの前任の四天王は全員倒されているんですよ! いくら、今はひとり抜けた状態だって言っても、一対三で戦ったら、ひょっとするとって事も……!」
「いやだから、その心配は、余に限ってはしなくて良いというか……」
「現に、先日のヴァンゲリンの丘での戦いでも、ボロボロにされてたじゃないですか、陛下!」
「う……ボロボロって……。まあ、た、確かにそうだったが……でも……その、とにかく大丈夫なんだって……」
スウィッシュのどストレートなツッコミを食らい、途端に歯切れが悪くなるギャレマス。
実は――彼の『自分はシュータに斃されない』という絶対の自信は、『異世界転移者であるシュータは、自らが死ぬまでこの世界に居座り続けられるよう、絶対に自分を殺さない』という事実に拠っている。
つまり、エルフ族の護衛 (という名目の監視)の為にシュータたちが派遣され、解放作戦が露見した後に、彼らが追手として現れたとしても、ギャレマス自身が殿軍として立ち塞がれば、誰一人犠牲を出さずに作戦を成功させる事が可能なのである。
――だが、その事実をスウィッシュたちに明かす事は出来ない。
『魔王と勇者が密約を交わしている』などという“不都合な事実”が露わになれば、スウィッシュをはじめとした、重臣たちからの自分に対する信頼を一気に損ないかねない。
失望と軽蔑に塗れた重臣たちの視線が自分に突き刺さる様を想像するだけで身が震える……。
そんな怖ろしい情景を思い浮かべてしまったギャレマスは、「決して真実を悟られてはならぬ」という気持ちを新たにするが、だからといって、その脳裏に上手い言い訳が浮かぶ事も無かった。
――なので、
「え、ええい! いい加減にしつこいぞ、スウィッシュよ!」
キレた。
……より正確には、“キレたフリをした”。
ギャレマスは、金色の眼をギラギラと光らせて、激怒 (したフリを)して、スウィッシュの事を睨みつけで怒鳴った。
「よ……余が自ら『大丈夫だ、問題ない』と言っておるのだ! 真誓魔王国国王イラ・ギャレマスの言葉を疑うのか、お主はッ?」
「――ッ!」
普段は、常に温厚に接してくるギャレマスが、珍しく怒気を露わにした事に驚き、スウィッシュは身体を硬直させる。
呆然としている彼女の顔を見て、秘かに胸を痛めるギャレマスだったが、ここで軟化してしまったら、また先ほどの繰り返しになる……。そう考えた魔王は、心を鬼にして、さらに激しい語気で言葉を吐く。
「こ……この“雷王”ギャレマスが、あんなパッとしないポッと出の勇者如きにお、後れを取るとでも思っておるのか! こ……この前は、ちょおおおっと腹を壊していて調子が出なかっただけで、体調さえ万全だったら、あんなもやし男ごとき一撃で終わりよ! あ、あまり余の事をバカにするでないわッ!」
威勢の良い言葉を吐きながらも、脳裏には実際の対シュータ戦での自分の体たらくが鮮明に蘇り、心の中で秘かに悶絶するギャレマス。
だが、そんな主の心の中を見通す事が出来ないスウィッシュは、ガクガクと身体を震わせながら、その場に跪いた。
「も……申し訳ございません! あ、あたし如きが、陛下に対して、何という無礼な物言いを……」
「あ……いや、分かれば良――」
「う……うぅ、陛下の御言葉を信じられなかったあたしは、側近失格です……。いえ……そもそも、四天王なんて重責が務まる器なんかじゃ……」
「い、いや! そんな事は……」
「陛下の御不興を買ったあたしは、もうここに居るべきではないのかも……」
「あ、いやいや! そ、そんな事は無いぞ、スウィッシュよ!」
顔を俯かせたまま、ネガティブな言葉と嗚咽を漏らし始めるスウィッシュに、慌てて言葉をかけるギャレマス。
「い……今お主の事を怒鳴ったのは、単なる勢いであって……。そんなに思い詰める事は――」
「あーあ……やってしまったな、魔王」
必死でスウィッシュの事を宥めようとするギャレマスに、冷ややかな声をかけたのはファミィだった。
彼女は、ジト目で魔王の事を睨みながら、言葉を継ぐ。
「耳痛いとはいえ、本気で自分の身を案じる部下の言葉に対して、威圧的な恫喝を以て黙らせようとするとは。――まったく、少しは評価してやっていたのだが、とんだ眼鏡違いだったようだな。このムッツリド助平変態逆ギレパワハラ器小っちゃい系小魔王が……!」
「い、いや! 誤解だ誤解! ……っていうか、長い! 蔑称がいちいち長いぃッ!」
ファミィの歯に衣着せぬ辛辣な悪罵に、ギャレマスは悲鳴に近い絶叫を上げるのだった。




