魔王と作戦と不満
真誓魔王国国王イラ・ギャレマスの鶴の一声により、人間族領アヴァーシの郊外に収容されているエルフ族の解放を目指す事が決まった翌日。
ギャレマスは、城の大広間に重臣を集め、エルフ族救出作戦の細部を詰める為の会議を開いていた。
……だが、
「――納得がいきません!」
だだっ広い大広間に、怒りと不満に満ちた絶叫が響き渡る。
階の上の玉座に深く身を沈めたギャレマスは、困ったように眉を寄せると、階の下で抗議の声を上げた者に視線を向けた。
「……だから、昨日も申したであろう、スウィッシュよ」
「確かに、昨日から何度もお考えをお伺いしましたが、納得ができないものはできないんです!」
その紫の瞳をギラギラと輝かせながら、スウィッシュは更に声を荒げる。
「何故……彼の地――人間族領アヴァーシに、真誓魔王国の国王であらせられる陛下御自身が御出座なされる必要があるのですか?」
「だから……」
スウィッシュの激しい剣幕に辟易した表情を浮かべながら、ギャレマスは答えた。
「それは、この“エルフ族解放作戦”は、少人数で遂行する必要があるからだ」
そう言いながら、彼は手に持っていた、『極秘』と赤文字で記された紙束を叩く。
「これは、数千に上るエルフ族全員をアヴァーシの収容所から解放し、そのまま国境を越えさせて、魔王国内に引き入れようという壮大な作戦だ。――まあ、どう上手く立ち回ったとしても、エルフを解放する段階で計画は露見するだろうが、事がその段階に到るまでは、何があっても人間族に我らの存在を知られてはならぬ」
ギャレマスは、憮然とした表情のスウィッシュを真っ直ぐ見つめながら、諭すような口調で言葉を続ける。
「作戦に関わる者が多ければ多い程、どうしてもその動きは大きくなり、人間族に我らの存在と作戦がバレるリスクもまた高まる。だから、作戦に携わる人員の数は最小限度に抑えねばならぬのだ」
「……」
「それに併せて、エルフを解放した後に、彼らを追撃してくるであろう人間族兵を迎撃し、エルフ族全員が国境を越えるまでの間、その足止めをする者が必要だ。エルフ族の護衛の方にも人数を割く必要もある故、出来ればただ一人で殿軍の役目を担える程の高い戦闘力を有しておる者が、な」
そこまで言うと、ギャレマスは自分の胸を指さした。
「その役目を担うのに一番適しておるのは、この余自身以外に居らぬ。――だから、此度の作戦に、余が自ら赴かねばならぬのだ」
「で……ですが!」
ギャレマスの言葉に、一瞬言葉を詰まらせたスウィッシュだったが、すぐに首を大きく左右に振った。
「だ、だからって、何も陛下自らが出向く必要は無いでしょう! 殿軍なら、四天王のあたしやイータツ様や、アルトゥーでも……!」
「……いや、己は無理だ」
スウィッシュの言葉に対し、大広間の片隅でひっそりと控えていたアルトゥーがキッパリと否定の意を示した。
「己は、四天王とはいえど、諜報に長けた……というか、諜報だけが取り柄の“陰密将”だ。暗殺ならばともかく、一対多数の戦闘は専門外だ。それに――」
アルトゥーは、そこまで言うと小さな溜息を吐き、それから再び口を開く。
「……なぜか、己が敵と相対しても、どいつもこいつも無視するかのように、己の横を通り過ぎていくから、己では立ち塞がっても足止めにならない」
「あ……」
胡乱げに首を傾げるアルトゥーとは裏腹に、その場にいた全員が何かを察したような表情を浮かべた。
――確かに、本人が言う通り、アルトゥーを殿軍という名の囮役にしても無意味だ――と、誰もが深く納得する。
と――、
「……すまん、スウィッシュ。今回ばかりは、ワシも無理じゃ」
そう言いながら、おずおずと包帯でグルグル巻きにされた右手を上げたのは、轟炎将イータツであった。
彼は、同じく包帯が巻きつけられた禿頭をポリポリと掻きながら、申し訳なそうに言う。
「もちろん、身体が万全であれば、人間族兵の千や二千程度、どうという事も無いのだが、先日の調理場爆発事故の際に受けた傷や火傷が、まだ癒えておらぬのでな……。主上には誠に申し訳ない事なのだが、今回の作戦には加われそうにもありませぬ……」
「あ……」
「あ、ああ、もちろん分かっておる。気にするな……というか、無理をするな」
全身が包帯と膏薬まみれの痛々しい姿のイータツに、ギャレマスは慌てて労りの言葉をかけた。
そして、気まずそうな顔をして黙り込んだスウィッシュに視線を戻す。
「……と、いう訳だ。これで分かったであろう? 余が自ら出るのが、一番――」
「じゃ、じゃあ!」
静かに諭そうとするギャレマスの声を遮るように声を荒げたスウィッシュは、拳で自分の胸元を叩いて叫んだ。
「このあたしが……四天王のひとり・氷牙将スウィッシュが、殿軍の役目を――!」
「――分かってないな、お前」
「――ッ!」
唐突に自分の訴えを遮られ、スウィッシュは敵意に満ちた目を声の主へと向ける。
「な――何が分かってないって言うのよ、このエッルフ!」
「エッルフじゃない、ファミィだ」
そう言って、大きな大理石の柱にもたれかかった姿勢のままでスウィッシュの事を睨み返したのは、初めて大広間に足を踏み入れた時と同じ純白のローブに身を包んだ“伝説の四勇士”・ハーフエルフのファミィだった。
彼女は、今回の“エルフ族解放作戦”の依頼者、そして、人間族とエルフ族双方の内情に詳しい者として、この会議に加わっていたのだ。
ファミィは小さく息を吐くと、気だるげにもたれかかっていた円柱から離れ、ゆっくりとした足取りで階の方へと歩んでいく。
そして、スウィッシュの傍らまで進むと、ふんぞり返るように胸を張ってみせた。
「な……何よ!」
「お前……魔王の側近では無いのか? なぜ、主の意を酌む事が出来ないのか?」
「え……?」
ファミィの咎めるような言葉に驚いたスウィッシュは、大きく目を見開く。
が、すぐにその目を吊り上げて、自分を見下すように見るファミィに食ってかかった。
「だ……だから、何言ってるの! あたしが、陛下の御心を酌めないはずが無いでしょうッ? 何年、陛下のお側でお仕えしていると思っているのよ!」
「現に今、魔王の意図が分かっていないから、まるで駄々っ子みたいにゴネているんだろう?」
「――ッ!」
ファミィに痛いところを衝かれ、スウィッシュの顔は青ざめる。
そんなスウィッシュの狼狽えた様子を見たファミィは、小さく溜息を吐くと、階の上をチラリと一瞥してから再び口を開いた。
「……魔王はな、最悪の事態を想定した上で、自分が殿軍に回るのが最適だと判断したんだろう。何故、そんな事にも気付けぬのか……」
「さ……最悪の……事態? それって……」
「それは――」
そう言いかけて、ファミィは一瞬言葉と息を呑む。
そして、覚悟を決めるように細く長く息を吐くと、その蒼瞳に微かな畏れの色を浮かべながら、静かに言葉の先を紡ぐ。
「それは……、アヴァーシの収容所からエルフを解放した際に、人間族最強の存在である、シュータさ……勇者シュータら“伝説の四勇士”が追手として派遣されてくるかもしれない――という事だ」




